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糸杉に響く、とんからり。若き機織り職人の物語 - n.1

Ozio Piccolo Studio Tessile

シモーネ・ファッリ。1988年生まれ。 
職業、機織り師。

彼の活動の拠点は、
自然に囲まれたトスカーナ地方の一角。

Ozio Piccolo Studio Tessile
小さな織物スタジオ「オツィオ Ozio」が
彼のアトリエです。

彼の作品と初めて出会ったのは、21年のAritiginato e Palazzo。柔らそうな布の感触や、優しい風合いに目を奪われたのを覚えています。その後も、展示会や、青空市場で出会うことが度々あり、言葉を交わすようになります。

話しをすればするほど、彼の仕事に対する想いや情熱が伝わってくるので、インタビューをさせてもらえないか聞いてみると、快く承諾してくれました。

彼のアトリエを訪れた後に、日本へ帰省していたりと、予定より時間がかかってしまいましたが、22年最後の投稿にシモーネの言葉を載せられることは、とても嬉しいです。

シモーネのアトリエは、ご自宅でもあります。にわとりが庭を闊歩する、空気の澄んだ屋外から、お家にお邪魔すると、朝日が差したアトリエには、ジャズが低い音量で流れており、エスプレッソコーヒーの香りが漂っています。

こういう環境だから、あの美しい布が生まれるんだなと、勝手に納得しつつ、シモーネさんのインタビューが始まりました。

どうして、Ozio(オツィオ)という名前にしたのでしょう。

「好きなことを好きなときに、
心が赴くままに時間を過ごす」
という意味合いがあります。

参照:Wikipedia Ozio - Dolce far niente  
by John William Waterhouse

ゆっくり時間を過ごすことは、いまの世界で、もっと再評価されてもいいんじゃないかな。

好きなことを仕事にしていると、『生活のために仕事をしている』感覚がないでしょう? 僕にとって機織りは、夢中になれて楽しいこと。まさにOzioなんだよ。

フリーランスで活動するにあたり、名前とロゴとどちが先に思い浮かんだのでしょう?

同じくらいです。

ロゴは、縦糸と横糸にみえますが、ご自身で考えましたか?

もちろん!
縦糸と横糸を連想させるようなものを、ロゴにしたかったんです。さらに、僕が感じる、デザイン、幾何学、精密性を感じ取ってもらえるように考えました。

でも、Ozioのロゴは、フリーハンドで書いているので、ちょっと曲がっています。これも、僕の一部。この2面性を出せるように、名前のデザインとロゴを組み合わせています。

誰にもお願いせずに、ご自身で考えて作られたんですね。

名前とロゴは、自分で考えました。すべてが繋がり交差することで、ひとつの文脈ができあがります。それが、とても大切なんです。

自分でやらない人も多いですが、僕は絶対に必要だと考えます。それぞれの考え方や、やり方があるでしょう。でも、自分の思いや考えを名前やロゴで表現することは大切です。ロゴをみてすぐに僕だとわかってくれるのが嬉しいです。

いつ頃から手を使う作業に興味を覚えたのでしょう?

僕の場合は、幸運にも叔父が機織り職人で、いまでも現役です。

好きかどうかも分からずに、僕が19歳のときに叔父のもとで機織りという仕事を初めました。

19歳から6年間、機織りを学び、しっかり基本を身につけ、一歩づつ、自分のスタイルを探っていきました。

シモーネさんは海外へも行かれたようですね。

ええ。僕のバックグラウンドは、ちょっと他の人と違うんです。

叔父のもとで仕事をする前の数年間は、修復師でありインテリア・デザイナーでもあった職人のもとで仕事を手伝いました。そのときに、アンティック家具を修復する技術や、壁に絵を描く技術を学びました。

ということは、機織りを始める前ですよね?

はい。そうです。

叔父さんのところで仕事に就く前ということは、まだ高校生のときに、ヨーロッパへ行かれたんですか?

高校3年のときに(注:イタリアの高校は5年生です)中退したんです。

中退してヨーロッパに行き、さまざまな仕事を体験しました。両親の世話にならずに、自分の足だけで立ちたかったんです。

高校は面白くなかったんですか?

通った学校が、まるで自分に合ってなかったんです。数学や化学を中心とした科目が多くて、僕には、まるで肌に合わない。僕が僕じゃないような感覚で、うん。僕じゃなかった。

本当に僕が興味のあるものはなんだろうと、自分に問いかけたときに、手を使う作業が好きだということに気がつき、そこから、自分の内面にあるものを、自分自身で開拓しながら、独学しました。

おじさんから機織りを教わったのは、独立しようとしたからですか? それとも興味があり習いたかったからですか?

習い始めたときは、独立することは考えていませんでした。でも時が経つにつれて、少しづつ考えるようになりました。

叔父には30年以上の経験があり、彼なりの仕事の方法があります。叔父の織りは、2枚の綜絖(そうこう)を使ったシンプルなものです。

いま、僕は4枚の綜絖(そうこう)を使っています。

綜絖(そうこう)とは、縦に針金のようなものが伸びているもの。
機織りの横から見ると、
4枚の綜絖であることが良くわかります。

しばらくは、それに倣っていましたが、僕がやりたいことは、ほとんどできなかった。

仕事を覚えているときも、いろいろな機織り職人と出会い、それぞれの織りを見ているうちに、自分を織りで表現したくなったんです。

いろいろなアイデアが浮かんできて、自分の作品を作ってみたいという気持ちが膨らんでいきました。そのときの気持ちは、いまでも続いています。

織りの世界は広いですものね。

広いです。織った布は、ソファやクションのカバー、ランプシェードなどのインテリア、ブックカバー、洋服、ストール、鞄、あらゆる分野に使うことができます。

織りの分野は、若い子たちも興味があるようですね。

リジオ財団(Fondazione Arte Della Seta Lisio)へ訪れた時、イタリアはもちろん、海外からの学生達も、たくさんいるのに驚きました。

リジオ財団は、中世の絹織物組合から流れを汲んでいる老舗の財団です。昔の機織り機を使い、新しい布を織り、古い布を修復しています。教育にも力を入れており、付属の学校もあります。機会を見つけて皆様に紹介したい場所です。

そうですね。リジオ財団といえば、この前、学長が僕のところに来られました。僕の準備が整えば、すぐにでも研修生を受け入れることになっています。

リジオ財団が運営する学校は、本当に素晴らしところで、そこから研修生を迎えるようになるなんて、すごいですね。研修生がくれば、シモーネさんの仕事も手伝ってもらえますね。

そうなんです。そのためにも、大きな機織り機が2台は置ける、いまよりも大きな作業場を探しているところです。

コロナの隔離中は、どう過ごしていましたか?

2020年4月から始まった、厳しいコロナの隔離中は、いろいろな局面があったけど、街じゃなく田舎に住んでいることが、僕にとっては幸運でした。

外に出ても誰とも会うことはないし、かといって、3家族が同じ建物に住んでいるので、まったく孤独でもない。コロナ中に、鶏の小屋を建てたり、庭を整備したり、充実した時間を過ごせました。

これが、その鶏小屋です。

このくらいの大きさのお家なら、
わたしが住みたいです。
彼らの庭の遠方には、
塔の町サンジミニャーノが見えます。

一方、仕事の面では、どうしたらいいのか分からなくて、ものすごくストレスを抱えました。

僕がフリーランスとして仕事を開始したのが、2019年9月。自分の機織り機が完成して間もない頃で、固定のお客様もいなければ、展示会にも出展できない。

自分の商品を直接に販売する唯一の機会を失ってしまいました。独立してすぐに、この状況かぁ。と、現実を前にしてすごく怖かった。

でも、時間が経つとともに、だんだん気分が落ち着いてきて、いまだからやれることに集中しました。

職人はホームページを作るのを、先延ばしにしがちだけど、僕はすぐに作り始めました。その甲斐があり、少しだけ僕の生活の助けになりました。

独自のe-コマースを持っているのは強みです。確かに、職人の商品は、手で触れてみて感じる良さというものがあります。

でも、出展した展示会で、僕の商品を自分用に購入してくれた海外の人が気に入ってくれて、プレゼントのために、インターネットから購入してくれることもあるんです。

この環境が与えたものは、なんでしょう。ここに住んでいるからの、インスピレーションはありますか?

ここに住んでいるということは、仕事と生活が同じ空間にあること。ときには大変なときもあるけど、自然の色や形を日々感じながら、田舎ならではの時間のゆるやかさがあり、この環境が、僕を機織りに集中させてくれるんです。

穏やかな空間に身を置くことは、とても大切。鳥がさえずり、遠くではトラクターが走っている。いまのようにね。

夜は静けさに覆われて、仕事からも解放される気分になります。

いまの家は、いつから住み始めたのでしょう。

こんな感じの家をずっと探していて、偶然、友人から紹介してもらい、2019年から住んでいます。

たまにフィレンツェの空気を吸いたくなるときもあるけど、車で1時間以内で行けるのも気に入っています。

街に住もうと考えたことはありません。僕にとって街は仕事をするところで、住むところではないんです。

基本的に、田舎での生活が自分には合っているんでしょう。


オツィオのシモーネさんのインタビューの1回目は、彼が機織りを始めたきっかけ、いまの家に移り始めてから、コロナになり、自宅兼アトリエとして生活する彼は何を考え、どうしたのか、などを伺ってきました。

次回は彼の機織りや織ること対する想いを、話して頂きます。

機織り機の奏でる音とともに、美しい生地が少しづつ織られていきます。
(この動画は、2023年4月に新しく載せています。)


最後までお読みくださり、
ありがとうございます。
ぜひ次回もお立ち寄りください。


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イタリアのモノづくり | ようこ
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