
銀行とアートの関係。 n.2。
前回は、フィレンツェ貯蓄銀行財団のアートコレクションをご案内してきました。お金を扱うだけでなく、銀行が芸術作品の蒐集を始めたのはなぜでしょう。
前回はこちらです。
フィレンツェ貯蓄銀行の成り立ち
フィレンツェ貯蓄銀行が設立されたのは1829年。いまに生きる私たちは、ひとつの数字として年代をなんとなく受け流しがちですが、日本は江戸時代。イタリアは小国が寄せ集まった半島で、イタリアという国はまだ生まれていません。フィレンツェ市ではなく、トスカーナ大公国だったときのことです。
大公は婚姻関係によりメディチ家と密接な関係を築いていたハプスブルク家の家系であるピエトロ・レオポルドです。メディチ家は1743年に最後の末裔が他界し断絶しています。

参照:Wikipedia
1700年後期から、イギリス人をはじめとした欧州人がフィレンツェに居住を移し、独自のコミュニティを築いてはいましたが、フィレンツェの当時の主産業は農業です。
生きるための糧を得るために、畑を耕し農作物を収穫し、家畜を飼いチーズやハムを作る日々。自給自足で生活していた人々の暮らしは困窮し、いまからは想像できませんが、貧しい国でした。

参照:Accademia Georgofili
もちろん、労働災害や社会保障制度も存在しません。一区に複数堂あった教会はナポレオンにより一部解体され、教会が維持してきた慈善ネットワークも縮小しています。
この現状を打破できる方法はないか。
コジモ・リドルフィ侯爵は、有志三人で自分達の研究を広めるために「トスカーナ地方における農産新聞(ジョルナーレ・アグラリオ・デッラ・トスカーナ)」を1827年に創設します。

新聞ではなく、厚みのある書籍です。
参照:https://www.fstfirenze.it/
同時に、庶民を助け農業への投資を奨励する貯蓄銀行の設立を発案し、2年後の1829年に、フィレンツェ貯蓄銀行(カッサ・ディ・リスパルミオ・ディ・フィレンツェ)が誕生します。
母体となったのは、コジモ・リドルフィ侯爵をはじめとした地主貴族が属していた「ジョルゴーフィリ(Georgofili)学会」です。1753年にフィレンツェで創立されています。
ジョルゴーフィリという発音しづらい言葉は、ギリシャ語が由来です。Georgos は「農民」や「農業従事者」、fili は「愛する」や「親しみを持つ」を意味します。
すなわち Georgofili は農業を愛する人々と訳せ、「農業の発展を促進する」という意味になります。
ジョルゴフィリ学会は、世界最古の農業、環境、食品に関する機関で、現在も活動を続けています。

1827年創刊の農産新聞より。
参照:https://www.fstfirenze.it/
研究者であり優れた経営者でもあったコジモ・リドルフィ侯爵を筆頭に、フィレンツェ貯蓄銀行の創設者の多くは「ジョルゴーフリ学会」に属していました。
1836年にコレラが流行した際には、当時の銀行長で、のちにイタリアの首相となるベッティーノ・リカーゾリのもと、福祉や社会支援活動が開始されます。このときの活動が、財団の社会貢献の礎となっています。
余談ですが、キャンティワインを好きな方は「リカーゾリ」という名を耳にしたことがあるかもしれません。ベッティーノ・リカーゾリは、1141年から続いている一族で、キャンティ地区にあるブロリオ城の周辺には彼ら所有の葡萄畑が広がっています。

1865年にようやくイタリアがひとつの国として統一し、その後、第一次世界大戦、ファシズム時代、第二次世界大戦という激動の時代を生き抜きます。
1950年代から60年代にかけて「奇跡の経済」と呼ばれるイタリア経済成長期が訪れ、その波に乗り貯蓄銀行も成長します。珠玉のイタリアンデザインが生まれたのもこの時期です。
イタリア銀行の大きな転換期となるのが、1990年に施行される「アマート法(法律第 356 号)」です。
銀行から暖簾分けした財団
「アマート法」により、金融機関が再編成します。当時のイタリア首相ジュリオ・アマート(Giulio Amato)の名にちなんで「アマート法」と呼ばれています。
競争力のある金融システムを構築するために、銀行の民営化を促進します。
貯蓄銀行も、一般の商業銀行と同じような形態で運営できるようになり、商業活動一本に絞り専念するようになります。
そうなると、銀行の一部だった、社会貢献、慈善、文化財保護といった活動は、どこへ行ったらいいのでしょう。
これらの活動は、アマート法により新しく設けられた「財団」という機関が担うようになります。
これにより、銀行は商業活動に専念し、財団は社会的な貢献を引き継ぐ形となったのです。
芸術の宝庫であるイタリアでは、各地に素晴らしい作品が残されており、フィレンツェに限らず、イタリアの地方銀行では、自分たちの地域で活躍する芸術家の作品を蒐集しています。
わたしがフィレンツェ貯蓄銀行財団で見学したのも、それらの作品です。
財団が設立される前は、銀行内の会議室などに、あたかもカレンダーのように壁に掛けられており、分煙がない時代、これらの貴重な作品は、銀行員のモウモウと巻き上がるタバコの煙のなかにあったと、元銀行員が話をしていたのが印象的でした。
合併買収の波にのまれ、フィレンツェ貯蓄銀行は、2019年に北イタリアのトリノに本拠を置く、銀行グループ「インテーザ・サンパオロ銀行」に吸収されますが、財団は独立した活動を続けています。
2024年10月14日のデータによると、銀行系の財団は以下のようになっています。(https://www.acri.it/)。

赤:中央/緑:南
データの出典元であるACRIは1912年に創立した機関で、 Associazione di Fondazioni e di Casse di Risparmio Spa(財団および貯蓄銀行協会(株))の略語です。銀行から移管した85の財団から成っています。
どのような機関か、要約したものがこちらです。
創設以来、財団は26億ユーロ以上を支出し、福祉、文化、イノベーション、環境、教育、研究に至るまで、さまざまな分野で40万件以上の活動を行っています。財団の使命は、地域社会および国全体の文化的、社会的、経済的な発展を支援することで、活動に使われる資金は、財団の資産運用から得られる利益であり、総額で約400億ユーロに達しています。
イタリアの地方銀行から暖簾分けした財団は、地域に密着したアートコレクションを所蔵していますが、イタリア全国の銀行を吸収した「インテーザ・サンパオロ銀行」は、ミラノ、トリノ、ナポリ、ヴィチェンツァの4県にガレリア・ディ・イタリア(Gallerie d'Italia)という美術館を設立しています。
特にミラノのスカーラ劇場近くの美術館は、常設展の銀行コレクション以外にも、毎年興味深い展示会を開催しています。

フィレンツェの隣街のシエナには、1472 年に設立されたイタリア最古の銀行「モンテパスキ・ディ・シエナ」があります。現在も同名で営業しており、シエナ地方の多くの芸術遺産を抱えています。

銀行や銀行系財団では、定期的に無料見学会を開催しており、子供達や、アルツハイマーの方達のための見学会も無料で実施しています。


フィレンツェを例に取ると、銀行頭取や財団理事は、リッチ、プッチーニ、コルシーニ、トリジャーニ、フレスコバルディ、アンティノーリ、マッツェイと、何世紀何世代も続いてるフィレンツェを代表する貴族の名が挙げられます。
銀⾏コレクションの根底には、 中世時代からパトロンとして芸術を擁護する流れを汲む、ひとつの⽂化を感じ取ることができます。
財団コレクションを開放することにより、市民のためのコミュニティの場が設けられ、文化の成長に繋がります。市民が成長すれば、銀行が成長する可能性もある。これは銀行側の戦略でもあります。
インテーザ・サンパオロ銀行の名誉会長ジョバンニ・バゾーリ氏の言葉が印象的です。
財団発行の豪華アート本
わたしが常々感心するのが、財団が発行する豪華装丁のアート本です。著名な芸術研究家に監修と執筆を頼み、カラー写真満載で、ハードカバーの厚みは3センチから5センチ。ずっしりと重たく、片手では持ちきれません。
全体を眺めると、フィレンツェに縁のあるテーマなのが良くわかります。生誕や修復を記念し発行することが多いようです。

小都市の銀行の本は、地元に密着したロマネスク様式の教会シリーズが多く発行されています。右下の写真は、モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行発行のもので、中世時代の銀行の様子が描かれています。

巻頭には、必ず理事長の文章が載せられています。

いかにもお金がかかってそうな財団発行のアート本ですが、書店に並ぶことはありません。財団の活動は非営利なので、非売品です。
この貴重な非売品を手にすることができるのは、上顧客や銀行員。上顧客には進呈され、銀行員は、行内に棚積みになっている本を自由に持ち帰って良いことになっているようです。
行員のなかには、本を手にしたその足で古本屋に直行し、即座にお金に変える輩もいると聞きます。
一般人がどこで入手できるかというと、やはり古本屋です。
価格は、3000円から2万円もしくはそれ以上と幅があります。同じ本が、あっちの古本屋では5000円、こっちの古本屋では1万円ということもあるので、古本屋を徘徊しながら相場を見極め、お買い得品を探すのも楽しいです。

イタリアでは、路面店の古本屋もありますが、通りに面して古本を販売している屋台もあり、もしこのような本に興味があれば、梯子しながら興味のある本を探し歩くのも、この国の楽しさのひとつです。

フィレンツェ中心街に3軒ほどあります。
わたしも探し歩くのが好きで、たまにこのような本に出会うことがあります。「蔵書票(ぞうしょひょう)」と呼ばれる、エクスリブリス。カバーを取らなければ分からない、表紙の内側に貼られていることが多く、購入してから気づきました。

本の持ち主を明らかにするための小紙片で「ex libris」という言葉と蔵書の持ち主の名前があります。
好奇心にかられフレーズを調べてみました。「incontro alla tempesta con passo leggero」は日本語で「嵐に軽やかな足取りで向かっていく」という意味で、困難や困惑、逆境に直面しても、恐れずに冷静に、または軽快に対処していく姿勢を示しているそうです。
巡りめぐって出会ったのも何かの縁。以前の持ち主を偲びつつ、どうしてこのデザインにしたのかなど、さまざまな推測をしながら、大切に手元に置いておきます。
タイトルの写真は、1800年初頭のフィレンツェ中心街の様子です。イタリア統一前のフィレンツェの風景は、いまとは異なります。都市計画のために中世の面影を残す街並みが消えてしまいました。
当時の画家が記録として描いた作品が残されており、フィレンツェ貯蓄銀行財団のコレクションになっています。機会がありましたら、こちらもご案内したいと考えています。
最後までお読みくださり、ありがとうございます!
今回の記事は、数年前からお声をかけて頂いて年2回投稿している「美術による学び研究会 LEARNING THROUGH ART」で去年発表した記事を元に書いています。ご興味のある方は、ぜひ公式サイトを覗いてみてください。
美術を広め楽しく学んでもらうためにはどうしたら良いかという課題に、真剣に取り組まれている記事が発表されています。このような場に呼んで頂いて、わたしはいつも心臓が縮み上がってしまうのですが、美術に携わる教育関係をはじめとした方々の投稿は、とても刺激される濃い内容です。
美術による学び研究会 LEARNING THROUGH ART
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