見出し画像

愛の回想が輝く -映画『恋のエチュード』の美しさ


 
 
【木曜日は映画の日】
 
 
愛が大切なものなのは、多分多くの人が同意すると思いますが、その「大切さ」を描くことが難しいというのは、多くの創作者が実感するところでもあるでしょう。
 
 
ヌーヴェル・ヴァーグを代表するフランスの映画監督フランソワ・トリュフォーが1971年に製作した『恋のエチュード』は、様々な技法を駆使して、目に見えない愛の、どこか痛い「大切さ」にまで触れたかのような、美しい名作です。


『恋のエチュード』




物語は、男のナレーションによって始まります。19世紀末、フランスのブルジョワの青年クロードは、母の旧友ブラウン夫人の娘で、イギリスからパリに彫刻を学びに来たアンと知合います。
 
クロードは、英語の勉強も兼ねて休暇先に、ブラウン夫人の家を訪ねます。そこで、アンと再会し、目の病気で家に籠っているアンの妹、ミュリエルにも出会います。
 

『恋のエチュード』
左:ミュリエル(ステイシー・テンデター)
中央:クロード(ジャン・ピエール・レオ)
右:アン(キカ・マーカム)


二人の姉妹はクロードに惹かれ、クロードもまた、聡明で明るいアンと、暗いけど強い情熱を秘めたミュリエルを愛するようになります。妹を気遣うアンは、ある決断をするのですが。。。




この作品の素晴らしさは、流麗に物語が流れながら、人物の感情がヴィヴィッドに捉えられていることでしょう。
 
ナレーションで人物の境遇は説明しつつ、手紙の場面では、カメラを正面から見て、力強くクロードに呼び掛けるヒロインの姿が捉えられる。
 
殆ど30年近くを語り切ってしまう驚くべき作品ですが、あくまで恋をして相手を求める強い情熱を語ることをベースにしているため、例えば『戦争と平和』のような歴史スペクタクルの壮麗さはなく、どこか個人的な感触があります。


『恋のエチュード』




そして、その中から煌めくような美しい光景が断片となって浮かび上がる。
 
ブラウン夫人の家は、海を臨む岬(設定上では北部イギリスですが、撮影されたのはフランスのノルマンディー)にあります。その穏やかな青い海を背に、テニスをしたり絵を描いたりして過ごす三人。この作品では、水が人物たちを包み、幸福な記憶をかたどっています。
 

『恋のエチュード』


雨の洞窟でおしくらまんじゅうをした記憶。クロードと彼が愛する年老いた母親との、湖を背景にした穏やかな会話。そして何より、アンとクロードの、美しい川辺での一夜。
 

『恋のエチュード』


他にも、トリュフォー作品でよく出てくる美しい自転車での遠出や古ぼけたアトリエで愛し合う人物たちや、カフェでの会話等、19世紀の人々の様相が捉えられると同時に、どこの場所でもいつの時代でも変わらない、人々の普遍的な愛の様相が捉えられる。その喜びや悲しみが観た者の心に残るようになります。
 
コスチューム・プレイであっても、ナレーションによって歴史描写からは距離をとり、過剰な演技は避けつつ、人物の強い感情の吐露を見事に組み合わせる。小説的でありつつも、映画にしかできない独自の作品になっているのです。


『恋のエチュード』
クロードとアン




監督のフランソワ・トリュフォーは1932年パリ生まれ。両親の離婚により、反抗的で貧しい少年時代を過ごし、少年院に入れられたりしています。映画に熱中し、1947年に映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』誌の編集長アンドレ・バザンと出会います。ゴダールやリヴェットら、後のヌーヴェル・ヴァーグの仲間と出会い、自身も映画評論を書くようになります。
 

フランソワ・トリュフォー


1959年に自伝的な作品『大人はわかってくれない』で、長編デビュー。大ヒットし、地位を確立し、アントワーヌ・ドワネルという主人公を演じたジャン・ピエール・レオーは、その後トリュフォーのアルターエゴを演じるようになり、『ドワネルものと呼ばれる同一人物の作品が5作製作されます。
 
『突然炎のごとく』や『柔らかい肌』のような恋愛映画の名手であり、同時に『華氏451度』のようなSFもありつつ、『野生の少年』や『トリュフォーの思春期』のような子供を主人公にした作品も得意としていました。
 

『柔らかい肌』


脳腫瘍を患い、1984年に52歳で死去。他のヌーヴェル・ヴァーグの仲間、リヴェット・ロメール・シャブロルが80代まで生きて2010年代まで活躍し、ゴダールが2022年に91歳で亡くなったことを考えれば、あまりにも早すぎた死でした。




『恋のエチュード』の原作小説は、アンリ・ピエール・ロシェという作家によるもの。美術収集家でもあり、20世紀初頭のモンパルナスで出入りして、ピカソ等とも知り合い、多くの女性と浮名を流した人物とのことで、つまり、クロードのこの物語には彼の自伝的要素があります。
 
そしてロシェが残したもう一つの小説を原作にした映画がトリュフォーの1962年の『突然炎のごとく』です。
 

『突然炎のごとく』


『恋のエチュード』とは逆の二人の男性と一人の女性による三角関係の物語ですが、見比べると、似た感触を受けつつも、色々と違いがあって面白いです。
 
同じ20世紀初頭の主にパリを舞台にして、流麗なナレーションを効果的に使った、戦争による断絶を挟んだ大河絵巻であり、様々な映像上の技法を使いつつも、個人的な愛の感情の爆発を捉えたのは同じ。
 
ただ、男二人と女一人の『突然炎のごとく』は、二人の国籍の違う男性の友情の色が濃く、彼らの間を行き来する女性が、ある種残酷な眼で捉えられていました(それでも演じたジャンヌ・モローは大変魅力的ですが)。




対して『恋のエチュード』は、女二人と男一人であり、姉妹の他人への思いやりと感情の強さがしっかりと刻まれ、間に挟まれるレオーは、過ぎ去った愛と時を体感させる狂言回しになる。作品全体に、ゆったりと余裕を持った目で若い男女を見つめるような豊かさがあります。
 
それはつまり作者の成熟でもあり、もう少しトリュフォーの老いた後の作品も観たかったと思うと同時に、この作品が残されたことを喜ぶべきでもあるのでしょう。

病床でトリュフォーが最後に手掛けたのは、公開時不評で短縮された『恋のエチュード』を元に戻し、音楽をより響かせるようミキシングすることであり、強い愛着を伺わせます。


『恋のエチュード』
クロードとミュリエル




ジョルジュ・ドルリューが手掛けたその音楽も、素朴なメロディを基にしながら、まるでエーテルのように漂って、優しく人物たちを包み込む素晴らしい音楽になっています。
 
愛のように目に見えなくても確かに感じられる響き。人物たちの感情の奥に、そんな響きがこだましているからこそ『恋のエチュード』は、愛の大切さを痛切に感じることができる名作なのでしょう。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。

楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。


いいなと思ったら応援しよう!