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【創作】ダーウィンの詩の「本」【幻影堂書店にて】


※これまでの『幻影堂書店にて』


 
 
光一がドアを開けると、カウンターにノアとカストルプが座っていて、望遠鏡のような筒を眺めていた。
 
 「どうしたんですか? それも何かの本の特典ですか」
 
「いや、これは本なんです。この中に書いてある」
 
「それは変わっていますね」
 
カストルプがにっこりと笑って続ける。
 
「貴重な品ですよ。中身もまた珍しい作品でしてね」
 
ノアが微笑んで光一に紅茶を差し出して、付け加えた。
 
「ダーウィンが書いた恋愛詩だ」
 
「あの『進化論』の?」
 
「そう、彼が航海中に書いていた詩を、特殊な装置で再生できる『本』」




チャールズ・ダーウィンは、1809年イギリス生まれ。最初はエディンバラが医学で医学と地質学を学ぶも、血が苦手で、ケンブリッジ大学に再入学し、博物学や昆虫採集に熱中する。
 

チャールズ・ダーウィン


卒業後の1831年、測量船ビーグル号に乗り込んで、5年をかけてガラパゴス諸島等に航海し、様々な博物学や地質学の知見を得ると、帰国後『ビーグル号航海記』を出版し、知名度を上げた。
 
 1859年に『種の起源』を発表し、進化論を唱えた。あらゆる種は、環境に適応して進化して変化してきたという主張は、宗教を巻き込んで、多くの論争を巻き起こした。




「勿論、表の世界では流通していない。読んで御覧」
 
「これを覗けばいいのか」 
 
「そう、中を見て、ピントを合わせる」
 
その望遠鏡の中には、大海原の光景が広がっていた。カモメが飛び、空も青々と広がる。やがて島々が見えたりすると、文字が波のように踊った。公開の映像と共に、女性に宛てられた恋の詩が15編ほど続いた。


君にも見せたい
この透き通った青を
君の瞳のように青く
君の肌のように滑らかな
この海と空の色を




光一は望遠鏡から目を離した。
 
「これは誰に宛てた詩ですか?」
 
「それは良く分かっていないんです。おそらくは、最初のビーグル号での航海の時に恋人に宛てた詩ではないかと。ただ、彼は結婚後も非常に奥さんとの仲は良好で、10人の子供を残し、子煩悩だったそうです。決して人嫌いの学者ではないのですね」
 

長男ウィリアムとダーウィン


「なるほど。何というか、普通の詩のようだけど、凄く空の青が印象に残る詩ですね。映像と一緒に見ているからかもだけど、薄い水色で、優しいクリーム色の感じが、光景だけでなく、文字からも伝わってくるような気がします」
 
すると、静かに笑っていたノアが、急に啜っていた自分の紅茶カップをかざした。
 
「こんな色?」
 
光一は、背筋にぞっとするものを走るのを感じた。まさにそのカップの水色が、彼が詩の中に「見て」いた色だった。




「どうして? 君とこの詩は関係があるのか?」
 
「いや、私とは、全く関係ない。ちょっと驚かせてしまったね。このカップに関係があるんだ。これは、イギリスのウェッジウッド製のカップだ。このブランドを創業したジョサイア・ウェッジウッドは、ダーウィンの祖父なんだ」




ジョサイア・ウェッジウッドは、1730年イギリス生まれ。陶芸家として自社を持ち、国王ご用達のブランドまで育て上げる。


ジョサイア・ウェッジウッド


1774年には、古代ギリシャやローマの美術を研究した成果として、「ジャスパー」を発表。マットな質感と、クリーミーな水色の古典的な色彩の壺はヨーロッパにセンセーションを起こした。
 

「ジャスパー」の壺


「この望遠鏡型の「本」は、そのウェッジウッドの工房の弟子の一人が手掛けたと言われている。それで、「ジャスパー」の色が印象的に君の心に響いているのかもね。
 
ウェッジウッドは、複式簿記を取り入れ、効率的な近代経営によって、自社を伸ばし、また奴隷解放論者でもあり、フランス革命にシンパを抱き、イギリス国教会にも距離を置いていた。
 
ダーウィンが生まれる前に亡くなっているけど、宗教と距離を置いた思考や、簿記によって会社や製品を細かく解体して全体を捉える感覚は、生物の進化を系図として総体的にとらえるダーウィンの考えに、受け継がれていると言えるのかもしれないね」
 
「なるほど、その祖父の工房の人の力で、恋愛詩をこんな形で「読める」ようにしたと」
 
カストルプが笑って付け加える。
 
「ええ、基本的にその後生涯でこうした詩を書くことはなかったのですが、祖父の「色彩感」は、彼の中に生涯あったのかもしれませんね」


「ジャスパー」による植木鉢


その時、望遠鏡が宙に浮かび、くるくると回ると、光を発した。
 
目を開けると、デスクの上の望遠鏡の傍らに、金色のしおりが置かれてあった。
 
「これは、方位磁針?」
 
「羅針盤ですね。航海で使う。あなたの「勘」の通り、この本が、光一君からしおりを出しましたね」
 
ノアは落ち着いて、紅茶を啜って呟いた。
 
「ええ、そんな気がした。法則が掴めるとよいのだけど、ちょっとわからない」
 
「まあ偶然でも探す手立てにはなりますよ」




光一はカストルプに尋ねた。
 
「このしおりが何の意味があるのか、貴方は知っていますか?」
 
カストルプは、寂しげに微笑んだ。
 
「あなたにとって、大切なものです。そして、ノアさんや、この店、ここの店主にとってもね。これはあなた自身なのですから。今はそれしか説明できません」
 
「あなたは、店主という人にあったことがあるんですか?」
 
「ええ」
 
「僕も会えますか」
 
「それは難しいかもですね」
 
カストルプはそう言うと、独り言のように呟いた。
 
「本が、紙に文字が乗った形態である必要はありません。

それは、多くの環境や道具によって、形を変える。古代の楔文字から、コンピューター上の電子の光の模様まで。そう、ダーウィンが「進化論」で見つめた生物の進化と全く同じです。

あなたが今味わったような、映像の中に溶け込む文字や、あるいは、物語をイメージの中に凝縮する装置が出来れば、文字もまた消えるかもしれない。そうなっても、ある意味、本と言えるのかもしれない」
 
そして、光一の方を見た。
 
「人間もまた、イメージや思い出が組み合わさって進化した、変わった形態の一冊の本と言えるのかもしれません。勿論、あなたや私もね。

あなたもまた一冊の本として意味を持ち、開かれているのです」







(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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