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人生の甘い香り -シューベルト『未完成交響曲』を巡る随想


 
【金曜日は音楽の日】
 
 
音楽は目に見えず、空気を通して伝わるという点である種の香りに近くなります。
 
様々な音の香水の中でも、シューベルトの交響曲第8番(現在は全集が校訂され第7番)『未完成』は、刺激と甘さが交錯する逸品の名作です。





第一楽章はまずはどこか不安げな弦のトレモロにのったフルートとオーボエのユニゾンから始まり、やがて暗く高まっていきます。
 
それが解消されると、抒情的な風が吹き込み、どこかワルツのような愉しみに満ちた空気感も出てきます。
 
管楽器の咆哮も交えて、再び高まって、さざ波のようなユニゾンが奏でられて、再び抒情的なそよ風へ。
 
これをやがて厳粛に全てを締めくくるような、四回の合奏で締められます。
 
第二楽章はゆったりとした弦が広がる旋律から、憂鬱と安堵が交差するような素晴らしい色彩感で始まります。
 
やがて、ファゴットとホルンの敷物の上を、行進曲のようなに刻んだ弦の合奏が乗ります。それも、ベートーヴェン風の勇壮な空気ではなく、一昔前の鄙びたパレードを回想しているような、セピア色の感触があります。
 
玉虫色に変化していくうちに、嵐のように吹き荒れるユニゾンも来ますが、すぐさまそれを和らげるかのような暖かいそよ風の旋律が交わる。

ふわふわ漂いながら、光の反射によって表情を変えるかのような展開は見事です。
 
やがて、ピチカートに乗って、静かに伸びていく旋律で、穏やかに幕を閉じます。




通常四楽章あるはずの交響曲で、少し長めの二楽章しかない、異例づくめの作品。
 
後年広まった愛称通りの「未完成」な理由は様々に論議されています。
 
最高傑作にするはずが、失恋ゆえに未完成にしたというタイプの説もありましたが(『未完成交響曲』という映画になっています)、根拠になる資料はなく、流石に真実ではないとされています。
 
おそらくは、この二楽章に続く楽章を、上手く思いつかなかった、処理できなかったことが主な要因なのでしょう。そもそも、シューベルトは速筆で、未完成のスケッチも異様に多く、この曲の場合も、すぐに別の曲に取り掛かっています。
 
そして、31歳と若くして亡くなったため、昔のスケッチをブラッシュアップして完成させるというプロセスが出来なかった。多分そういうことなのでしょう。


グスタフ・クリムト『ピアノを弾くシューベルト』




しかし、それゆえに、この曲は独特の質感を持つことになりました。
 
ベートーヴェンが築き上げた第一楽章で盛り上がり、緩徐楽章を挟んで、第四楽章のフィナーレで盛り上がって王道形式でなく、チャイコフスキー『悲愴』や、マーラーやブルックナーのいくつかの交響曲のように、王道の裏返しとして、消滅するように終わるタイプでもない。
 
一応ちゃんと第二楽章で、大げさではなくこじんまりと締められており、決して尻切れトンボではない。だからシューベルトも一旦はこの形で、完結させておいたのでしょう。
 
シューベルトの特徴である、殆ど気まぐれなまでに雰囲気をくるくる変える曲のつくりが、そのこじんまりとした全体の形式にはまりました。
 
憂鬱なため息と、安寧と強い決意が混じるそれぞれの細部が、決して大きな流れを創らず、木陰の中の小川のように、ある時はきらめいて現れ、ある時は消えていく。
 
それゆえに、いい意味で雰囲気だけが濃密にこぼれていく。香水のように、ふわっと香って、消えて、最初の香りとは別の残り香に変わる。
 
ドビュッシーやラヴェルにもこうした、印象を変える香りのような曲はありますが、いい意味でもっと瀟洒で、人工的な部分があります。『未完成』には自然体で感情に沿った、風のような心地よさがあります。
 
シューベルトの資質と、偶然によって、クラシック音楽の中でも稀なそんな瞬間が刻まれるようになった気がするのです。



この曲はレコードの片面に収めやすい30分いかない演奏時間と言うこともあり、様々な指揮者が名演奏を残してきました。
 
私が最も好きなのは、カール・ベームがベルリンフィルを指揮したグラモフォン盤。以前交響曲第五番を紹介した時と同じセッションの演奏です。
 


ウィーンフィルよりも重いベルリンフィルの音響が、いい具合に流麗に溶け、ゆっくり過ぎず速過ぎないテンポの中で、鄙びた空気が見事に香りたってくるのです。




私が『未完成交響曲』で思い出すのは、実は、ヴェーベルンだったりします。
 
ヴェーベルンは、「十二音技法」を駆使した二十世紀の難解な前衛作曲家と言われていますが、実は指揮者でもあり、バッハやシューベルトを編曲したりもしています。ロバート・クラフトが指揮したヴェーベルンの作品集があります。
 


十二音技法を駆使した、不協和音とも違う、透明かつ怜悧なナイフの上に置かれたような緊張感溢れる演奏をたっぷりと聞いた後、その曲集の最後に、シューベルトの舞曲の編曲が演奏されるのです。

物凄い緊張を味わった後に、どこかおずおずと、優しくさらさらと奏でられるその旋律はあまりにも甘美に身体に染み渡ります。

シャーベットを一口含んだ瞬間、楽しかった子供の頃を思い出すような、そんな甘美さ。
 
実はシューベルトを最も効果的に「味わう」には、これは最適な方法なのではないか、と思う位です。さすがに、実演でこの流れを味わうのはそうそうないわけですが、この感触に近いのが『未完成交響曲』な気がします。
 
つまり、憂鬱や緊張感に満ちた部分の隙間から、甘く柔らかい旋律を味わうこと。何かの目的に向かって頂点へと昇り詰めるのではない、そんな心地よさを目一杯感じること。
 
私たちの人生は常に「未完成」であるとも言える。そんな人生のように味わい深いこの曲は、決してその短さではなく、充実した美しさがあるからこそ、多くの人から愛されているのでしょう。



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