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#5わたしたちの思い
渋谷QWSでの3カ月間を踏まえた、発足からの7か月間の思いを、メンバーそれぞれが言葉にしました。
一人ひとり、ジェンダーに関する様々な問題を知ったり、当事者の方々と話したりしていく中で、自分の思考を深め、戸惑い迷いながらも活動をしてきました。
未だ、分からないこと、答えが出ないことも沢山あるけれど、考え続けること、知り続けることが何よりも大事なのだと思います。
メンバー4人のそれぞれの言葉を、じっくりと読んで頂けると嬉しいです。
Chisato
ジェンダーとは何か。
今もまだ、この問いにぶつかっています。私、というパーソナルな存在は、私自身が選択してその在り方を選んでいると思っていたけれど、もしかしたら半分は社会によって既に形づくられているのかもしれない。ジェンダーについて調べたり、セクシャルマイノリティの方々とお話しをするにつれ、そう思うようになりました。私は昔からジェンダーという枠を超えてフラットな自分でいたいと、心の中で密かに思っていました。けれど、そう思ってはいても、性別の概念に囚われて自分の言動や思考に枠を与えていたということが、活動をしていく中で澄み渡って見えてきたような印象があります。
どんな自分でもいいし、どんなあなたでもいい。
社会制度や社会の風潮によって定められた性のあり方に自分を無理に押し込む必要はなく、自分がありたい姿であればいい。そういうことを、この活動を通して出会ったすべての人から教えられた気がします。自分を偽らず、自然のままに存在している彼らの姿は格好よく、そして美しかった。「ジェンダー」という鍵括弧の中から、自由にスルスルとはみ出して、そのままの姿で強い意志とシャンと伸びた姿勢で生きている姿に、私はとても勇気を貰いました。
私が私のままである、私の行きたい道を行く、ということを選択していくことは、一見とても難しいことで、周囲の声や社会の中のスタンダードとの相違をどうしても気にしてしまうものです。けれど、自分の心の声を無視して社会がどうとか、他人がどうとかに囚われて縮こまって生きることはなんて苦しいのでしょう。大切なのは、自分がどうありたいかであり、自分の頭で思考し、自分の哲学や美学を持った上で、自分の道を選択していくことなのだなと強く思います。そして、個々人が自由な選択をして自身を輝かせて生きていく道を選ぶには、誰かのした選択を応援したり、その選択が尊重されるような社会にしていくことが不可欠であると思います。
私たちの活動は微力ではあるけれど、社会によって自分のあり方を選択できない状況を少しづつでも変えていきたい。そして、これからもジェンダーについて自分と向き合い考えながら、自分を縛るあらゆる枠や枷を、ふわっと解放していけるような作品を作っていけたらと思っています。
Art Lab Philiaの活動を今後も応援して下さると幸いです。
Kari
・自分の中の変化:
以前の私は「ジェンダー」に対していいイメージを持っていませんでした。
「自分が普通じゃない」という不安感が常にありました。
一番近い人たちとも距離感を感じ、話せなくなりました。
身近な誰かの「冗談」はナイフのように心を傷つけました。
…
私から見た「ジェンダー」はネガティブで、問題だらけでした。ですので、ジェンダーに関する活動と言ったとき、「当事者たちが抱えている苦痛を知る」とか、「辛い現状から抜け出すための方法を考える」とか、最初はこのようなことばかり考えていました。
しかし、去年の夏に行われたトークセッションをきっかけに、自分の中にあるジェンダーに対する見方がガラリと変わりました。トークセッションに参加してくださった当事者たちは自分の「性」が問題だと思いませんでした。自分の好きな姿で生き、好きなコミュニティに参加したり、広げたり、作ったり、前向きで自由に生きている姿はとても美しく、輝いているように見えました。感動を覚え、勇気ももらいました。
私はジェンダー自体が問題も悪いこともなく、ジェンダーという側面も含めて自分が望む姿で生きることこそが大切だと感じました。また、自分を守るために築き上げた「壁」はいつの間にか理解を妨げる「壁」になったことに気づきました。
そして何より、以前と比べて今は生きやすくなった気がします。
・活動に対する考え:
私にとって今の活動には二つのキーワードが含まれています。
一つは「きっかけ」です。
自分の考え方ががらりと変わって、生きやすくなったように、私たちの活動は誰かの何かのきっかけになれたらいいなと思います。
サードプレイスを見つけたきっかけ、
自分らしく振る舞うようになったきっかけ、
ジェンダーについて詳しくなったきっかけ、
アライになったきっかけ、
…
様々な「きっかけ」となり、色々な人を繋ぐことができたらうれしいです。
もう一つは「個々の力」です。
社会問題を前に、個人の力には限界があることが分かります。でも同時に、個々の力は重要であり、大きな可能性も含まれていると感じました。
自分の一言で誰かが動き出したり、自分の生き様で誰かが救われたり…個々の力はとても尊く、社会問題においても不可欠なものだと私は思います。
ですので、これからの活動の中でも個人へのアプローチを続け、一人ひとりの様々な思いやメッセージを社会に投げかけることができたらいいなと思います。
Ryota
私はこのプロジェクトを通して、メッセージと表現という関係性について考えた。
メッセージを映像にし、人々に届けるまでのプロセスを一つ一つ、多様な考えを受け入れながら、私たちは考えてきた。コンセプトから表現にするまで、何度も試行錯誤を行い、コンセプト、いわゆるメッセージは何か、何を伝えたいのか、そのメッセージは本当に私たちが選んでいるのか、様々な角度から自分を見つめ直した。
社会とアートをどのように繋げるのか、ジェンダーについて問いを持つ方々の持つメッセージを私たちがどのように表現、形にするのか、手に掴めないものを、迷いながら、掴もうとした。この掴もうとする、形を作り出そうとするプロセスの中で、自分のジェンダーであったり、表現、社会に対して思うメッセージが副次的に形作られていった。
どんなに巨大で、自分では掴めないようなものでも掴もうとすること、その巨大なものでも自分で掴もうとすること。自分はこう思えるようになったのは、掴もうとする人たちと関わり、生の声、様を見てきたからだと思う。それぞれの思う、幸せをつかむためには、掴むことを大事だと伝えていきたい。
Risa
私は12月末からこのチームに参加したため、約1ヶ月間、チームのLGBTQ+プロジェクトが進んできた歩みを追いかけてきました。まだ一緒に行うことができた活動は少ないため、私がどうしてこのチームに参加したのかを、私のこれまでと絡めながらお話ししようと思います。
まず、自分のジェンダーやセクシュアリティについて考えることは、「自分はどう在りたいのか・どう生きたいのか」に思いを巡らすことだと思います。
そのため、私は高校生の頃からこのテーマと深く付き合ってきました。
日常的に考えるようになった直接的なきっかけは、私が抱えていた生きづらさは、女性という社会的な立場だったがゆえのものだったと気づいたことです。私という個人と社会とが接続した瞬間でした。
私は2年前にNGOを設立し、現在まで、'新しいフェミニズム'の視点から社会について参加者と一緒に考えるイベントを定期開催したり、ジェンダーが関わっている様々なテーマについて自分の思いを発信したりしています。
イベントはディスカッションを中心の構成にし、敵か味方かという二項対立に簡単に陥ってしまうジェンダーをめぐる議論に対して、自分なりにアプローチしてきました。
しかし、そこで自分の活動にある種の限界を感じました。
それは、私の活動が、また別の分断を生み出す一助になっていると気づいたことです。
私は、自分の中で、マジョリティを「あるテーマに対して、切実に考えなくても生きてこれた人たち」と定義しています。当たり前ですが、そもそもイベントに参加してくださったり、記事を読んでくださる人たちは、ジェンダーに関わるテーマに関心がある人です。この人たちは、他のイベントにも参加したり、他の記事も読んだりして、どんどん見識を深めていきます。
一方で、このテーマに関心がない人たちは、おそらく自身が何かのタイミングで被害や加害の当事者になるまで、考えることなく過ごしていくのだと思います。したがって、私が行ってきた活動だけでは問題の解決になっておらず、分断の切れ目が別の場所に移動しているだけだと気づきました。そして、この構造を瓦解するためには、「無関心を関心に」して、それまで議論の「外野」にいた人たちを「輪の中に」引き込む方法が必要だと考えるようになりました。
過去にニューヨークに留学したことがあり、国際連合の本部を見学したことがあります。私はそこでソーシャルエンゲージドアートという手法に出会いました。ソーシャルエンゲージドアートとは、アートによる社会創造のムーブメントのことを指します。国連のビル内は、実際の業務に直接関係ないにもかかわらず、肌の色や宗教が違う人たちが世界平和を願う巨大な絵画が展示されていたり、核兵器使用の根絶を謳ったポップアップが展開されていたりする空間でした。これらを見て、私は、アート作品や展示の、社会課題に関心がなかった人に考えるきっかけを与えることができるという点に可能性を感じました。
このような経緯で、「無関心を関心に」「アート×社会問題」を掲げるこのチームへの参加を決意しました!今行っているLGBTQ+プロジェクトでは、参加型・対話型のアートプロジェクトをチームで行いたいと構想しています。また、社会にいる誰かが、自分の物語にできるような、誰かの居場所になれるような作品を作りたい思いもあります。
LGBTQ+プロジェクトがひと段落ついたら、他の社会課題に対してもアートによるアプローチを実践し、対立を深めていくのではなくもっと議論を促すようなきっかけづくりをしながら、社会にポジティブな力を発生させていきたいです。