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きらびやかな夢のつづれ織り -シュトロハイムの映画の美しさについて
【木曜日は映画の日】
映画は夢であり、夢とは悪夢であればある程、凄絶な美を見せるものです。
20世紀のサイレント映画初期に活躍したエーリヒ・フォン・シュトロハイムの映画は、そんな悪夢が今見ても強烈に炸裂する異様な作品群です。その経歴や作品の末路も含めて、映画史上の伝説と呼ぶにふさわしい映画監督でもあります。
エーリヒ・フォン・シュトロハイムは、1885年、オーストリアのウィーン生まれ。帽子職人の父親の家庭の生まれであり、1909年に渡米した時に、「フォン」を自分で入れているため、貴族ではありません。
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様々な職に就いた後、1914年にロサンゼルスに移住し、草創期だったハリウッドで、様々な映画の仕事をこなしグリフィスの『世界の心』等では俳優も務めます。
この頃の彼の役柄は、禿頭に片眼鏡を嵌め、どこかノーブルな雰囲気を持ちつつにやにやと笑う、いけ好かないドイツ人将校や貴族の悪役でした。この特徴は後に彼が主演・監督をする映画でも引き継がれるようになります。
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右:カラムジン伯爵(シュトロハイム)
ユニヴァーサル社でプロデューサー、カール・レムリの知遇を得たシュトロハイムは、1919年、初監督作『アルプス颪』を製作します。
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アルプスを訪れたアメリカ人夫婦の人妻に、シュトロハイム演じるオーストリアの将校が近づく。美貌で貞淑な人妻を誘惑しようとするというお話は、後の作品の典型でもあり、鄙びた山間の空気と、強烈な傾斜の山岳が見事に捉えられて、ドラマを盛り立てています。
第二作の『悪魔の合鍵』は現存していませんが、こちらも批評的にも興行的にも成功し、1922年、第三作『愚かなる妻』を製作することに。
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リゾート都市モンテカルロを舞台に、アメリカの外交官夫妻の人妻を、シュトロハイム演じる偽伯爵カラムジンが誘惑して、悲惨な末路を辿るこの傑作。
ハリウッドにセットで巨大なモンテカルロを創りあげ、何十テイクも撮り直しをして、あらゆる食器やキャビア入りの贅沢な食事までをも本物で飾るという、狂気じみた製作体制で、費用は百万ドルを超えます。レムリは使用したフィルム、金額、そして一年にわたる製作期間を広告に入れて宣伝に使うほどでした。
最終的にフィルム全32巻、上映時間で8時間に達するこの作品は、流石にそのままでは会社は許さず、最終的に10巻でアメリカで公開されます。ちなみに、何度も編集し直したため、ヨーロッパ向け等で違うバージョンがあり、現在ではそれらを繋ぎ合わせて修復した143分ほどのバージョンが流通しています。
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そして『メリー・ゴー・ラウンド』を撮影するも、5週間を過ぎて前作の二の舞になることに気づいた作品のプロデューサー、アーヴィン・タルバーグ(後に大製作者として大成します)は、シュトロハイムをくびに。シュトロハイムは、ゴールドウィン社と契約を結び、1924年、とうとう狂気の大作『グリード』を製作します。
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今までの物語と違い、アメリカの労働者階級を舞台に、大金による強欲(グリード)が狂わせる三角関係を描くこの作品は、全てロケ撮影にすることでコストは増大し、クライマックスのデスヴァレーでのロケでは50度を超える灼熱地獄の砂漠での撮影により、スタッフのコックが一人死亡。
リアルな庶民の凄まじく醜悪な欲望のドラマを描くこの名作は、47巻、9時間を超す超大作になりましたが、当然ながら10巻に編集されて公開されています。現行ではフィルムが欠落した部分をスチル写真によって補った240分版に修復されていますが、現存しない9時間版も、世界中の好事家が探し続けています。
一体なぜこんなにも彼の映画は長くなってしまうのか。それはシュトロハイムの映画の構造自体に起因します。
基本的に彼の映画は、カップルに誘惑者(多くはシュトロハイム演じる)が絡む、単純な三角関係のドラマです。そして、筋が単純な分、どんどん細部とエピソードが膨らんできます。
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映画評論家の赤坂太輔氏は著書『フレームの外へ』の中で、シュトロハイムを、「包括的な時間」を捉える、連続性への執拗な意志を持った、今でも「リアル」な作家としています。
つまり、シュトロハイムの映画では、動作が省略されるということが殆どない。狂気じみたセットやロケ撮影を敢行し、ドラマの時間そのものをそのまま捉えようとするため、繊細な細部を捉えた場面も長くなり、全体が大蛇の如き大作になっていきます。
その結果、所々恐ろしいほどの「美=醜悪さ」が炸裂します。『アルプス颪』のけぶる田舎の村、『愚かなる妻』のあの豪雨、あの鏡を使った「覗き」、海辺の別荘での食事、『グリード』の歯医者で恋に落ちるのと霊柩車が同時に捉えられる場面、そして砂漠の乾いた空気。
まさにそれは、細部の時間が膨らんだ、終わらない悪夢であり、映画批評家の淀川長治や映画監督のジャン・ルノワールを始めとした一部の熱狂的な支持者を生みました。しかし、一般的には、当然ながらとても受け入れられるものではありませんでした。
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その後のシュトロハイムは、徐々にその座を落ちていきます。
1925年には『メリー・ウィドウ』をタルバークの製作で監督。ハッピーエンドのロマンチックなドラマとはいえ、黒い眼帯をした裸の女性たちがエロテッィクに背後で楽器を演奏する「ベッド」のシーンがあったりする、今観ても興味深い作品ですが、シュトロハイムとしては、お金のためだけの不本意な作品でした。
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1928年、パラマウントに移って今度は『結婚行進曲』を監督。この作品こそ、私の個人的な生涯のトップ10に入る大傑作です。
架空の国の王子と宿屋の娘の身分違いの悲恋を描くこの作品は、夜に真っ白に咲き乱れたリンゴの花の木の下で語り合うラブシーンのように、全編が真珠のように輝いています。例によって製作費の関係上、現行は第一部のみではあるものの、十分にドラマが完結した、美しい作品です。
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王子役はシュトロハイム
娘役は『キングコング』で
さらわれる美女役のフェイレイ
そして、当時のスター、グロリア・スワンソン主演で『ケリー女王』を監督も、ジョゼフ・ケネディ(あのケネディ大統領の父親です)も関わった制作現場はカオスを極め、三か月ほど撮影してまたしてもクビに。映画は再構成されフランス等外国のみで公開。
しかし、真っ白い服で野を歩く修道女たちの行列や、狂気に満ちた目で鞭を振り回して豪華な宮殿の廊下で相手を追い詰める王女等、壮絶な美しさのシーンは今でも残っています。
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その後は映画がトーキーに変わったこともあり、監督する機会はとうとう訪れず、ルノワールの『大いなる幻影』、ワイルダーの『熱砂の秘密』等で、印象的なドイツ人役を名演しています。
『ケリー女王』は後年、スワンソンが忘れられた往年の映画スターを演じた『サンセット大通り』(ビリー・ワイルダー監督)で引用されており、そこでスワンソンをお世話する執事をシュトロハイム本人が演じているのも象徴的でした。1957年、フランスで死去しています。
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左:シュトロハイム
右:グロリア・スワンソン
かなり前『結婚行進曲』が上映されたとき、一部でカラー場面があったことを私は覚えています。
今ネットで検索しても見つからない(海外版のDVDには特典映像とかであるかもしれません)のですが、その場面は平凡なカラーのようでいて、夢のようなモノクロの映像から急に、世界が色づいたような新鮮な色だったと記憶しています。
あるいはそれは、夢の中の色彩だったのかもしれない。
シュトロハイムの映画は失われ、完成していない部分が多いですが、ミロのヴィーナスのように、欠けているからこそ、残りの凄絶な美を想像できる。そうした、失われた夢もまた、20世紀の映画芸術の一側面であり、私が映画を愛した理由でもあったように思えるのです。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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