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人生を取り戻す歌 -映画『ラブソングができるまで』の幸福


 
 
【木曜日は映画の日】
 
 
人生をやり直すということは、復元することではありません。今までの駄目な自分を肯定しつつ、「これだ」と思う新しい自分を創り出すことです。
 
2007年の映画『ラブソングができるまで』は、ポップソングのソングライターたちのラブコメを楽しみつつ、そんな人生をやり直すことの意義を感じさせてくれる、魅力的な秀作です。





80年代に一世を風靡したアイドルロックバンド「ポップ」の元ボーカル、アレックスは、今やソロで落ちぶれて、遊園地や同窓会の営業で食いつないでいます。
 
そんな中、ティーンに大人気のカリスマアイドル、コーラから依頼が来ます。彼女がハマっているスピリチュアルの本『愛に戻る道』をタイトルにした曲を作ってほしい。期限は3日後。
 
作曲専門で、しかも何年も曲を作っていないアレックスは躊躇します。しかし、植木の水やりのバイトに来たソフィーに偶然、作詞の才能があることを見出すと、一緒に曲を作るように誘います。。。


ソフィー(ドリュー・バリモア)と
アレックス(ヒュー・グラント)




この映画の魅力は、二人が曲を創っていく過程が、そのまま映画になっていることです。
 
ほんの短いフレーズに、苦しみながらも思いついたワードを当てはめ、段々と曲が色づいて長くなる。そして仮歌を入れ、デモテープを作る。
 
ラブコメですから、勿論ちゃんと、誰もが期待した通りの結末になります。二人の歌が、やがて、ラストの大団円へと繋がっていく、その美しさ。
 
これが小説なら、曲が聞こえないし、音楽アルバムで曲だけ繋がっても、ドラマの魅力がない。

演劇だとこれ程スムーズに場面を転換して重ねられない。映画だから「歌の創造の過程」とドラマの融合が可能なのです。


議論するソフィーとアレックス




そう、この映画には、まさに映画だからこそ魅力的なシーンに溢れています。
 
アレックス役のヒュー・グラントは、ちゃんと自分で歌って、ピアノ演奏もしています。
 
私は彼の歌声が好きなのですが、本職でないこともあり、はっきり言って美声ではありません。

それが、かつてヒットを飛ばしたポップ歌手という役柄にリアリティをもたらしています。ピアノ演奏もうまくはないけど、天才ピアニスト役でないから問題なし。
 
ヒューは当時40代後半。若い頃の『モーリス』での、気品ある美しい貴公子の容貌は面影だけとなり、ちょっとシワが増えて崩れた中年男の感じが、リアルです。

同窓会の営業の狭いステージで、中年女性たちの歓声を浴びて、昔のヒット曲で腰を振る姿は、最高に輝いています。


同窓会の営業で
いつもの「腰振りダンス」を披露して
歓声を浴びるアレックス




この作品の一番のネックになるのは「曲そのもの」なのは間違いありません。メインテーマになる『愛に戻る道』だけでなく、「過去のヒット曲」にも説得力がないといけない。
 
映画は、そこにもちゃんとリアリティを見出しています。

冒頭に出てくる「ポップ」のヒット曲『恋は突然』(PoP! Goes My Herat)は、80年代MTVっぽいダサいMVも最高です。

チープなシンセと80年代的エコーリヴァーブのかかったドラムサウンドに乗る、はじける曲調は、デュラン・デュランっぽくもある。



 
アレックスの持ち歌で、かなりジョージ・マイケル的な『ミーニングレス・キス』、そして『愛に戻る道』の、シンガロングでありつつ、どこか品のあるメロディも素晴らしい。

「ダサい」と「心地よい」の中間、「こういう曲ありそう」と「みずみずしい」の匙加減が絶妙です。
 
音楽を手掛けたのは、90年代後半にパワー・ポップバンド「ファウンテン・オブ・ウェイン」で活躍したアダム・シュレンジャー。

ダメダメな男子高校生が、ガールフレンドのセクシーな母親に恋する様をユーモラスに描く『ステイシーズ・マム』を、バンド時代にスマッシュヒットさせています。そんな彼の、まさに職人芸的な手腕が楽しめます。





時代と言えば、これは今見直すと、ゼロ年代半ばのドキュメントになっていることに気づきます。
 
アレックスのようなかつての一発屋は、今ならSNSを使って、You tubeに、若い子のヒット曲をカバーした動画を上げるのでしょう。彼が営業できるのも、80年代にティーンだった人たちが、まだ中年の時代だからです。
 
また、コーラのぶっとんだ不思議ちゃんな感じは、ゼロ年代までの、ブリトニー・スピアーズや、グウェン・ステファニーのようなポップアイドル像を感じさせます。

テイラー・スウィフトや、ビリー・アイリッシュが、等身大の自分を歌うまでは、あと一歩という感じです。

 

コーラのPV撮影風景


そして、ソフィーがかつて文学部の教授から受けた酷い仕打ちは、今なら間違いなくアカハラやセクハラで訴えられるものです。




この映画は、人生を奪われた二人が、どうやって立ち直るかの映画でもあります。
 
アレックスは、ソロになって以降全くうまくいかずに、落ちぶれる。
 
そして、ソフィーは言葉を奪われてしまった状態です。今なら、いくつかの事例のように大学の相談室、あるいはSNSにより、相手はネットで大炎上するでしょう。
 
そうしたことは否定されることではありません。しかし、ことソフィーについて言うと、仮にSNS時代に告発して復讐したとしても、彼女自身の人生を取り戻すことはできなかったように思います。
 
なぜなら、アレックスが言うように、彼女は生まれつきの作詞家なのですから。
 
彼女が生きることができるのは、自分が心から納得できて、多くの人の心に残るような、優れた詩や歌詞を書く時だけです。
 
そのことを、アレックスは誰よりも分かっている。
 
どれほど粗末なステージでも、昔の栄光にすがっていると言われても、やっぱり彼は、ステージの上で歌って歓声を浴びている時に、本当に生きている気がする。だからこそ、ソフィーに作詞をしてもらいたいと願うのでしょう。
 

デモをレコーディングする
ソフィーとアレックス


人生を奪われて、「影のように生きてきた」という自分たちの境遇を歌った歌が、満員になった会場で合唱され、多くの人を笑顔にして、踊らせ、喝采と歓声を生み出す。
 
私たちは影ではない。こんなにも優れたものを作って、多くの人の心に残り、みんなを動かしているのだと実感すること。それこそが、彼らにとって人生を取り戻すことです。それは、ものをつくる人の、多くが思っていることでしょう。


アレックスとコーラ




この映画の原題は、『Music and Lyrics』、「曲と歌詞」です。『作詞作曲 レノン=マッカートニー』というような時の慣用句でもありますが、劇中でソフィーが言うセリフが、その意味を説明してくれます。


【ソフィー】
メロディーは第一印象よ。肉体的な魅力やセックス。
 
【アレックス】
よく分かるよ
 
【ソフィー】
でも「相手の本当の姿を知ること」が歌詞よ。2つが合わさって魔法が生まれるの


その魔法の瞬間を捉えたのがこの映画です。

それはポップソングだけでない、多くの芸術やエンタメ、そして私たちの人生に流れている2つの対照的な要素を混ぜ合わせたものであり、私たちはそんな魔法を求めています。
 
そして、誰かと一緒に新しい魔法を創りあげた時、はっきりこう言えるのでしょう。人生を取り戻すとは、何かを復元することではない、魔法によって新しい自分になることなのだと。

それは、この映画の多幸感いっぱいのラストにも感じられるもののように思えるのです。
 
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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