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【創作】「最後の一葉」を描いた画家【幻影堂書店にて】


 
 ※前回はこちら
 



 
光一が店の扉を開くと、カウンターには、大量の本が積まれていた。ノアは新しく入荷したというそれらの本を、一つ一つ並べて調べていた。

光一は、カウンターの前に座って、自分でお茶を入れて飲む。

横の壁には、羽ペンの模様が入った金のしおりが貼られていた。前回のことを思い出す。自分の記憶に反応して、本の中から出てきたしおり。
 
改めて見ると、美しい造形だと思った。なぜあの本から出て来たのか分からないが、しおり自体の美しさから、集めてみたいなという気持ちが出てきた。




忙しくページをめくって傷や中身をチェックするノアに尋ねる。
 
「君はこういう本を全部把握している?」
 
「まさか。在庫は多すぎるし、仕入れてどんな本かよく分からないまま売ってしまう場合もあるし」
 
「誰か買いに来るのか?」
 
「勿論。必要なお客様のところに、必要な本が届ける。それが本屋さんの役目だからね。君に対しても同じ」
 
「僕はお金を払っていない」
 
「ここでは表の世界の貨幣は必要としていないよ。でも、万物の取引には、対価が必要だからね。貨幣以外の色々な対価をいただいている」
 
「僕もこれから払うのか」
 
「あるいは、もうお代はいただいているのかもね」
 
どういう意味だろうと、光一が思う間もなく、ノアは白い手袋を外し、灰色の表紙の本を手にとって、カウンターに置いた。
 
「はい。これは昨日、1920年代の変わった映画のパンフレットを購入されたお客さんから対価でもらったもの。結構君に合うんじゃないかな」
 
タイトルには、『「最後の一葉」を描いた画家』とある。光一は表の世界の記憶が甦るのを感じた。
 
「これは、知っている。オー・ヘンリーの短編小説だね」




『最後の一葉』は、アメリカの短編小説家、オー・ヘンリーの1905年の作品である。


オー・ヘンリー


 
芸術家のアパートで、スー、ジョンジーの二人の女性が住んでいる。重い病気にかかったジョンジーは、窓の外から見える、枯れかけた蔦の葉を見て、「あの蔦の葉が全部落ちたら自分は死ぬ」と、スーに言う。
 
アパートの別部屋に住む老画家のベアマンは、その話を聞いて、憤慨する。やがて嵐が来て、蔦は最後の一葉だけになる。だが、何度風雨に曝されても、落ちない最後の一葉を見て、ジョンジーの心に変化が生まれる。




「そう、その主人公の二人じゃなくて、老画家の方のモデルになった人の話さ」
 
「モデルなんていたのか」
 
「まあ、読んで御覧」




それは、ジョージ・ヴァン・ホールトという画家の回想録だった。ヴァン・ホールトは、オランダ移民の子供として、1849年にニューヨークで生まれた。
 
幼い頃から絵画の才能を示し、23歳の時、国の奨学金を得て、パリに留学した。
 
パリのルーブル美術館で、古今東西の絵画を見ているうちに、大きな転機が訪れる。それが、1874年の第一回印象派展である。

 

モネ『印象・日の出』
マルモッタン・モネ美術館蔵
第一回印象派展の出品作品


批評家には酷評されたが、ぼんやりと滲んだ光の光景、都市の「印象」を捉えた柔らかい筆致に魅了され、今までの古典絵画の勉強を放棄するようになる。
 
2年後帰国するも、彼が描く印象派風の絵画は全く認められず、ニューヨークのボロアパートでひたすら都会の印象を描きとめる日々が続き、年老いていった。




『最後の一葉』のエピソードは、1904年、彼が55歳の時の回想にある。
 
隣に住んでいたメアリーという、8歳の女の子が、病気で寝込んでおり、裏の蔦の葉が全て落ちたら死ぬと、母親に語っていた。そこで、ヴァン・ホールトは、壁に蔦の葉の絵を描いた。

だが、その甲斐空しく、メアリーは肺炎で亡くなった。




ヴァン・ホールトは、このエピソードを、偶々知り合ったオー・ヘンリーに語って聞かせた。すると彼は、その話を小説に使ってもよいか、と尋ねた。
 
ヴァン・ホールトは、快諾した。彼は古典文学を好み、オー・ヘンリーを、軽薄な流行作家としか思っていなかったので、許可を取るなんて随分律儀な作家だ、くらいにしか感じなかったという。
 
後々その短編は有名になったが、ヴァン・ホールトは、作品について、病気で寝込む女性の造形が、幼過ぎると感じる、とだけ述べ、オー・ヘンリーは、喋りが面白い、気持ちのいい奴だった、と書いている。

ヴァン・ホールトは、その後1923年、74歳で亡くなっている。最後まで、貧乏暮しは変わらなかった、と回想録の編者による後書きにはあった。




「これは本当の話だろうか」
 
光一が尋ねると、ノアは腰に手を当てて、思案顔になった。
 
「分からないな。私たちは書かれた言葉からしか、読み取れないからね。でも、色々面白い点は見えてくるね。

確かに、葉っぱが全部落ちたら、自分も死ぬ、という発想は、幼いかもしれない。でも本当は8歳の女の子の言葉だとしたら、納得いく。

そして、あの時代のアメリカ画壇を良く象徴した作品にも思える。

オー・ヘンリーの短編は、1905年に書かれた。アメリカでは、印象派の評価が進み、大衆にも浸透していっていた。そして、ヴァン・ホールトのように、印象派の登場に衝撃を受けた画家たちも、増えていった。

でも、ヴァン・ホールトが帰国した時期は、なかなか評価が上がらなかった」
 
「なぜだろう」
 
「ヴァン・ホールトの経歴が物語っているよ。つまり、近代において絵画と云うのは、フランスやイタリアのような文化の『先進国』でない場合は、そこに留学して学ぶものだった。

何を学ぶかと言えば、伝統的なアカデミーの技法であり、それによって、自国の歴史画や肖像画といった、『先進国に見劣りしない』作品を創ることを奨励された」
 
「そういえば、日本でも、黒田清輝のような明治の画家たちは、留学して西洋絵画を学んでいる。そう教わった気がする」
 
「そう、まさにそれだね。彼らもアカデミーの画風を習得した。彼らは、芸術家というより、文化官僚とも言える。

しかし、印象派は、そういったものにノーを突き付けた。彼らは、国家や神話に関係ない、大衆のいる現代の都市を描くことを選択した。ヴァン・ホールト青年が熱狂したのも、そういう面だったんだろうね。
 
でもそれは、彼にとって、国の庇護を失くすことにもなる。安アパートの生活も頷ける。


チャイルド・ハッサム『ゼラニウム』(1888)
ハッサムは、印象派の影響を受けた
初期のアメリカ印象派の一人


そんなヴァン・ホールトや、短編の中のベアマン爺さんは、フランスや自国の印象派がアメリカに浸透するちょうど端境期にいて、波に乗り遅れてしまった、気の毒な画家でもあったんだろう」
 
「でもこの回想録のエピソードは『最後の一葉』の結末とは真逆だ。なぜそうなったんだろう」




「ある意味、オー・ヘンリーの嗜好が伺える面白い処理だね。まず、大衆向けだから、ヒロインが死ぬのは避けたいし、何より、頑張ったけど、駄目でしたではオチにならない」

「そうなると、ヴァン・ホールトの現実から、ヒロインと画家の生死が入れ替わることになる」

「そう、病弱な女の子の死から、女性達の生き生きとした希望に満ちた人生に変わる。ある意味、その亡くなった子を救う。

それにしても、興味深いのは、これはヴァン・ホールトのような芸術家でないと、出来ない行為なことだ」

「というと?」

「彼の行為は、戸外でも制作するという印象派の方法論と、本物と間違えるくらい精巧に描くアカデミー流の技術の両方がないと、そもそも思い浮かばない発想ということだ。

ある意味、両方を吸収できた時代の人にしか作れない芸術だった。

ベアマン爺さんも、ヴァン・ホールトも不遇だった。でも、彼らは自分が得てきた全てを使って、作品を刻み付けた」

「なるほど。そして、それは決して美術館に飾られないけど、文字通り、人を救うための芸術になった」
 
「そう。もしかすると芸術の本当の目的は、そういうものなのかもしれないね。美術館や殿堂に飾って祀り上げられるのではなく、誰か個人を救うためのものなのかも」




光一は辺りを見回した。
 
「ここにある本も、あるいはそうなのかな」
 
「きっとそうだね。本屋というのは、誰か一人のための世界を、空の上の雲のように沢山並べてある場所なのだろうね」
 
「・・・今日は、この本からしおりはでないんだね」
 
ノアはくすっと笑った。
 
「そう何度も出るものでもないよ。君の人生で大切な作品というのは限られているもの。

君の「表の世界」の友人や家族だってそう。君は彼らのことを好きでも、本当に大切かどうか分からない」
 
ノアは、灰色の本をスッと開く。そこには、ヴァン・ホールトが実際に描いた、レンガの上の精巧な葉っぱの絵の写真があった。

ノアは静かに光一を見つめ、口を開いた。
 
「あるいはそれは、もしかすると、生きる希望を与えるため、本物に限りなく似せて作られた、違う何かなのかもしれない。この壁に描かれた葉っぱのように」






(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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