疾走するエモーション -サミュエル・フラーの映画の魅力
【木曜日は映画の日】
映画は物語を語る中で、ある一つの場面を視覚的に、効果的に示すことができます。
映画監督のサミュエル・フラーは、抜群に「面白い物語」を創ることができると同時に、鮮やかに多くの人に印象を与え、考えさせる場面を創ることができる監督です。
サミュエル・フラーは1912年マサチューセッツ州生まれ。幼い頃から新聞記者に憧れ、12歳の時にニューヨークの新聞社でボーイとして働き、偉大な編集者アーサー・ブリズベーンとも面識を得ています。やがて17歳で自身も新聞記者になります。
犯罪やスクープ、あらゆる階級や職業の人々を取材する中で、自ら小説も手掛けるようになり、いくつかパルプ小説を出版。また、映画脚本も手掛けつつ、第二次大戦手に歩兵として参加します。
ノルマンディー上陸作戦や、ファルケナウの強制収容所の解放にも参加し、いくつか勲章を得て、戦後は、ハリウッド入り。
1949年に『地獄への挑戦』でデビュー。以降50年代と60年代前半で、『拾った女』、『四十挺の拳銃』等の名作を撮り充実した活動を続け、70年代以降は、ドイツやフランスでも撮影しました。
また、若い世代とも積極的に交流し、『気狂いピエロ』や『ことの次第』で役者として活躍しています。
遺作は1989年の『ストリート・オブ・ノー・リターン』。1997年に、85歳で亡くなっています。
フラーの映画には、何といっても物語の抜群の面白さがあります。
新聞記者出身で、彼自身が脚本も手掛ける(実は50年代のハリウッド映画監督の中ではかなり異端です)ため、細部が異様にリアルで、それゆえに面白い。
『鬼軍曹ザック』や『折れた銃剣』、『最前線物語』のような戦争映画では、兵士たちは皆疲れ切っています。
子供が出てきても、誰一人として笑顔で武器を持たせたりして遊ばせようとしない。兵士は子供に、戦争に参加してほしくないと思っているんだ、といった意味のことをフラーは語っています。と同時に、洞窟で銃を乱射すると薬莢が飛んで危ない等、戦争に参加しないと分からないような細部も出てくる。
そして『拾った女』はノワール・スリラーでありつつ、ぱりっとしたスーツを着て、スリを職業とする男が主人公。彼の家は、川べりというか川の真ん中にあり、不思議な仕掛けで、警察が来ることを察知できるようになっています。ここら辺は犯罪専門だったこともある新聞記者時代の知見でしょう。
そして、こうしたリアルな細部が、悪夢のように異様に膨らんでいくのが、フラーの映画の特徴です。
デビュー作の『地獄への挑戦』には、印象的な場面があります。
西部開拓時代の伝説的な無法者ジェシー・ジェイムズを殺したロバート・フォードについての映画。ロバートは、親友で強盗仲間のジェシーに賞金が賭けられていることを知り、恋人と安定した生活を送ることも考え、懊悩した末、ジェシーを殺して出頭します。
賞金は得たものの、裏切り者に対する周囲や恋人の目は冷たく、親友もいない孤独を抱え、居酒屋へ。そこへ、ギターを持った流しの歌手が現れ、最近流行の歌を歌います。高潔な無法者をロバート・フォードが撃ったという歌。
ロバートを演じるジョン・アイアランドの、恐ろしく暗く苦い表情で黙って演奏を聴き続ける様は、狂気と痛みを感じさせます。そんな表情と、彼の地獄めぐりのような放浪は、是非観て確かめていただければと思います。
このような感情が凝縮されたような異様な場面が、フラーの映画では時折噴出します。『裸のキッス』の、「スキンヘッドでのピンヒール殴打」、『拾った女』の、物凄い勢いのビンタ、『四十挺の拳銃』の、驚くべき決闘シーン等。
その頂点が『ショック集団』でしょう。ピュリッツァー賞を狙う新聞記者が、精神病院での殺人事件を追うために、自分が狂人のふりをして、潜入捜査を行う、という設定だけでも異様なのですが、彼が接触する目撃者の患者が、いずれもアメリカの暗部に影響を受けた人々ゆえに、この成行きは、アメリカ社会の倒錯的な鏡のように見えてきます。
人間の情念によって生まれた悪夢のような状況を、スクリーンに炸裂させる。新聞記者・歩兵時代にフラーが見た、あらゆる人間のリアルな生き様が、澱のように沈殿して、フィルムに着火して爆発したかのようです。
フラーはその経歴ゆえか、話が大変うまく、フランスの映画批評家と語りあったインタビュー本『映画は戦場だ!』や、大部の自伝があります。
どちらも非常に面白く、後者の自伝は『映画と戦場だ!』と同じネタがあったりするのですが、同時に、批評家たちとの対話には出てこなかった告白も加わっています。
それは戦争後に、しばしば悪夢に悩まされ、うなされていたこと。豪快に喋りまくるフラーの、もう一つの面を表しています。
そして、もう一つ、プライベートな愛の側面も書かれています。最初の妻と他の男との異様な関係、そして二度目の妻で生涯付き添った妻クリスタとの、センチメンタルな出会いと、その愛。
『拾った女』や『地獄への挑戦』、日本を舞台にした『東京暗黒街・竹の家』は、狂気すれすれの愛を巡る物語でもありました。
悪夢のような現実の中で、強い愛もまた生まれる。フラーの映画には、そうした側面もあります。
彼はゴダールの『気狂いピエロ』で、自身の映画の全てを端的に示した有名な言葉を吐いています。
まさに、彼の映画を支配するのは、このエモーションの原理でしょう。
彼の映画は、悪夢であれ愛であれ、そんなエモーションが充実しているがゆえに、ストーリーが面白く、細部が印象に残る映画です。
物語とは、感情が持続していれば、読者や観客は自分のものとして受け止められて、受け入れてくれる。そんな風に、様々な創作のヒントも与えてくれるように思えます。
是非、彼の映画や本で、そんな濃密なエモーションを味わっていただければと思います。
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