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異界の森で出会う他者 -映画『ポーラX』の美しさ


 
 
【木曜日は映画の日】
 
 
人は、自分にとっての他者、異物に一体どうやって出会うでしょうか。多様性という言葉が叫ばれる時代で、自分の違う価値観と出会うとは、どういうことなのでしょうか。
 
レオス・カラックスの1999年のフランス映画『ポーラX』は、他者との苛烈な出会い、そしてその意味を見事に描いた傑作です。


『ポーラX』


この世の箍が外れてしまった。何ということだ、それを直さねばならないとは!

 
冒頭、上記のハムレットの台詞を咳き込みながら呟く老人の声の後、異形の歌手スコット・ウォーカーの疾走するロックの旋律、空爆する飛行機と破壊される田舎の村の白黒映像、強烈な爆撃音と破壊音が交錯します。
 
静寂ののち、麗しいオーケストラの旋律によって、光溢れる緑の映像が現れます。




人気の覆面作家として活躍するピエールは、田舎の美しい庭園のある豪邸で、姉マリーと一緒に暮らしています。美しい婚約者リュシ―とは近々結婚の予定。
 

『ポーラX』
左:ピエール(ギョーム・ドパルデュー)
右:リュシ―(デルフィーヌ・シェイヨー)


そんな彼は、街でこちらを見つめるみすぼらしい女性を見かけます。
 
ある夜、家に帰るため森の中の道でバイクを走らせていると、道路沿いを歩くその女性を発見します。逃げる女性を追いかけて、森の中に入る二人。そして女性は、自分はピエールの、本当の実の姉、イザベルだと名乗ります。。。




原作は『白鯨』で有名な19世紀の小説家メルヴィルの小説。つい最近新訳が出ましたが、結構忠実に物語を追いつつ、細部は現代的にアップデートしています。
 
そこで問題になるのは、自分とは異質な他者との出会いです。
 
ピエールの世界は、光と穏やかさに溢れています。自身も含めて、姉も婚約者も、白い清潔な服を着た、お金持ちで、輝く金髪の美男美女。それだけで完結している世界とも言えます。
 

『ポーラX』
ピエールと
マリー(カトリーヌ・ドヌーヴ)


対してイザベルは、痩せこけて眼が飛び出たような黒髪の薄汚れた女性。こんな対照的なピエールとイザベルが出会うのは、異界のような夜の森です。
 
全て寝静まり、魔が跋扈するように暗く、樹やツタが絡みついて覆い尽くす闇の場所。そこでイザベルは自身の生い立ちを語ります。

『ポーラX』
森の中のピエールと
イザベル(カテリーナ・ゴルベワ)


か細い声で振り絞るように語られるのは、彼女の貧しい過去。ピエールの父について。そして、おそらくはユーゴ内戦のNATO空爆と思しき戦争で我が家と村を失った後の放浪。つまり、冒頭の映像に対応しています。
 
灰色の深い闇、そしてイザベルの囁きを催眠的なまでの長回しで捉えることで、この異質な「過去」にピエールが染まっていくことが、説得力を持って示されます。




ピエールがイザベルを本当の姉だと信じるのは、彼女の存在が、自分の「光の世界」に欠けているものだということを直感したからでしょう。
 
少し穿った見方をすれば、そこには、東欧や周辺国の「犠牲」の元に成り立っている豊かな西洋の自分への罪悪感も見え隠れします。
 
そして、この「姉」を信じて、彼女と一緒に自分の光の世界を抜けて、ピエールが堕ちていく姿は凄まじい。
 

『ポーラX』
イザベルとピエール


イザベルと暮らす場にいるアジア系の親子のように、そこには、ある意味安易なオリエンタリズムと男性中心的なロマンチズムがあることは否めません。
 
しかし、後半に出てくる「この世の外」から響く悪魔の絶叫のような轟音の如く、そうしたロマンや偏見までをも、全て燃やし尽くすようなテンションで、この作品は突き進んでいきます。

まるで、自分も一緒に堕ちることが、本当に他者を知る行為だとでもいうかのように。
 
彷徨の果てにピエールは何を見出すのか、そしてイザベルとは何者だったのか、その帰結は是非本編をご覧になっていただければと思います。


『ポーラX』
廃墟での轟音の「演奏」シーン


監督のレオス・カラックスは1960年パリ生まれ。23歳で長編『ボーイ・ミーツ・ガール』を発表し、美しい白黒映像の中を交わらないまま断絶するカップルを捉えます。
 

『ボーイ・ミーツ・ガール』


86年には『汚れた血』で、愛の疾走と滴るような色彩を刻み付けると、91年には製作の巨大化により完成が危ぶまれつつ5年がかりで『ポンヌフの恋人』を発表。

ここまでは典型的な、早熟で破滅型の呪われた天才でした。『ポーラX』は、それから8年もの沈黙の後に発表された作品です。




原作に沿いつつ、『ポーラX』にはカラックス個人の想いが、かなり濃密に反映されています。
 
初期の三作で自身の分身を演じていた俳優ドニ・ラヴァンを使わず、『汚れた血』や『ポンヌフの恋人』のヒロインで恋人だった、華やかな美しさのあるジュリエット・ビノシュとは別れました。彼女はその後、国民的女優に上り詰めることになります。

『汚れた血』
左:ジュリエット・ビノシュ
右:ドニ・ラヴァン

 
そして大きなことは、初期3作でカメラマンを務めていたジャン・イヴ・エスコフィエが若くして亡くなったこと。内気なカラックスは、撮影中はほぼ彼としかコミュニケーションをとらなかったと言いますが、ヴィヴィッドかつ凄絶な映像美で、自分のヴィジョンを再現することもできなくなります。
 
このように、カラックスが様々な意味で、ピエールの如く、自分の世界の外側に出たことが、この作品の独特の美しさとテンションを創りあげています。
 
撮影を手掛けたのはエリック・ゴーティエ。当時のフランスの若手のアート系映画を手掛けていた名手であり、信じ難いほど暗い森や後半の薄汚れた映像美を、ナチュラルに構築しました。




しかし、「外側に出る」ことは、あまりにも危険な賭けでもありました。
 
かなりハードに性的なシーンもあるため、賛否両論で初期3作ほど評価は得られず。

『ポーラX』ポスター


そして、イザベルを演じたカテリーナ・ゴルベワは2011年に44歳で死去。ピエールを演じたギョーム・ドパルデュー(名優ジェラール・ドパルデューの息子です)は、95年のバイク事故の傷が悪化し、2003年に脚を切断。『ポーラX』の後半で脚を引きずっているのは、偶然かどうか。その後も俳優として活躍するも、2008年に肺炎により37歳で亡くなっています。
 
カラックスは、ゴーティエとはそりが合わず、一作限りで解消。その後『ホーリー・モーターズ』、『アネット』と興味深い作品はあるものの、『ポーラX』のテンションと狂気は一回限りのものでした。

寧ろ、この呪われた作品を超えて、彼が生きて映画を創り続けていることが、称賛に値することなのでしょう。

『ポーラX』
ピエールとイザベル


『PolaX』。この謎めいたタイトルは、原作小説『ピエール、または曖昧さ』のフランス題名(Pierre Ou Les Ambiguïtés)の頭文字をとって、「X」をつけたもの。
 
「X」とは何か。それは勿論「未知」という意味であり、同時に「10番目」の脚本であるとか、カラックス(CaraX)に近づけるためのものとか、性的場面を示す「X指定」であるとか、色々と解釈があります。
 
それはつまりは、この世の外にあって様々に形を変える「未知のもの」なのでしょう。

有り得たかもしれない過去、爆撃で亡くなる貧しい人々、「姉」の囁き声、地獄の底で耳をつんざく轟音、血に塗れた赤い川、オリエンタルなメロディ、黒い闇の中のハードな性行為、そして、あの全てを包む「暗い森」。
 
私たちはそんな他者とどう対峙するのか、その果てに何を見出せるのか、そのように問い掛けて行動することが、生きることなのかもしれない、そんなことも思わせるのが、この傑作映画なのです。
 


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