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解放されたアートと勇士たち。 n.1 - 戦争前夜

ローマで開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」をもとに、美術館で鑑賞するのとは異なる、アートの歴史をご案内します。

これは、自分たちの命をかけて、アートを守る勇士に身を転じた、美術館の館長達の物語です。

1943年12月22日
ベニス、ローマ、ミラノから集められた、我が国の宝である美術品が、今夜、ようやく、バチカン市国に向けて出発する。
ラバンニーノの姿を見つけたときには、涙が溢れてきた。 

パスクアーレ・ロトンディの日記より

高く積まれた砂袋。その奥にあるのは。

参照:Raffaella Arpiani - Arte essenziale

世界の至宝といっても過言ではない、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐。

参照:Raffaella Arpiani - Arte essenziale

最後の晩餐が描かれている、サンタマリアグラツィア教会。戦後に再建されています。

1943年8月の連合軍によるミラノへの集中砲撃により、サンタマリアグラツィア教会の壁は崩れ落ちました。この惨状で、天井まで高く積まれた砂袋により爆撃を免れ、奇跡的に最後の晩餐は助かります。

参照:Raffaella Arpiani - Arte essenziale

戦時中、人の命を救うように、世紀を超え生きづつけてきた芸術作品を守った勇者がいます。

その勇者とは、イタリア各地の美術館の館長達。時代が異なっていれば、作品の展示方法を考えたり、作品をカタログ化したり、論文を執筆し、美術館が所有する作品を世に知らすべく活動をしていたことでしょう。

彼らは武器も持たず、
自分たちの小さな自家用車で方々を周り可能な限り作品を集め、
見つかったら重刑になることを承知で自宅に作品を隠し、
守り抜きました。

彼らの懸命な努力と、勇気ある決断と行動により、作品は生きながらえ、私たちは、その前に立つことができます。

*****

戦争勃発前夜のきな臭い匂いに包まれるイタリア。

イタリアの各地の美術館の館長達は、そんな空気を敏感に察知し、水面化で動き始める。

作品を守らねば。

それは、ドイツ軍により奪われるであろう作品を守り抜くだけでなく、爆弾や砲火により、人間の歴史の一部である大切な芸術作品が無惨にも一瞬で消失するのを防ぐためであった。


1938年5月

ヒットラーがイタリアを訪問。美術館に足を向けた時に、自分の美術館を作る構想が生まれる。

2世紀に製作された古代ローマ時代のオリジナルの彫刻「Discobolo(円盤投げ)」を、ナチ党に傾倒していたドイツ出身のイタリア王子ダッシオ(d'Assio)にヒットラーが話を持ちかけ、イタリアから合法的に買い取る。

オリジナルは、紀元前450年頃にミロにより製作されたブロンズ像。古代ローマ時代には、50体ほど模倣されるが、いまに残されているのは数体のみ。

若い頃に画家を目指したヒットラーは、完璧な正確さと端正な美しさの両方を併せ持つ、この稀有な古代ローマ時代の彫刻を所有物にする。

が、これは始まりに過ぎず。

ウィーン美術アカデミーを受験し2度失敗したヒットラー。アートに対する劣等感を、世界的に有名な芸術作品をプライベートコレクションにすることで満足しようとしたのかもしれない。

同年10月
ジュゼッペ・ボッタイ文化政策大臣は、イタリア所有の芸術品が強奪されるかもしれない危機と、戦争が勃発したときの被害を察知し、全国の美術館館長に、所蔵する作品を3つのグループに分けさせ、その保管方法の指示を出す。

グループ1)最重要作品
気密性を保持するために亜鉛めっき鋼板(トタン板のようなもの)で梱包しキャンバス生地で覆ったら、木製の箱に入れ、綿を詰めたクション材で隙間を埋めること。

グループ2)次に重要な作品
グループ1と同様に、とにかく街から脱出させなければならない。適切な梱包を施し、安全だとされる美術館にトラックで移動し地下に保管すること。

グループ3)あまり重要でないとされる作品
移動はさせずに、美術館の地下に保管すること。

建造物、噴水、フレスコ画など、移動不可能な作品は、砂袋等で覆い壁を作り保護すること。一方、絵画と彫刻は、安全な場所へ避難させること。

ベニスのサンマルコ寺院
ベニスのサンマルコ広場の円柱

保管方法は、国立の美術館だけでなく、国管轄外の教会やプライベートコレクションにも周知させる。

美術館に所蔵されている作品は、何世紀にも渡り受け継がれてきた、優劣をつけることのできない大切なものばかり。館長達は、断腸の思いで作品を選ぶ作業を始める。

1939年9月

ドイツ軍がポーランドに侵入し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し第二次世界大戦が開戦。

同月に、マルケ州の美術館や芸術作品の責任者で、美術史家でもあるパスクアーレ・ロトンディと、1900年代を代表する歴史評論家のジュリオ・カルロ・アルガンの二人が、戦争が起きたときに、どう作品を守るべきか、話し合いを持つ。

ジョージクルーニー監督主演の映画、邦題「ミケランジェロ・プロジェクト」。戦火で消失するのを防ぎ、ドイツへ運ばれた芸術作品を大戦後に取り戻す、アメリア人有志の物語。彼らはモニュメンツ・マンと呼ばれていたので、映画のオリジナル名も「モニュメンツ・マン」。

パスクアーレ・ロトンディとジュリオ・カルロ・アルガンは、イタリアを代表する、モニュメンツ・マン。彼らの活躍がなければ、私たちの前から一生消え失ってしまったかもしれない作品がどれだけあったことか。

ピエロデラフランチェスカ作の
セニガッリアの聖母

ウルビーノのドゥカーレ宮にある
マルケ国立美術館所蔵

戦争が起きたときのために、イタリア国内の美術館から作品を移動させ、ウルビーノのドゥカーレ宮殿の地下に避難させよう。

参照:UnsplashのMarian Luziが撮影

1940年

5月 ドイツ軍がフランスを攻撃。

6月 ジュゼッペ・ボッタイ文化政策大臣がイタリア国内の美術館をすべて閉鎖する。

美術館所蔵の作品はすべて避難され、作品を取り外された壁だけが、がらんと残されている。誰もいない静かな空間は、かつて経験したことのないような攻撃に向けて震えているようにもみえる。

パスクアーレ・ロトンディは、ウルビーノのドゥカーレ宮殿にすべての作品を移し終え胸を撫で下ろすも、宮殿の周囲に軍隊が多いのが気になった。

彼の直感が、宮殿の地下に移動された作品の今後の運命を大きく左右することになる。

次回につづく。

解放されたアートと勇士たち
記事リンク
第1話:
戦争前夜 (本編)
https://note.com/artigiana_arte/n/nb4a9df648443
第2話:開戦
https://note.com/artigiana_arte/n/n974d965b2770
第3話:奇跡の木箱
https://note.com/artigiana_arte/n/n6316c22e615a
第4話:砲撃をくぐり抜け車を走らせる。新たな救出作戦。
https://note.com/artigiana_arte/n/nda02305850ce
第5話: ミラノ、ベニス、フィレンツェ、ローマの館長たち。
https://note.com/artigiana_arte/n/nb704af07bfdd
第6話:イタリアの無名の英雄たち。
https://note.com/artigiana_arte/n/n1d63c7a8bc38
第7話:もうひとりの英雄と、戦後の勇士たち。
https://note.com/artigiana_arte/n/ne737086b9910


参照:『ARTE LIBERATA 1937-1947』 
ローマのクイリナーレ宮殿の美術館で開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」。


最後までお読みくださり
ありがとうございます。

「解放されたアートと勇士たち。」
連作で投稿していきます。
よろしければ、明日もお立ち寄りください。

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映画『ミケランジェロ・プロジェクト』
実際の話をもとに製作されています。




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