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【創作】ロビンフッドの帰還【幻影堂書店にて】


※これまでの『幻影堂書店にて』


 
 
「今日は不思議なものを着ているね」
 
ノアは、いつものゴスロリの黒い服の上に緑色のガウンを羽織って、発送用の伝票に書き込んでいた。店に入ってきた光一が尋ねると、笑って手元の緑色の本を振って答える。
 
「これは、本の特典のガウンだよ。まあ、変な本なんで、こんな特典までついている」
 
「一体何の本?」
 
「『ロビンフッドの帰還』という本だよ。オーストリアで1925年に書かれたものだ」
 
「あの、森の中のロビンフッドの話かな? 作者は?」
 
「そうでもあるし、そうでもないという感じ。実は作者は分かっていない。おそらくは、当時のオーストリアの作家、カール・クラウスとされているけど、確証はない。ただ、ほら?」
 
ノアは、光一を手招きする。光一が近寄ると、ガウンを鼻先に持ってくる。ぷうんと染みついた煙のにおいがした。
 
「ひどくヤニ臭いな」
 
「これは、当時のウィーンのカフェの匂いだってさ。私にとってはすごく懐かしい匂い」
 
光一は、1920年代のパリのカフェで会っていたという話を含め、ノアの過去が改めてこの時代に強く関係していることを感じたが、煙草以外にも様々な匂いが沁みてそうなこの服には辟易した。
 
「そうかもしれないけど、何かもう、これを付けること自体が、必死に価格を上げようとしている感がある」
 
「そうだね、まあこの作者と言われているカール・クラウスはジャーナリストでもあって、ある意味、彼にふさわしい特典かも知れない」




カール・クラウスは、1874年、現在のモラヴィア生まれ。幼い頃に、一家でウィーンに引っ越し、学校を卒業してからは世紀末のウィーンのカフェの常連となる。
 

カール・クラウス


1899年に雑誌『火』を創刊。ほぼ全て彼が論考を書いた個人雑誌であり、ひたすら当時の社会問題や腐敗や文壇を風刺し、糾弾して、密かな人気を集めた。あらゆる文化活動に論争を挑んだ。
 
1922年には、『人類最後の日』を発表。全ての台詞が引用であり、しかも引用元の人物たちを登場させて直接喋らせるグロテスクで長大な破滅的な戯曲だった。ナチスが台頭した際も、拒絶の意を表明した。1936年に死去。




ノアはガウンに鼻を付けて、息を吸い込むと、憂い顔で続けた。
 
「現状にひたすら否を唱えつける、世紀末のウィーンが生んだ鬼っ子だね。そんな彼の書いたであろう未発表の戯曲。勿論、表の世界では流通していない。読んで御覧」




ロビンフッドは、イングランドの森で穏やかに暮らし、仲間と泉のほとりで演劇をして過ごしている。善良な王、リチャード王が遠征に行っている間、悪に染まったジョン王がイングランドを支配しようとする。
 
仲間たちを投獄されたロビンは、救出に向かい、次々と悪党たちをボウガンで倒していく。彼の緑の衣は返り血で真っ赤になって、彼は疲労のあまり倒れる。
 
目が覚めると、彼は森の中の小屋に帰還していて、ベッドに寝ていた。何者かが扉を叩くところで、戯曲は唐突に終わる。




光一は、本から目をあげると、頬杖をついたノアに語り掛けた。
 
「これは、不思議な作品だな。何というか、どこにも現実感がないというか。そもそも、なぜロビンフッドを書こうとしたんだろう。彼はオーストリアの人だよね」
 
「そうだね。おそらくは、元のロビンフッド伝説の性質に依るものじゃないかな。ロビンフッドは、12世紀末の、架空の義賊だ。
 

ロビンフッド


イングランドの王リチャード1世は、勇猛果敢で人気はあったものの、十字軍遠征に明け暮れ、殆どイングランドを不在にしていて、遠征先で亡くなる。
 
イングランド王を継いだ弟のジョンは、能力的には優れず、戦争には負けてイングランドの大陸での土地を失い、貴族たちには王権を制限される「マグナ・カルタ」を認めさせられた。これが、憲法の始まりだとされているけれど、性格も大衆からは好かれず、不安定な社会が続いた。
 

ジョン王


すると、どうなるか。今のジョン王ではなく、あのリチャード王が死なずに、帰って来てくれたなら、もっとよい暮らしだったのではないか、そんな感情が生まれる。

彼が有能かどうかは問題ではない。寧ろ彼のことをよく分かっていないことが、人々の願望に火をつけ、良き架空の王を創り出す。そして、彼の帰還を迎える義賊が生まれる。それが、ロビンフッドだ。
 
不安定な社会というのは、しばしばこうした「救世主の帰還」伝説を生み出す。第一次大戦後のオーストリアもまた、不安定だった。クラウスはそれを肌身で感じ、ある意味自動筆記のように、救世主の物語を生み出そうとした」
 
「でも、それは頓挫したわけだ」
 
「そう、その理由は分からない。でもその後に、アドルフ・ヒトラーという、まさに、大衆の心を掴んでしまった存在が出てきたのは象徴的だね。もしかすると、クラウスは救世主が出てくること、そしてそのこと自体が、危険なことだということも、感じ取っていたのかもしれないね」
 
「ある意味予言した」
 
「そう、優れた芸術家というものは、何かを作ることで時代の空気に触れ、それが起こす未来をもしばしば予言する。例えばストラヴィンスキーの『春の祭典』や、シェーンベルクの不協和音の作品は、その後の第一次大戦で爆発する強烈なパワーを予言したとも言えるね」
 
「でも、このラストの意味は何だろう?」
 
「ああ、それはね。クラウスの作品は、風刺やダジャレに満ちているんだよ。ので、おそらくこういうこと」




ノアは笑って立ち上がると、ガウンをひらっと翻す。すると、緑のガウンが、真っ赤に染まり、先程の煙草の匂いは消え、花の香りになる。ガウンの赤が、ノアの顔を照らす。
 
「ロビンフッドの「フッド」が赤く染まるから、「レッド・フッド」になる。つまり、「赤ずきんちゃん」になってしまった、というわけ。多分正確には『赤ずきん』の世界に入り込んでしまった」
 
「ということは、この最後の扉を叩くのは・・・」
 
「色々と考えられるね。まあ、何が起こるのかは、現実の貴方たちが知るでしょう、ということかな。自分たちを救ってくれる王なんて存在しない、何が来るかをもう一度考えましょう、というね」
 
ノアがガウンを脱ぐと、衣は緑色に戻った。ノアはそれを丁寧に梱包しながら、思い出したように呟いた。
 
「『赤ずきん』は紆余曲折がありつつも、ハッピーエンドなわけだから、それでもある種の希望を込めていたのかもね。

このお店で作品を読んで私たちの過去を探っていくことも、そんな風な希望が残っているように、私は時々感じるんだ」








(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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