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都市を迷宮に塗りかえる -フイヤードの映画の魅力


 
 
【木曜日は映画の日】
 
 
どんなジャンルでも、その出来初めの頃の作品には、爛熟期にはない、勢いと初々しい魅力があるものです。
 
1895年にリュミエール兄弟がカフェで上映して始まった映画において、1910年代とは、まだ草創期。撮影所や、人気のあるスターはいたものの、後年の規模や洗練とは比べ物にならない素朴な規模のものでした。
 
フランスの映画監督フイヤードは『ファントマ』、『ヴァンピール(吸血ギャング団)』等、その後廃れてしまった「連続映画」シリーズの代表作で知られています。映画草創期の様々な意匠を知ることができる、興味深い作品群です。




ルイ・フイヤードは1873年、フランスの南部モンペリエ生まれ。実家のワイン取引業を倦んで、1898年パリに出ると、出版社に勤めながら劇作や詩作に励み、自費出版したりしています。
 

ルイ・フイヤード


ある時、作家仲間の友人が映画会社と契約して、高い給料をもらっていると聞き、撮影所のあるゴーモン社に面接に行くことに。見事合格し、1905年、脚本家として雇われることになります。
 
当時のゴーモン社は、初期の映画監督の一人、アリス・ギイが製作部門の責任者であり、フィヤードは彼女の監督作のために、芸術的な監修をしつつ、毎週数本の短編脚本を書く生活をしていました。
 

アリス・ギイ


結婚のためドイツに移住することにしたギイは、フイヤードの才能を見込んで、自身の後任に推薦。フイヤードは、制作から監督までをこなす、ゴーモン社の顔となりました。




初期の映画というのは、大体週に2、3本監督しては順次封切るようなもので、当然短編作品が多いです。

というより、当時映画館に行くことは、ニュース映画、アニメ映画、短編ギャグ映画、短編劇映画など混然となった映像を体験することであり、そうした興業こそが魅力でした。映像を見るには映画館に行くしかない時代ですから、様々な種類のものを見たいと思うものでしょう。

 

(※)『全く申し分のない婦人』初期フイヤードのギャグ短編。瑞々しいロケも魅力。




そんな中から、大雑把に言って二つの方向性が生まれます。

一つは連続映画。毎週、もしくは毎月続き物のシリーズを作れば、観客を安定して呼び込める。更に新聞連載の長篇小説を原作にすれば、宣伝にもなる。こうして、草創期のスター、パール・ホワイト主演の連続活劇等が創られていきます。
 
そしてもう一つは、芸術映画。他愛もない喜劇ではなく、歴史や神話を劇で再現する映画や、ロケーションを多用して、よりリアルな現実をフィルムに刻み付けて、観客の興味を呼び込む映画。
 
元々作家志望だったフイヤードが、この二つを融合した傑作シリーズが1913年の『ファントマ』です。


『ファントマ』


ベストセラーになった犯罪小説を原作に、1年をかけて5篇を製作したこのシリーズは、変幻自在に変装する大悪党ファントマと、探偵ジュ―ヴの死闘が描かれます。
 

『ファントマ』第一巻表紙


貴重なパリの街頭のロケ映像は、今もなお魅力的ですし、元の小説がそうとはいえ、殺人や盗難等横行し、勧善懲悪にならないハードな切り口もなかなかよい。

そして、ある時はタキシードを纏い、ある時は全身黒装束の異様な格好で闊歩するファントマのイメージがキー。とりわけ、第二編で、爆破装置を起動して、強烈な炎と共に歓喜の万歳をする映像は、強烈な印象を残しました。
 

『ファントマ』


初期映画の欠点というか特徴として、どうしても引きのカメラで固定された、舞台のような映像が多くなってしまうのは少ししょうがないところ。その後様々な技法で映画が進化したことが分かります。





『ファントマ』が大成功をおさめると、フイヤードは次のシリーズを製作します。それが『ヴァンピール』です。

 

『ヴァンピール』


悪のギャング団を率いる大ヴァンピールと、その手下のヒロイン「イルマ・ヴェップ」(Vampireのアナグラムです)。彼らの悪行を追う新聞記者ゲラント、ヴァンピールたちに影響を受けた催眠術師の一団が入り乱れる、全10話の大作です。


 



しかし、ここには、『ファントマ』とは違う何かがあります。
 
例えば、イルマ・ヴェップが着る、頭まで被った全身黒タイツの衣装。ファントマの黒装束から着想されたものでしょうが、身体のラインがはっきり見え、女性が着用することで、エロティックでありつつ、正体不明の気味悪さがある。

芸人とも、仮面ライダーシリーズのショッカーとも違う、闇が跋扈するような異様さ。実用ではなく、最早見た目の映画の効果を狙っているだけのような感じもします。
 

『ヴァンピール』


段々何のためにやっているのか、分からなくなるストーリー。そして唐突にいなくなる、とある主要人物は、俳優がギャラの値上げを要求したため、退場させたとのこと。これはまあ、テレビドラマ等でも後年よくあることですが、突然意味不明に闘牛のシーンが挿入されるのには、度肝を抜かれます。
 
これは、別短編でお蔵入りになった映像を、リユースしたとのことで、自転車操業的な初期映画のカオスさが良く表れています。


『ヴァンピール』


そのカオスには、おそらくもう一つ理由があります。この映画の製作中、1914年に第一次大戦が始まったのです。
 
この映画には戦争や兵隊の場面は一つも出てきません。しかし、魑魅魍魎の異様な映像が、現実の風景のあちらこちらから噴き出して、世界を変えていくさまは、ヨーロッパを崩壊させていく巨大な戦争の象徴になっていると言えなくもない。
 
あの黒タイツの衣装は、世界の裏側にしか存在しない、全てを破壊する闇の力が、戦争という傷で、フィルムに滲み出たものだったのかもしれません。


『ヴァンピール』
表の仕事のためカフェで歌う
イルマ・ヴェップ
ある意味最も怪人めいた形相




そして、進むにつれて、現実のパリの風景が、どこともしれない迷宮の様相を帯びていきます。
 
現実を捉えつつも、自然さとは程遠い異様な迷宮、子供遊びとは違う謎めいた対決や儀式は、当時のシュルレアリスムの特徴でもあり、実際シュルレアリストたちを熱狂させました。
 
また、現実の風景を捉えながら、迷宮のような謎めいた風貌に変えていくのは、後年、ジャック・リヴェットが『セリーヌとジェリーは舟で行く』や、『北の橋』で受け継いでいます。
 

リヴェット『北の橋』


フイヤードは、連続映画を手掛けた後、1925年にニースで急死。トーキー映画や、90分ほどの完結した長編映画の時代を見ることなく、早すぎた死を迎えてしまいました。




フイヤードが亡くなったのは映画の発明から30年後。それはつまり1995年のWindows95発売から、2024年の現在のSNS・AI界隈に至るまでとほぼ同じ時間です。そして、初期映画には、初期のインターネットにもあったような、カオスと熱気と不思議な闇があったと言えなくもない。

フイヤードが時代を駆け抜けながら創造した蠱惑の迷宮は、この世の闇の片隅で未だに見るものを待っているように思えるのです。機会がありましたら、是非、体験いただければと思います。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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