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【創作】森鷗外のからくり人形【幻影堂書店にて】
※これまでの『幻影堂書店にて』
光一が書店の扉を開けると、奥のデスクの上に、うずたかく本が積まれていて、ノアが請求書や帳票に忙しく書き込んでいる。
「急に来たようだね」
「うん、大量入荷があってね。たまに、業者さんの時期が揃ってこういうことが起こる」
光一も一緒に発送作業を手伝っていると、急に奥の方から、艶やかな和服を着た小柄な女性がお盆を持って入ってきた。驚いて光一が振り向くと、その下半身には車輪が取り付けてあり、背中には大量の歯車とシャフトが複雑に組み合わさっている。
「びっくりした、人形か」
人形はデスクの上に紅茶のカップを置くと、くるりと踵を返して、奥の方に戻って行った。ノアがにやりと笑って、紅茶を啜った。
「うん。今日も小説の中に出てくるものを具現化して、お茶を運んでもらったよ。私の姉妹みたいなものだね」
「分かっていたのか、自分が人間じゃないことを」
驚いた光一の言葉に、ノアはふふっと笑って右手の人差し指で右眼を指差す。青い右眼が潤んだように輝きを帯びる。
「そりゃ、こんな身体だったら、自分が機械造りなことぐらい分かる。ここにある沢山の本を読んでいるし。でも君のような人間と同じ、有限な存在だよ。機械だってやがて錆びていくんだから」
「それはそうだね」
「で、何の本を具現化したかと言うと、新入荷したこれ。森鴎外が著した『江戸からくり人形草子』という本に出てくる。カストルプさんからの仕入れだ」
森鴎外は、1862年、現在の島根県生まれ。東京を出て医学校を卒業し、陸軍の軍医として、ドイツに4年間留学。帰国すると、医者としての軍務の傍ら、詩の翻訳や小説の執筆に励み、1890年、自身のドイツ留学を基にした短編『舞姫』で大きな反響を得る。
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その後も、樋口一葉や永井荷風を高く評価し、雑誌『三田文学』を創刊。自伝的な『ヰタ・セクスアリス』、『高瀬舟』『山椒大夫』等の歴史小説等を発表して明治・大正の文壇に存在感を示した。1922年、60歳で死去。
「この作品は、彼が『舞姫』と同年の、1890年に書いた初期作品だ。もっとも、本人がお蔵入りさせており、勿論、表の世界では流通していない。読んで御覧」
老中、田沼意次時代の江戸。金持ちの商人の道楽息子の喜多衛門は、芸者の古園に入れあげているが、美しい外見と裏腹に、野卑な言動の目立つ古園に、同時に幻滅も抱いている。
ある日、喜多衛門は、夜道で暴漢に襲われていた男を助ける。彼の名前は平賀源内。
恩を返してくれるということで、自分の悩みを打ち明けたところ、変わり者のその男は、理想の女性を再現したからくり人形を作ってみせると言う。興味を持ち、金に糸目を付けないのでお願いする喜多衛門。
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平賀源内(安田顕)
ひと月後、喜多衛門が源内の元を訪ねると、小柄なそのからくり人形のプロトタイプを見せられる。「お蔦」と名乗るその人形は、背中はまだ歯車や棒が剥き出しになっているが、顔は紛れもない古園であり、会話をしてみると、古園より遥かに聡明で受け応えができる。
相手はからくり人形ということを忘れて、大変心地よく喋り、もう古園とは別れようと考える喜多衛門。最後と決めて遊郭で遊ぶものの、悪性の感冒で倒れる。
目を覚ますと、古園が枕元にいる。三日三晩つきっきりで看病してくれたと人々が教えてくれ、喜多衛門は感激する。やはりからくり人形には人の心は分からない、これからも古園だけを愛そうと決める。
その時、古園がふっと笑い、「お蔦でございます、うまく演じられましたかしら」と尋ねる。喜多衛門は、全く古園と見極めが出来なかったことに戦慄する。
それから一か月後、喜多衛門は「本物」と「偽物」の区別がつかなくなり、発狂して、街を彷徨う乞食になっていた。
その顛末を馴染みの太客に語る古園。実は古園は、源内の発明を人づてに聞いており、自分を裏切る懲らしめとして「お蔦」を演じたのだった。
その話を聞いて、今の君はからくり人形ではないだろうなと尋ねる太客。古園は曖昧に微笑んで物語は終わる。
「面白いな、まさに人造人間の話だね」
「うん、実はこの作品には非常に似た小説というか、元ネタのようなものがある」
「元ネタ?」
「そう。1886年に書かれたフランスの作家ヴィリエ・ド・リラダンの小説『未来のイヴ』だ。発明家が男性の依頼で、理想の女性のレプリカントを創ることは全く一緒。ラストの展開はちょっと違っているけど、レプリカントが本物と見分けがつかなくなることも一緒だ」
「じゃあ鴎外は『未来のイヴ』を翻案したのか」
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「それが良く分からない。この本の後書きには、本人はまだこの時点で『未来のイヴ』を読んでいなかったとあるけどね。
『未来のイヴ』の日本語訳が初めて出たのが、1930年。鴎外はドイツ語は堪能だけど、フランス語の原書を読んでいたかは分からない。勿論、英訳や独訳で読んでいた可能性は否定しきれないけど。
でも、それ以上に、おそらくこの二つには同時代の共振がある」
「それは?」
「エジソンだよ。『未来のイヴ』で人造人間を創るのは、エジソンという設定だ」
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ノアは、紅茶をもう一度啜ると、人差し指を立てて続けた。
「当時エジソンは、電話、蓄音機や、何と言っても電球を発明しており、稀代の発明家と世界的に有名だった。
勿論彼は人造人間なんて発明していない。でも、ある種の魔術師のような存在として見られていた」
「そのイメージが、こうした物語に反映されている、鴎外はエジソンに匹敵する発明家として源内のイメージを使った、というわけか」
「そう。人間は、その人が本当に成したことだけで人から見られるのではない。イメージというものがあり、それは本人から離れて、あらゆる場所で増殖して、新しい物語を創る。
例えば、ナポレオンのように、単に戦争に勝って領土を広げただけでなく、ある種の力の発露として、階級を壊す成り上がりのモデルとして、自由主義の象徴としてその後様々な世界に影響を与え、歴史を創り出す」
「つまり、それが伝説なんだね」
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「あるいは神話。エジソンという魔術師によって、理想が叶うかもという妄想にトリガーを弾かれることで、現実世界に新たな物語が生まれる。
リラダンは世紀末の耽美的な作家だけあって、理想の「未来のイヴ」に対してかなり暴走して、本物よりも理想を愛する方向に行っている。
鴎外は自身が医者であることもあって、結構人造人間には冷静でいる。最後に一線を越えずに日常に戻るのは、『舞姫』のように、異国のロマンスに溺れずに戻る展開にどこか似ているね」
「そして、その物語は様々な時空に広がる。例えばそう、かつて有り得たかもしれない人間の欲望の書物を集める店と、そこを任される機械仕掛けの少女店員のように」
光一の言葉にノアは静かに頷いた。
「そうだね。私は誰の理想で創られたのかはよく分からないけど。
もしかすると、この世に存在するということは、そんな神話や電話を抱えることなのかもしれないね。君たち人間だって、多かれ少なかれ誰かの理想が反映された、欲望仕掛けの人形なのかもしれないよ」
(続)
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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