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【創作】アンデルセンと人魚の夢【幻影堂書店にて】


※これまでの『幻影堂書店にて』


 
 
ノアは、缶の中を見て声を上げた。
 
「おや、お茶っ葉を切らしていたみたいだ。たまにはコーヒーでもいいかな」
 
光一はレコードの盤面を磨いていたが、その言葉に反応して頷いた。
 
「勿論。というか、ずっと紅茶を貰っていたけど、コーヒーもあったんだね」
 
「うん。紅茶の方が好きだから。でも、コーヒーも嫌いってわけじゃないよ。クリームは入れてもいい?」
 
「うん、ありがとう」
 
ノアは奥の部屋から小さなコーヒーメーカーを取り出して、コーヒー豆を入れると、くるくるとハンドルを回す。光一がコーヒーのカップを受け取ると、そこには、雪が降る街の風景が描かれていた。
 
「ラテアートだ、うまいね」
 
「ありがとう。飲んでみて」
 
光一が一口飲んで啜ると、そこには、嵐の中で海から跳ねる人魚の姿が描かれていた。
 
「面白いな」
 
「このコーヒーメーカーは特殊な仕様で、本の内容を二重でラテアートに出来るんだ。カストルプさんがこの前プレゼントしてくれた」
 
「冬の街に、人魚姫、ということはアンデルセンの童話か何か?」
 
「ご名答。アンデルセンが現行の『人魚姫』を書く前に創作した、プロト『人魚姫』というべき作品だよ」
 
ノアはコーヒーメーカーの横に置いてあった赤い本をとって、笑った。




ハンス・クリスチャン・アンデルセンは1805年、デンマークのオーデンセ生まれ。父親は靴職人、母親は洗濯婦の貧しい家で、両親に溺愛されるも、父の死により、学校を中退し、オペラ歌手を目指して、コペンハーゲンに出る。
 

ハンス・クリスチャン・アンデルセン


歌や創作を行うも、全く認められず、貧窮生活を送る。王立劇場の踊り子見習いの立場で、援助を受けてようやく大学に行けることに。
 
1835年、イタリアを旅行する青年を主人公にしたロマンチックな小説『即興詩人』で認められる。
 
そして、『子供のための童話集』を出版。『人魚姫』、『裸の王様』、『親指姫』等、有名作も含むこの童話集は生涯のライフワークになり、続編には『みにくいアヒルの子』や『雪の女王』、『マッチ売りの少女』といった後世に残る作品も多数生まれる。1875年、70歳で死去。




「『人魚姫』の童話を書く前に、アンデルセンは同じ題材で戯曲を書いているのだけど、これは更にそれより前の童話。彼自身、童話を書くことを迷っていた時期の作品だ。タイトルは『人魚の夢』。勿論、表の世界では流通していない。読んで御覧」


『人魚姫』の銅像


海の底の人魚の王女は、ある日、美しい人間の王子を見て恋に落ちる。彼と結婚できるように、思い通りに変身できる薬を魔女からもらい、人間の女性になる。
 
麗しい容姿を持ち、機知に富んだ会話のできる人魚姫は、王子に見初められ、宮廷の人々も魅了し、とんとん拍子に話が進んで結婚することになる。
 
その前夜、魔女が現れて、薬の効力が切れること、楽しい夢を見た対価を払うようにと告げる。驚く王子の目の前で、魔法が解かれ、人魚姫は元の姿に戻る。
 
泣き沈む人魚姫の姿を見て、王子はそれでもあなたを愛している、妃に迎えよう、と優しく口づけする。怒った魔女は、火の魔法で王宮に火を放ち、全ては炎に包まれて燃え落ちる。
 
すると、女の子が目を覚まし、今までのはすべて夢だったと分かる。
 
女の子は、王立演劇学校の学生で、雪の街を今日も歩いて学校に向かう。魔女のようないじわるな先生や、王子様のように優しい男の先輩に囲まれながら、今日も稽古を頑張って、いつの日か王女様に自分の劇を見てもらおうと決意して、物語は終わる。




光一が頭を抱えながら顔をあげると、ノアは笑いを堪えて、コーヒーのカップを置いた。
 
「では、ご感想を」
 
「うーん、これは。。。まいったなあ」
 
「まあ、こんなとってつけたハッピーエンドでは、興醒めではあるね。でも、現行の作品との違いを考えると、アンデルセンが何を変えたのかが見えてきて面白いね」
 
「まず、印象的なのは、王子様が人魚姫のことを受け入れることだね」
 
「そうだね。今表の世界に残っている作品だと、王子様は、別の王妃様と結婚を決めて、心変わりをする。彼を殺せば、人魚は元に戻れる、殺さなければ彼女は海の泡となる。でも、愛する彼を殺すことが出来ずに。。。という話だね」
 
「そう、この作品、王子様も人魚も結構善良なんだよね。でも魔女一人が悪人で、最後全てを燃やすというのはちょっと面白い。そこは何というか、昔の御伽噺な感覚がある」
 
「それはきっと間違いではない。この魔女の部分は例えば『ファウスト伝説』に代表される、人間と神秘との遭遇というモチーフだ。人間が何か神秘的な魔力を手に入れ、自分の願いをかなえる。しかし、それは人間の身に余るもので、最後は破滅させられるというもの。世界各地の神話に原型が見出せるよ」
 
「でもそうなると、人魚っていう必然性はなくなる」


ファウストとメフィストフェレス


光一が腕を組むと、ノアは、デスクの上の書類を片しながら頷いた。
 
「そう、そこにアンデルセンも気づいたんだろうね。実は世界の神話では、魔女ではなく、人魚や水の妖精が人知を超えた神秘の力で、それと結婚するけれども人間が扱いきれず、最後は妖精によって人間が破滅に至るという展開が主流だ。『人魚姫』を書く際に彼が直接参考した、ドイツの詩人フーケの『ウンディーネ』(『水妖記』)もその一つ」
 
「『鶴の恩返し』の世界だね」
 
「まさにそれだ。アンデルセンはそこに一ひねり加えて、人魚の神秘を少女の夢想に変えたわけだけど、結局神話のように、人魚と王子の悲恋の方がいいことに気づいて戻した。そして、元の神話に別のメロドラマ性を加えた」
 
「メロドラマ?」


アーサー・ラッカムによる
フーケ『水妖記』の絵


「そう。アンデルセンの童話の特徴は、徹底したメロドラマ性だ。高貴な者が徹底して貶められ、哀れに堕ちていく。そこに魔法のような力によって、高貴さが露わになり、救われるという話だ。

『みにくいアヒルの子』がいい例だ。あれは、いじめられていた汚いアヒルが、実は高貴な白鳥でした、という話だろう」
 
「なるほど」
 
「人魚姫も、最後は愛に殉じることで、自分の高貴さを示す。そのためには、徹底的に痛めつけられないといけない。で、うまく歩けず、口もきけずと縛られた状態になる。これは、神話の神秘的な存在というよりも、メロドラマの主人公的な存在だ」
 
「もしかすると、アンデルセンの童話が受け入れられたのは、そういう面があるかもね。『マッチ売りの少女』だって、ある意味お涙頂戴のお話だし」
 

『マッチ売りの少女』挿絵


「そうかもね。そこには、失恋の多かった彼自身の痛みや、あるいは彼の生きた時代の人々、弱い者たちが虐げられ、ほんの少しの間、その痛みが昇華されるメロドラマを求める人々の思いが、反映されているのかもね。
 
物語というものの型は、ある意味昔から決まりきったものだ。それでも、作者によって、あらゆる形に変化する」
 
「それが、時代とかっちり噛み合った時に、アンデルセンの童話のような新しい神話となる」
 
ノアは頷き、コーヒーメーカーのハンドルを取り外して、静かに付け加えた。
 
「その通り。私も君もそんな風にしてできた様々な神話を浴びて、ここにいるんだろう」
 








(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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