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【創作】カルメンと一角獣【幻影堂書店にて】



※これまでの『幻影堂書店にて』


 
 
「ああ、懐かしい」
 
ふとこぼれたノアの声に光一は反応した。光一は、紅茶を飲みながら、オレンジを摘まみ、蓄音機から流れるショパンの夜想曲に耳を傾けていた。ノアは、カウンターで書き仕事をしながら、発送用の本を何冊かめくっているところだった。
 
「どうした?」
 
「ん、何が?」
 
「懐かしい、って今」
 
「言っていたかな。この絵を見ていてね」
 
ノアが差し出した本の中には、真っ赤な色彩の文様の中に、樹と獅子と、一角獣、真ん中にすらっとした女性が立っている絵がある。その横に文字が見える。

 

『貴婦人と一角獣 視覚』
クリュニー中世美術館蔵


光一との過去、おそらくは1920年代のパリの夜での出来事について仄めかしたことはあるものの、ノアが懐かしいという言葉を発するのを聞いたのは初めてな気がした。彼女の過去や「外の世界」に何か関係するかもしれない。光一は少し色めきたった。
 
「昔、見たことがあるのかい?」
 
「そうかもしれない。何か懐かしい感じがしたんだ」
 
「その本は?」
 
「プロスペル・メリメの『カルメンと一角獣』だ。小説、というより、絵に付けられた散文詩と言っていいね」
 
「カルメン、って言うと、オペラで有名な話だよね。確か、男を誑かす、自由で奔放な女性が主人公の」
 

オペラ『カルメン」の一場面


「そう、ビゼーのオペラだね。その原作を書いたのがメリメ。でも、ヒロインの名前が同じだけで違う本。彼が書いた、中世のユニコーンを巡る御伽噺だ」
 
「なんか、対極的なイメージだね」
 
「実はそうでもない。それはメリメの経歴に関わっている」




プロスペル・メリメは1803年パリ生まれ。文学に親しみつつ、弁護士資格をとって、フランスの高級官僚になっている。
 

プロスペル・メリメ


作家としてもデビューすると、歴史小説『シャルル九世年代記』等で地位を確立。官界では1834年にフランス歴史記念物視察官になり、フランス中を旅して歴史的な文化遺産を保存・伝承する仕事に就き、多くの旅行記を残している。
 
1841年にフランス中部の城で15世紀末の連作タペストリー『貴婦人と一角獣』を発見。友人の小説家ジョルジュ・サンドが絶賛したことで、これは一気に有名になった。
 
1847年、スペイン、バスク地方のロマに題材をとって、主人公を破滅に導くロマ女性を描く『カルメン』を発表し、評判に。その後アカデミー・フランセーズの会員にも選ばれる。1870年、67歳で死去。

オペラ『カルメン』の一場面


「メリメが見つけた『貴婦人と一角獣』は六つのタペストリーで出来ている。それぞれに彼自身が散文詩を付けたのが、この作品だ。勿論、表の世界では流通していない。読んで御覧」




散文詩は6つに分かれていた。中世フランス、シャルル7世の宮廷の華で、元帥の妻、貞淑な貴婦人カルメン・デ・ラ・コンチータに対する熱烈な愛を、王に仕える若者ガウェインが歌う。ある日彼は夢の中で一角獣になって、カルメンの傍で戯れる。
 
味覚・聴覚・視覚・嗅覚・触覚の5つの章、それぞれの夜で、一緒に甘い菓子を食べたり、花の香りを嗅いだりして、一角獣と貴婦人カルメンは時を過ごす。
 
そして、六日目の夢。ガウェインが一角獣になって、カルメンの元に行くと、カルメンは笑って一角獣の角に火を点ける。一角獣が燃えてガウェインは元の姿に戻ると、満天の星空の下。カルメンが自身の城の中に入って行くのが見える。
 
ガウェインは目覚めることなくそのまま息を引き取る。彼の遺体が発見された時、枕元の紙には「私の唯一の望み」という言葉が書かれていた。


『貴婦人と一角獣 私の唯一の望み』
クリュニー中世美術館蔵


「変な話だなあ」
 
「まあ、本人があまりうまくいっていないと感じて、発表は控えているね」
 
「あとなんというか、貴婦人の名前が「カルメン」というのに違和感があるね。多分、「外の世界」での記憶だろうけど、僕の中で「悪女」というイメージがあるんだ。そこが変な感じ。あのスペインの『カルメン』と関係があるのかな」
 
「いや、『カルメン』の話自体は、中世の宮廷と関係なしに、度々旅行していたスペイン・バスク地方の女傑の話を書きたいとずっと暖めていたものなので、物語自体は別物と考えていい。でも、ヒロインの名前だけはここから拝借したようだね。作家としてのリサイクルというか。興味深いことだね」
 
「一方は悪女、一方は貞淑な貴婦人」
 
「そうだね、でも表裏一体とも言える」
 
「どういうこと?」

『貴婦人と一角獣 聴覚』
クリュニー中世美術館蔵


「どちらも女性は既婚者で、主人公は横恋慕しているだけとも読める。ある意味自由に生きているヒロインの生涯を邪魔する存在とね。そして、彼女たちは、遠い中世、同時代のバスク地方、と作者のメリメにとってエキゾチックな存在だ。
 
メリメは生涯、ダンディな知識人として、独身を貫き、旅と発掘と執筆活動に明け暮れた。彼は、同時にフランス第二帝政の有能な官吏でもあった。
 
フランス第二帝政は、ナポレオンの血を継いだ皇帝ナポレオン三世の時代。フランス革命によって粛清された貴族に代わって、革命のどさくさに紛れて金と力を蓄えたブルジョワたちの時代だ。

怪しい力といかがわしさが同居して、同時に、近代国家を創るための歴史や、言語、教育が整えられていく時代でもあった。
 

パリ・オペラ座、通称「ガルニエ宮」
1862年に建造が始まった
第二帝政を代表する建物


そういう時代の空気感を吸ったメリメは、エキゾチックな歴史を、国民国家樹立のため収集すると同時に、時代と共振する、自分の中の破壊的な欲望を投影する存在として、歴史を見出したとも言える。

この物語の両方が、男が破滅していく話というのは、彼自身の無意識を反映しているのかもしれないね」
 
「ある種の不安というか、彼が歴史を集める裏腹の感情というか」
 
「そう、ダンディで様々な女性と浮名を流したメリメ、言ってみれば美しい女性と歴史を収集し続けた男の、欲望の中の不安だね。物語というものの背後には、ひとの感情が隠されているのだから」
 
「あるいは『貴婦人と一角獣』の中は、君の何かの感情も隠れているのかな?」




ノアは羽ペンを置いて、光一の方を向いた。
 
「おそらくは。懐かしさだけでそれが何かは分からないけど。君は知りたい?」
 
「ああ、知りたい。君の過去も、君がここにいる理由も。それは僕を、僕たちを知ることでもあるはずだよ」
 
ノアは頷くと微笑んだ。青の右目が、陽に照らされた海のように輝いている。
 
「そう、君は覚えていないものね。君に伝えられることはできる限り伝えるよ」
 
「それが何かを探すカギになる場合は、できる限り伝えるということだね」
 
「うん、物事にはタイミングがあるから。君がここにいる意味を知るためのタイミングをできる限り私は考えて、君に伝えるから」
 
「うん、大丈夫。僕は待っているよ」




光一は、先程の本を読んだときの光景、映像を思い出していた。

死んだガウェインを発見する男。それは、中世の服ではない、未来のような黒い服を着た男だった。そう、ショパンの書いた恋愛小説を読んだときに、見えた男と同じだった。彼の顔は、その後会ったカストルプにも似ている気がする。
 
そして、おそらく今回もノアには、その男の存在が見えていない。
 
店にショパンの夜想曲が流れる。ショパン、ショパンの恋人で『貴婦人と一角獣』を絶賛した、ジョルジュ・サンド、懐かしいというノアの言葉。

こうしたものを頭の中で反芻しながら、光一は、ノアの発送する本を包む作業を手伝い、ひと段落つくと、少し冷えた紅茶を啜った。
 
 
 
 
 




(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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