未完の記:浮世絵師のグロ絵を捜索した話
※タイトル通り、未完のまま公開しています。スッキリした結末ではないため、その旨ご了承ください。
気になる新井芳宗の「グロ絵」
以前に浮世絵師・月岡芳年の弟子、新井芳宗(二代歌川芳宗)のことをARTISTIANで記事にしましたが、このときに載せることができなかった絵があります。
※以前の記事はこちらから。
この記事の「皮むき獄門を自分の顔で再現」という逸話で登場する絵です。
記事を読んでいない方に手短に説明すると、顔の皮をむくという拷問の絵を描けと新聞社から命じられた芳宗が、買ってきた牛肉を自分の顔に貼り付けて見事に描き上げた。ところが裁判所から呼び出され、判事からお叱りを受けたという話。
この“皮むき獄門”の話を紹介するうえで、「お上からお叱りを受けるなんて、かなりグロい絵なんだろうなぁ・・・」と思いつつもどんな絵なのか気になっていました。
描いた本人の証言から手がかりを探る
気になったからには探さないわけにはいきません。新井芳宗本人が語った話から手がかりを探ります。
⇒ 新井芳宗は文久3年(1863)生まれなので、27・8歳ということは、1890年から1891年。数え年として書いた可能性もあるので、捜索範囲としては1889年から1891年(明治22年から24年)でしょうか。
⇒ 芳宗と判事との会話から「絵入自由新聞」に掲載の絵ということが判明。
ここから捜索範囲を明治22年から24年の絵入自由新聞と割り出しました。
絵入自由新聞は国立国会図書館に所蔵されており閲覧可能ですが、デジタル化はされていません。マイクロフィルム化された新聞記事を約3年分捜索する必要があります。
早ければ1年未満の新聞を参照してみつかる可能性もありますが、労力を考えるともう少し範囲を絞り込む手がかりが欲しい・・・。というわけで、いったん「皮むき獄門絵」の捜索はあきらめて前述の記事を公開しました。
デジタル化資料全文検索の恩恵
記事を書いて3年後、2022年12月に国会図書館がデジタル化された全文検索対象資料を大幅(約50倍とか)に増やしたというニュースが飛び込んできました。
「もしかしたら全文検索対象の資料のなかに手がかりがあるかもしれない」というわずかな望みを抱いて検索。するとこんな資料が出てきます。
そこには大きな手がかりとなりそうな一節がありました(太字は引用者によるもの)。
芳宗本人の話と比べると新聞名(絵入自由新聞 or 東京絵入新聞)や描かれた時期(明治22~24年 or 明治17年頃)、呼び出された場所(裁判所 or 警視庁)に食い違いがあるものの、内容はこれまで取り上げてきた逸話のことで間違いありません。この資料によって「皮むき獄門絵」を描いた新聞小説が伊東橋塘による『巷説髑髏盃』だったという新たな情報が加わりました。
出てきたキーワードで再検索
掲載新聞名について、東京絵入新聞とあるのはおそらく誤りでしょう。東京絵入新聞は新井芳宗の師匠・月岡芳年のライバルである落合芳幾が創刊した新聞だからです。明治15年に新井芳宗とともに月岡芳年が絵入自由新聞に入社しており、芳宗が師匠を差し置いて東京絵入新聞の仕事をする可能性は低いと判断しました。
時期の食い違いについては、どちらの資料も昭和に入ってから書かれた文章なので、どちらかが(あるいはどちらも)記憶違いということは大いに考えられます。新聞小説のタイトルも記憶が怪しい可能性はありますが“髑髏盃”という言葉をきっかけに思い出したそうなので、「芳宗 髑髏盃」をキーワードとして検索してみます。
すると国文学研究資料館所蔵の戯作本「黄金髑髏盃」がヒットしました。
タイトルは違うものの、表紙画像には「芳宗」の文字が見て取れます。他に手がかりはないかと序文を眺めていると、次の一節がありました(太字は引用者、変体仮名は通常の平仮名に適宜直しました)。
『黄金髑髏盃』が掲載されていたのは絵入自由新聞のようです。新聞連載途中で改題されたケースは他で過去にも見たことがあったため、『巷説髑髏盃』とタイトルが違うことには目をつむります。作者は一筆庵主人とあり、伊東橋塘と同一人物の可能性も探ってみましたが、現時点ではわかりません。
(ちなみに浮世絵の世界で一筆庵といえば、浮世絵師・溪斎英泉の戯作者名でもありますが「新たに説起されたる黄金髑髏盃」と書かれていることから江戸後期の英泉とは別人と判断しました。)
さらに『黄金髑髏盃』の見開き画像を見ていくと、奥付に日付がありました。
探し求めている挿絵が描かれた新聞小説が『黄金髑髏盃』と仮定すれば(作者名やタイトルが異なるため断定はできないものの)、単行本化される明治19年2月より前に絵入自由新聞に掲載されていたはずというわけです。だとすると時期については芳宗本人の話よりも『酒談義 続』にある明治17年頃に信憑性が出てきました。
ちなみに『黄金髑髏盃』は、国会図書館のデジタルコレクションに全ページが公開されていましたが、「皮むき獄門絵」は見当たりません。新聞小説の時点でお上から叱られたあとでは、カットされていても不思議ではないでしょう。
「新聞小説の調べ方」に立ち返るも挫折
明治17年頃から明治19年2月までの絵入自由新聞というところまで絞り込んだものの、これではまだ捜索範囲が広すぎます。
仮置きとはいえ『黄金髑髏盃』という新聞小説のタイトルが判明したので、今度はこちらからのアプローチを考えます。つまり「『黄金髑髏盃』がどの時代のどの新聞に載っているか」を調べるわけです。
すると国立国会図書館の調べ方案内「リサーチ・ナビ」に「新聞小説を調べる」という、今回調べたいことそのまんまの記事が!
絵入自由新聞は「現在の○○新聞の前身」といったような、系譜を引き継いでいる新聞はありません。そうなるとリサーチ・ナビの「1. 各新聞の小説を探す」の項(現在の新聞社が持っている資料)で探すのは難しそうです。
そこで「2. 新聞小説を横断的に探す」「3. 新聞小説について調べる」にある下記の本をあたることにしました。
高木健夫編『新聞小説史年表』
高木健夫『新聞小説史 明治篇』
この2冊は幸運なことに地元の図書館にあったので、さっそく借りてみました。ところが該当する年代で『新聞小説史年表』に「髑髏盆」がタイトルについている小説は、朝日新聞の「髑髏碑由来聞書(どくろづかゆらいのききがき)」のみ。『新聞小説史年表』の【「はしがき」に代えて】には、次のようなことが書いてありました。
つまり『新聞小説史年表』はあくまで『新聞小説史』の副次的な資料であり、『新聞小説史』に登場しない新聞小説は『新聞小説史年表』にも載っていない可能性が高いということです。現に後述する新聞小説も年表に記載がありません。
最後は"ちからわざ"
ここで『黄金髑髏盃』の序文にあった、ひとつの言葉に一縷の望みをかけます(太字は引用者によるもの)。
疾くもということは、新聞小説から本となるまで、時間がかかっていないのではと推測。『黄金髑髏盃』の出版届が出された明治19年2月22日からさかのぼって、マイクロフィルム化された絵入自由新聞を捜索することにしました。覚悟を決めて、国会図書館に突撃です。
絵入自由新聞のマイクロフィルムを借りて閲覧してみると、明治18年12月までさかのぼったところで、『怪談髑髏盃』という小説が出てきました。
小説の挿絵を見ると、『黄金髑髏盃』に載っていた挿絵と同じものがちらほら。タイトルは変わっていますが、同一作品であることは間違いなさそうです。
ついに「皮むき獄門絵」を発見!と言いたいところでしたが、『怪談髑髏盃』のなか(掲載期間:明治18年11月11日から同年12月29日まで)に該当する絵は登場せず。。ただ「皮むき獄門絵」ではないものの、お上にお叱りを受けそうな「血みどろ絵」がかなり登場する小説でした。
そんなわけで『黄金髑髏盃』には載っていない『怪談髑髏盃』の挿絵をいくつか紹介します。
絵をギリギリでよけるような段組み。挿絵が読者を惹きつける力を持っていたことがうかがえる一枚。
左足がちぎれた老婆など血みどろ絵の数々。
最後の最後に
こんなマニアックな捜索を最後まで読んでいただきありがとうございます。結局、お目当てのグロ絵はみつかっていません。ここまで詳細を明かしたのは、あわよくば他にいい捜索方法や手がかりがあれば教えてほしいという下心もあります。もし何かあればご一報ください。
※追記
『黄金髑髏盃』の巻末に掲載新聞がハッキリ書いてあることをTwitterでご指摘を受けました。
たしかに新聞名と号数がちゃんと書かれていました!しかも新聞掲載時の小説タイトルが『怪談髑髏盃』であることもわかる記載もありました。みつかった資料をしっかり確認することって大事ですね・・・。
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