巨匠の試し書き。 小部屋での発見。 n.2
全員が固唾を呑む。
ずっと昔に年配の学芸員が言っていたことは本当だった。
1メートルにも満たない木製の扉を開けると、暗闇の中に狭く急な階段が現れた。階段は、地下に繋がっている。10数段はあるだろう。
どのような状態になっているのか分からないので、扉を開けたままにし、地下に入る装備を整える。
湿気とカビの入り混じった匂いのする、狭い階段を一段づつ降りていくと、細長く狭い空間が現れた。暗闇に懐中電灯を照らし周囲を観察すると床には砂や泥が積もり、壁はカビで黒くなり、蜘蛛が至るところに巣を張っている。木炭の跡もある。電気ストーブが登場するまで、新聖具室の学芸員が暖を取るために使っていた木炭ストーブの木炭置き場になっていたらしい。
狭い空間には明かり取りの小さな窓があり、木製の鎧戸を開けると、薄暗い空間に光が差し込んでくる。
通りを歩く人々の足元が見える。礼拝堂の広場に面しているのであろう。
改めて室内を見渡してみると、床には乾き切った泥土が固まっている。
1966年11月4日に起きたアルノ川の大氾濫は、フィレンツェに甚大な被害をもたらす。
フィレンツェを救うため、人々が世界中から駆けつけ、彼らは泥にまみれた天使ダーティエンジェルと呼ばれる。
氾濫後の水浸しの街では、芸術作品を救う人々、自宅から泥を掃き出し掃除をする人々、それぞれが自分達のできる作業を行い、復興のための足掛かりを一歩づつ進んでいた。
完全に人々から忘れ去られているメディチ家礼拝堂の地下室は、アルノ川氾濫のときも、沈黙を続ける。
乾いた泥土は、そのときのものだ。
幸運にも、地下室には昔使われていた井戸と排水溝あった。いったん浸水したもののすぐに水が掃け、保存状態はそこまで悪くはなかった。
歴史や修復を知っている者は、汚れ切った壁が目の前にあっても、見えている部分だけでは判断しない。
お店やホテルを新装するために改装工事をしていたら、漆喰の下に中世時代のフレスコ画が見つかるなんてことは、歴史の深いイタリアでは珍しいことではない。
汚れ切った壁の漆喰の下に、別な漆喰があるかもしれない。
すぐに修復師を呼び、作業が開始する。
作業を開始した翌日の、1975年11月の早朝。電話が鳴り受話器を取ると、挨拶もなしに修復師の高揚した声が聞こえきた。
すぐに来てください!!
地下に降りると修復師が待ち構えている。漆喰の下に別な漆喰があると言う。
最初の層を取り除くと、2層目が表れ、さらにその下にもう一層ある。修復師が専用のメスを2層目の漆喰に慎重に当てると、思ったより簡単に剥がれ、3層目の漆喰が顔を覗かせた。
とても古いものであることが想像できる。
さらに、ところどころに黒色の太い線が現れてきた。
足のデザインのように見える。
自分の見ているものがいったいなんなのか。二の句が告げず、呆然と立ち尽くす。
もしかしたら、これは世界的に重要な発見になるかもしれない。
作業を続行することを告げ、数ヶ月が過ぎる。
気候が和らぎ始めた翌年1976年3月、作業を終た地下室に、全容が現れる。
奥行き10.5メートル、幅2.65メートル、高さ2.50メートルの地下室は、デッサンで埋め尽くされていた。大きく引き伸ばされた人体像、さまざな顔の表情、足や手の動き、ダイナミックで力強い筆力に圧倒される。
胸は高まり、興奮を抑えることができなかった。
美術史家や学芸員を呼び、調査が始まる。
この筆跡は、違いない。
ミケランジェロのものだ。
報道陣が訪れ、新聞やテレビで報道されると、このニュースは瞬く間に世界に広がる。
指紋も残されていた。
警察が指紋採取を行い、ほかの作品に残されていたミケランジェロの指紋と照合すると、ぴったり一致した。地下室のデッサンは、ミケランジェロの手によるものであることが証明される。
次回につづく。
みなさま、立ち寄って下さり、ありがとうございます。
秘密の小部屋を発見したパオロ氏は、この書籍の作者です。
今回の物語の参考書になっています。
最後までお読みくださり、ありがとうございます!!
ぜひ次回もお立ち寄りください!