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秘密は最愛の人に届く -映画『深夜の告白』の魅力


 
 
【木曜日は映画の日】
 
 
ナレーションというのは映画であれ動画であれ、私たちが慣れ親しんだ機能でありますが、声がイメージを導く・補完するというのは、改めて興味深いことです。
 
ビリー・ワイルダーが1941年に監督したフィルム・ノワールの古典映画『深夜の告白』は、そんなナレーションを大変効果的に使った名作です。


『深夜の告白』


深夜の誰もいないオフィスに疲れ切った男が一人入ってきます。デスクの椅子に腰掛けると、ディクタフォン(録音機)をとり、メッセージを吹き込んでいきます。男の名前はウォルター・ネフ。同僚のバートン・キースへのメッセージとして、一人きりで語り掛けます。


真相が近すぎて君には見えなかったんだろう
保険金詐欺を見抜くのは得意なのにな
ディトリクソンの事故の倍額補償の件だよ
君はあるところまでは当たっていた
事故ではないと君は言った。その通り
自殺でもないと言った。その通り
殺人だと。その通り
(中略)
ただ一つ、犯人だけが違う
俺だよ
ウォルター・ネフ、保険のセールスマン
35歳、未婚
そう、俺が殺した



そして、ウォルターが回想する語りに乗せて、映画は過去へと遡ります。ある時営業に行った郊外の一軒家で、人妻のフィリス・ディトリクソンに出会ったこと。そして、彼女に魅せられ、彼女の夫に多額の保険金をかけて殺害する計画を共謀したことを。。。


『深夜の告白』
左:フィリス(バーバラ・スタンウィック)
右:ウォルター(フレッド・マクマレイ)


この作品の素晴らしさは、何と言っても、ウォルターのナレーションに沿って、物語が進むその巧みさでしょう。
 
原題は事故死による保険金の「倍額補償」の意味。冒頭にウォルター自身が犯人だと明かしているので、観客は、彼がどのように殺人に至ったのか、それがどんな顛末を迎え、なぜ彼がこんな告白をしているのかに集中できます。いわゆる倒叙推理小説と同様、犯人当てのサプライズではなく、サスペンスが持続するのです。
 

『深夜の告白』
自身の告白を録音するウォルター


結末は分かっているのに、その殺害が行われる過程のスリルは全く失われない。

フィリスに翻弄されるウォルターの焦燥や、冒頭の独白にもあるように、ウォルターの同僚で保険金詐欺を数々見破ってきたマネージャーのバートンがその核心にどんどん迫っていく怖さを、ウォルターと共に体感する。
 
そして、ラスト。まるで観客に問いかけるかのような、どきっとさせる危うい一瞬。
 
これほどまでにナレーションの面白さを出し尽くした作品は稀であり、試写で観たプロデューサーのジェリー・ウォルドは、これから先自分が製作する映画はすべてナレーション形式にすると叫んだと言われています。そして、確かにこの作品は後の映画に多大な影響を与えています。




『深夜の告白』は、いわゆる「フィルム・ノワール」映画の嚆矢とされています。
 
1940年代頃にハリウッドで創られた一連の暗い犯罪映画。まず重要なのは、大戦期の暗い世相を反映するような、全編が暗い夜のローキーの画面。

名撮影監督ジョン・サイツによる、どす黒い闇が支配する『深夜の告白』の画面は、『Tメン』、『ビッグ・コンボ』、『復讐は俺に任せろ』等の、暗く狂騒的な都会を見つめた映画のルックに大きな影響を与えました。
 

『深夜の告白』


そして、予め破滅した結末が分かったうえでのナレーションの回想形式。まるで宿命からは逃れられないような、黙示録的なムードが全体を覆う。『過去を逃れて』、『上海から来た女』、究極の低予算B級ノワールの怪作『まわり道』等、フィルム・ノワールの名作に受け継がれています。
 
そしてもう一つは「ファム・ファタル」。『深夜の告白』でウォルターを誘惑し、夫の殺害に仕向けるフィリスは、男を破滅に導く典型的な「宿命の女」であり、この三つで、後世まで続く「ノワールもの」の要素を確立しました。




ここまでは映画史的に良く言われる話ですが、個人的には最後の「ファム・ファタル」像だけは少し違和感があります。
 
フィリスを演じるバーバラ・スタンウィックは好演していますが、何というかこの人は『レディ・イヴ』のきっぷのいい女詐欺師や、『四十丁の拳銃』の誇り高い女牧場主のように、姉御肌で朗らかな役柄の時に輝く感じがあります。
 

『深夜の告白』


彼女自身すごくいい人だった、という周囲の証言もあるようで、どこか純真な瞳は、ちょっと男を破滅させる感が薄い気がします。

『上海から来た女』のリタ・ヘイワースや『過去を逃れて』のジェーン・グリアのように、画面上ではふてぶてしく、骨の髄まで腐りきった物凄い美人の方が、ファム・ファタルとして説得力があるというか。
 

ウェルズ『上海から来た女』




寧ろ『深夜の告白』で、現在の眼から興味深いのは、ウォルターとバートンの関係性です。
 
ウォルターがバートンに語り掛けるその口調は、どこかバートンへの愛情と「君の鼻を明かしてやったぞ」という茶目っ気があり、うすうすと真相に気づいていくバートンもまた、ウォルターへの信頼と親密さを隠そうとしていないのが伝わってくる(二人とも仕事熱心な独身男性です)。
 

『深夜の告白』
左:バートン(エドワード・G・ロビンソン)
右:ウォルター(フレッド・マクマレイ)


この二人のやり取りを見ていると、カップルの片方が浮気して、もう片方が浮気の証拠を集めようとじりじり追い詰めていく恋愛ドラマのような感触があります。そして詩的な邦題通り、その秘密を最も愛する相手に「告白」することで、全体にエロティックな倒錯感と緊迫感が醸し出される。
 
そうした隠し味を含めた面白さがこの名作の良さであり、もしかするとそれは製作状況に因っているのかもしれません。




監督のビリー・ワイルダーは、1906年当時のオーストリア・ハンガリー帝国生まれ。新聞記者として活動すると、ベルリンに移り住み、脚本家としてドイツの製作会社ウーファでデビュー。
 

ビリー・ワイルダー


しかし、ナチスが政権をとると、ユダヤ人のワイルダーは1934年アメリカに亡命。脚本家のチャールズ・ブラケットと組んで、コメディの脚本を創ります。エルンスト・ルビッチの『ニノチカ』、ハワード・ホークスの『教授と美女』等は脚本の面白さが出た秀作となりました。
 
1942年に『少佐と少女』で監督デビュー。3作目の『深夜の告白』はしかし、インモラルな題材をブラケットが嫌がって、脚本を書くのを拒否。ワイルダーは仕方なく、ハリウッドに来ていた推理小説家レイモンド・チャンドラーと組むことになります。


レイモンド・チャンドラー


 
『長いお別れ』や『さらば愛しき女よ』で有名なこのハードボイルド作家は、金稼ぎのためにハリウッドにいます。つまり、脚本を担当した二人は、いつもの自分の相手(ブラケット、あるいはハードボイルド小説)とは違う相手と組んで、お金のために仕事をしている状態。まるでウォルターのように。
 
お互い性格的にも合わず、脚本作成は拷問のような苦しみだったと回想していますが、そのいつもと違う、どこか無意識下の後ろめたさのようなものが、鬼気迫る作中の二人の男のやり取りに照射されているのかもしれません。


『深夜の告白』
照明によって
二人の心情の違いが分かる秀逸な場面


ワイルダーは後年『アパートの鍵貸します』や『お熱いのがお好き』といったコメディ作品で知られますが、個人的には、その泥臭いユーモアとギャグは、寧ろシリアスな作品の時に、隠し味として出てくる方が楽しめるように思えます。
 
アルコール依存症をいち早く扱った『失われた週末』や、プールに浮かんだ死体がナレーションで回想するブラックな『サンセット大通り』等。
 
『深夜の告白』もまた、そんなユーモアや不安をないまぜにして、暗い時代の空気感を反映した名作のように思えるのです。是非体験いただければと思います。
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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