【創作】ククリヒメのまどろみ【幻影堂書店にて】
※これまでの『幻影堂書店にて』
光一が書店のドアを開けると、ノアはデスクに坐って、本を開いたまま、赤い糸であやとりをしていた。その糸はノアの左眼のように赤く輝いている。光一はデスクの前に坐って尋ねた。
「どうしたの、それは?」
「この本の中に出てくるのを具現化したんだ。自由に色々な模様を作ってくれるんだよ。ほら、蝶々だ」
「そういえば、本の中身を形にできるんだったね。その本は?」
「これは萩原朔太郎の若い頃の未発表詩『ククリヒメのまどろみ』だ」
萩原朔太郎は、1886年群馬県生まれ。大学を中退後、詩人北原白秋の雑誌に詩編を発表し、詩人の室生犀星とも知り合う。
マンドリンを愛好し、演奏会を開いたりもしながら詩作を続け、1917年、詩集『月に吠える』を自費出版。異例の反響を呼び、地位を確立する。
初期は象徴的かつ都会的な口語詩によって、日本の近代詩に新しい風を吹かせ、後期はより日本的な詩に回帰した。1942年に55歳で死去。
「彼が『月に吠える』で文壇に出る前の、かなりの長詩だ。勿論、表の世界では流通していない。読んで御覧」
その詩は、『日本書紀』にある創世神話をモチーフにした、物語詩だった。
世界を生み出したが、火によって冥界に行った女神イザナミを、共に世界を創り出した神イザナギが冥界を訪れて連れ戻そうとしたところ、変わり果てたイザナミの姿に驚いて逃げ出し、怒ったイザナミは追いかける。
黄泉比良坂でイザナギは追いつかれるも、ククリヒメのとりなしにより、イザナミの怒りはおさまり、黄泉へと戻っていく。
この長詩は、二人の神の娘となっているククリヒメが、両親が来る前、坂の途中でまどろんでいる時の独白になっている。ククリヒメは、世界の創造から、文明の発達、戦乱、大正時代の都会の光景までを脈絡なく回想し、未来を幻視する。
言葉は情景のコラージュとなって、熱風が通り過ぎるような濃度で過ぎ去り、オノマトペが韻律となって、その熱さを盛り立てるようだった。やがて両親の神を待ち受けるところで詩は終わる。
光一は本から顔を上げた。
「面白い詩だな。分かりやすく神話に沿いながら、あらゆる歴史を描き込みたいと言うのが伝わってくる」
「そうだね。朔太郎は『月に吠える』以降の詩では、より退廃的で、歴史よりもある種の個人的な感情をイメージに託す詩を創りあげる。これは彼の作品の中でも貴重な、試行錯誤期の作品だね」
その時、ノアが手を動かしていたあやとりの糸がぐにゃぐにゃと曲がり、星の形を創ると、突然眩しい光を発した。
それは、いつものしおりが出てくる際の光のように思えたが、一瞬ではなく長く続いた。
なにかひんやりとした空気が首元に漂っているように感じた。光一が目を開けるとそこは、書店の中ではなかった。
満天の星の下、古代の遺跡の廃墟のような場所で、光一は石の上に坐っていた。そして、離れた場所には、タキシードを着たカストルプと、白い竜の姿のマルスも石に腰掛けていた。
「ここは。。。」
「やあ、久しぶりに君に逢いたくてですね。この前は、絵の封印を解いてくれて、ありがとう」
「私も、あの人形の別名を調べてくれたこと、お礼を言うよ。大変助かった。君の力は段々と解放されてきているようだね」
カストルプの言葉に、マルスがそう続ける。光一は、カストルプが『ダ・ヴィンチの吸血鬼』の絵の謎を解くように言ってきたこと、マルスが『ハムレットの父』のヒロインの名前を覚えておくように手紙でメッセージを送ってきたことを思い出した。
「ここに僕を呼んだのは、そのことを伝えるためですか」
「そうそう。私はあの人形と同じ空間にいられないからね。丁度、特殊な仕掛けの偽本があったから、カストルプに頼んで、君だけを呼び出せるようにしたのさ」
「偽本? あれは偽物だったのですか?」
「そうだよ。萩原朔太郎っていう1920年代に活躍した詩人を模して書いた、作者不詳の詩だ。私たちの扱う商品には、真実の作品も偽りの作品も全てあるから」
マルスの言葉に、カストルプが続ける。
「あなたは、納得できない顔をしていますね、光一くん。でも、作品というのはそういうもの。年代が経って動物の骨に土がこびりついて化石に形を変えるように、真実と願望や偶然、夢が結びついて、芸術作品は後世に残る。
今あなたが読んだ作品に沿えば、あらゆる芸術作品は、人間が生きることと死ぬことの中間にある坂で、時間を言葉や音、色彩の糸によって、くくって束にしてできたもの。それはククリヒメがまどろんで紡ぎ出した、赤い運命の糸の模様。そこに真も偽もない
それは、死の女神の怒りを和らげ、人間を死の無の世界から遠ざけ、生の側に繋ぎ留めるものでもある」
光一は口を開いた。
「それは、あの店も同じですね。あの幻影堂書店は、生と死の中間で、誰かの過去、ありえたかもしれない偽物の過去も含めた破片を、僕やノアは拾い集めて、繋いでいる」
「そうです」
「そのために、僕らはいるのですか。そして、あなたたちも、そんな自分にとっての生きるための糸を、あのお店と取引しながら、探している?」
「そうです。でも、そもそも人間の生とは、そういうものでしょう」
マルスが口を挟んだ。
「それは、人間じゃないあの人形だって同じさ。僕らは時空を超えても、有限の存在だからね。
そうだな、そろそろちょっと時間が厳しくなってきた。カストルプはともかく、私と会ったことは、あの人形に伝えないでおくれ。君に本物の表の世界での萩原朔太郎の詩集『月に吠える」 にある詩『さびしい人格』を贈ろうか。あの偽本に付録としてついていたものだ。
有限な我々の生を「くくる」のにふさわしい言葉じゃないかね。クリスに会ったって聞いたから、君のことはまた伝えておくよ」
「待ってください、あの店主さんには、聞きたいことが沢山。。。」
光一がそう言って石から腰を上げた瞬間、辺りが光に包まれ、気付くと、書店の椅子に座っていた。
光一の手元には、クジラの模様が刺繍された金のしおりが握られていた。
光一は壁に貼ってあるしおりを見つめる。手の中のものを含めて、これでしおりは7つになった。
ノアが心配そうに光一の顔を覗き込む。
「大丈夫かい? また気を失っていたようだけど」
光一は、冷気でかじかんだつま先が、書店の空気で、暖まっていくのを感じながら、笑顔を作って口を開いた。
「大丈夫」
(続)
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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