洗練された微笑みで -映画『レディ・イヴ』の楽しさ
【木曜日は映画の日】
コメディにおいて、ギャグと洗練のバランスはなかなか難しいものです。大笑いできるものは下品になりがちではあるし、すました態度のままだと、笑えるかどうか微妙になったりします。
プレストン・スタージェスが1941年に監督したハリウッド映画『レディ・イヴ』はそんなギャグと豪奢な上品さが同居した名作です。
エール・ビールを扱う大会社の御曹子、チャールズ・パイクは、蛇や探検を愛する初心な変わり者。一年に渡るアマゾンでの調査を終え、豪華客船で帰国するところです。
そこに乗り合わせたのは、美しき女詐欺師ジーンと、彼女の父親(彼も詐欺師)。お金をだまし取ろうと、ジーンは食堂でチャールズに近づき、急速に接近するのですが、二人は恋に落ちてしまい。。。
この作品の魅力はまず何と言っても、役者陣の素晴らしさ。特にジーンを演じた、バーバラ・スタウィックの生き生きとした魅力でしょう。
船内では大きく胸元の開いた黒いドレスで大人の色香と、女詐欺師として気風のいい押しの強さを見せ、そして、初心な男に恋してしまう純情さもある。父親に打ち明ける時の、繊細なはにかんだ表情は美しい。
そして、「第二部」での堂々たる「レディ・イヴ」の振る舞いもまた、お見事。気品と、はすっぱさの同居した上流階級の魅力的な「お嬢様」になりきっています。そんなスタンウィックのコスプレ七変化を楽しめる作品でもあります。
彼女だけでなく、チャールズ役のヘンリー・フォンダも素晴らしい。後年『荒野の決闘』や『十二人の怒れる男』で重厚な演技を見せる名優も、ここではとぼけた味の、世間知らずの御曹司を好演しています。
フォンダは、いつも顔をしかめているようなちょっと陰気な雰囲気があり、『暗黒街の弾痕』や『怒りの葡萄』のようなどす黒い暗さを持つ役に合いますが、ここではその暗さが、作品の甘さを丁度いい具合に中和しています。
そして、彼がとある身体を張ったギャグをした後に、ヒロインを見つめる、一瞬のほうけた眼差しも良い。ハリウッドでも限られた名優たちだけが持っている、子供のような無垢な表情を、フォンダも宿していたのが分かるのです。
ジーンの父親を演じたチャールズ・コバーンも名優です。丁々発止の台詞のやり取りと、ぶっきらぼうかつ暖かみを感じさせる演技が『僕の彼女はどこ?』や『天国は待ってくれる』等の名作と同様に発揮されています。
ちなみに、二重顎の巨漢で、ガラガラの大声で憎めない、チャールズの父を演じたユージーン・ポレットも『天国は待ってくれる』に出ています。
その作品では、コバーンが主人公の祖父で、ポレットが義父だったので、まさにほぼ同じ役どころで、諍いを起こす若い主人公カップルを陰で支えていたことになります。そんな俳優の一致を見つけるのも、映画の楽しみの一つでしょう。
この作品は「スクリューボール・コメディ」の代表的な作品と言われています。1940年代、「ヘイズ・コード」と言われる、性的な場面を禁止する規制条項により、煽情的なシーンの代わりに、速射砲のような男女の台詞のやりとりと、頓狂な人物たちのドタバタ騒動が繰り広げられるジャンルです。
この作品でも、ダイナミックなずっこけギャグと、スタンウィックの洒落た高速台詞は、スクリューボール的です。
同時に主演の二人に気品と色気があり、上流階級が舞台なこともあって、はじけるシャンパン(いや、エール)の泡と香水の香りも漂う、ソフィスケイテッドなコメディにもなっているのです。まさに絶妙なバランスと言えるでしょう。
監督のプレストン・スタージェスは、ハリウッドで初めて専業脚本家から監督になったと言われる監督。『サリヴァンの旅』、『結婚五年目』等、奇矯なキャラと、洒落た大量の台詞と、ドタバタギャグの融合で一時代を築きました。
以前彼の伝記を読んだことがあり、もううろ覚えではあるのですが、かなり「酒とバラの日々」な人生だったことが印象的でした。
極度の浪費と、スクリューボール・コメディが流行の座を降りてからの興行的な失敗の連続により、失意のうちにハリウッドを去り、フランスに活動の拠点を移すも、60歳で死去しています。
そんな彼の人生を思うと、その作品(ほとんどがスクリューボール・コメディです)の中に、ふと、笑いが止まってしまうような、寂しく、暗い瞬間があることに気づきます。
『結婚五年目』の、妻が離れていく時の夫の表情。『サリヴァンの旅』の、どん底に落ちた映画監督。『レディ・イヴ』では娘の結婚を聞いた父親の表情にそれが現れます。
愛する娘の晴れ姿を見ることもできない。ただ遠くで聞くだけ。そう、根無し草の詐欺師の淋しさは、時折スタンウィックの表情にも出ていました。そんな暗さと一抹の哀愁を逃さずに描いているからこそ、甘いスイカに一つまみの塩をまぶしたように、作品に深みが出てくるのでしょう。
この作品はまた、人を信じること、誰かを愛することの意味を問い掛ける作品でもあります。スタンウィックのように颯爽と駆け抜けながら、時にはフォンダのようにずっこけつつ、その二転三転する意味をじんわりと伝え、あくまで洒落た格好を崩さず、そして愛を見出す。
つまるところ、人生がそんな美しいコメディであることを、教えてくれるように思えるのです。是非、その楽しさを味わっていただければと思います。
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