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悼む心

今朝、我が家のカブトムシ(カブトくん)が力尽きた。転倒によるものだった。
ショックが大きく呆然とする。まだ身体が温かいくらいだ。足もツノも立派にしてる。
止まり木をもっと増やすべきだった。チップのようなもの。寝床の枯葉が多すぎたかもしれない。
一度ひっくり返ってバタバタしているところを発見し、急いで戻した。その時に、転倒防止の工夫をなぜしなかったんだろう。。

ーーー
ここで、ハタと気づく。
僕の心は、目の前のカブトくんの旅立ちへの「悼む」気持ちより、自分を責める反省や後悔の念に襲われていた。そこには愛する家族より、自分の気持ちを優先させていた。

それはそうだろう、と思うかもしれないが、よくよく考えてみる。この喪失感を埋めるために、人の心が作用する仕組みを。僕はいつだって、自分を責めてきた人生だった。子供の風邪ごときでもそうだ。
喪失感を埋めるのは、ありがとうという感謝こそ、カブトくんのためになるのではないか。
しかし、急に感謝という方向に舵を切れない。それこそ自己洗脳のいうもの。まずは、この悲しみや喪失感を「ありのまま」受け止めること。ただ、見つめる。それがマインドフルネス。「悲しみがそこにある」と禅師も言っている。

息子は、金魚の別れでも大泣きした。そして「カブトくんがいるよね!」と彼なりに喪失感を埋めようとした。息子はどうおもうだろう・・と考えると、また「ありのまま」から離れてしまう。

心は忙しい。いつも大切なことを逸らしてしまう。悼む、ということを真剣に考えてみよう。
ありがとう、カブトくん。大往生だった。立派だった。

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画家・ペーの日記
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