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【創作】列車のコンパートメントで【スナップショット】


 
 
きれいな海ですね
 
ええ、輝いているみたい
風が心地よい
思い出す
夫と海に出かけた日を
 
昔のことですか
 
ええ
あなたに話してもいいかしら
不思議ね
あなたには何でも話せる気がするの
 
ええ勿論ですよ
 
少し変な話
今まで夫以外
誰にも
話したことがない
 
旅先で会った
見ず知らずの他人だからこそ
話せることはあるでしょう
 
そうかもしれない
私は夫と大学の時に知り合って
平凡な結婚をした
娘が一人生まれて
パートをしつつ育てた
夫はごく普通の銀行員だった
特に変わったこともない善良な人だった
 
大変分かります
あなたの雰囲気からも
善良さが伝わってくるようだ
 
そうかしら
それで10年が経って
娘が実家の両親のところに
泊りにいったから
夫婦二人で
記念に海に旅行に行った
その日から
不思議な夢をみるようになった
 
どんな夢を?
 
私は夫と一緒に
山に登る
そこはとても美しい山で
緑と不思議な生物に溢れていた
そのことを夫に喋ったら
夫も同じ夢を見ていることが
分かったの
それから少なくとも週に一度は
同じ夢を見て
同じ場所で探索していた
同じ夢を見た日にはお互い
話し合ってね
他の人には、娘にも喋ったことはない
このことは二人だけの秘密だった
それが30年以上続いた
 
不思議な体験ですね
 
それでつい先日
夫が病気で亡くなった
遺品を整理していたら
沢山のスケッチが見つかった
夫は亡くなる少し前
私に内緒で
絵画教室に通っていたみたいなの
それで私たちの夢の光景を
書き留めていた
でもそれをみた時、分かった
私たち二人の
夢の中での旅はもう終わりだって
初めて実感できたの
 
美しい話です
あなたたち二人の
夢の旅の結晶ですね
 
それがねえ
一つだけ私たちの夢とは
全く違う絵があった
どこかの古い雑貨屋さんでね
とても美しいお嬢さんが
本を整理している
私の知らない人だった
夫が古本屋が好きなことは
知っていたけど
その絵以外は、絵画教室の課題と
私たちの夢の風景だけ
その女の人の絵一つだけが
異質だった
その絵を見た時に
ああ私は彼のことを
本当は何も知らなかったと
ようやく気づいた
 
お互い他人なのだから
知らないことがあるのは
自然なことです
 
ええ
でもね
私たちの夢は
私にとって
彼を所有するような強烈な感覚だった
ものすごい全能感と多幸感
私たち二人だけが
その風景を見ていて
私は彼とその時
完璧に溶け合っていた
お互いを完全に所有して
知りつくしといると感じていた
だから現実の生活では
お互い束縛しなかったし
意見が違っても喧嘩しなかった
夢の場所があるから
すれ違っていると感じなかった
でもそれは
どうやら錯覚に過ぎなかったみたい
あなたの言う通り
誰かを完璧に知ることなんて
できない
分かっていたはずなのにね
本当の意味で
私は夢から覚めたんだと思う
 
その夢の話を
本にしては如何でしょうか
 
一度考えたことがある
でも書き起こしてみたら
とてもつまらないと思えた
私が感じた
あの強烈な多幸感は
そこになかった
それでお互い記録するのを
やめていた
多分夫と二人きりだという感覚が
平凡な冒険を
特別に変えていたのだと思う
夫も同じことを言っていた
それに、夫の遺したスケッチを見ても
娘は何にも思わないようだった
多分エンターテイメントや
芸術というのは
人に何かを伝えようとするから
工夫が生まれて
価値が生まれるのだと思う
私たちが見た夢は
何も欠けているものがなかったから
誰かに何かを伝えようとする意志も
意味もなかった
だからこの話は墓場に持っていこうと
思っていたけど
あなたに話せて
すっきりした
 
それはよかったです
あなたの言う通り
作品というものは
何かが欠けているから
それを埋めるために
できるものなのかもしれない
もしかした旦那さんも
死期を悟って
誰かに何かを伝えたくて
スケッチを遺したのかもしれませんね
 
ええ
それにしても不思議
この電車
いつの間にか
私たち二人だけみたい
他の乗客は
どこにいったのかしら
それに
私はどこに行くのだったか
名前が思い出せない
 
多分その目的地は
あなたが望む場所です
あなたと
あなたの大切な人の
夢が生まれた場所
人は誰しも
自分が本当に望む場所に
帰っていくのだから

あなたと私はどこかで会った?

そうかもしれない
 
夢から覚めたはずなのに
また夢を見るのかしら
 
ええ
あなた方が何度も
夢の場所を訪れたように
人間は
多くの夢の花びらに
包まれて
まどろんでいるのだから
さあ、目を閉じて
この夢から覚めた時に
あなたは
別の夢の中に立っている
その世界に
あなたが愛する人がいなくても
あなたは必ずどこかの世界で
その存在をもう一度見つけるでしょう

ありがとう、そう望んでいる












(終)


※【スナップショット】では
ワンシチュエーションでの
短いダイアローグや詩を
不定期に載せていきます。

※過去の「スナップショット」置き場



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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