巨匠の試し描き。 プライベートのデッサン室。 n.5(最終回)
現在はフィレンツェのバルジェッロ美術館に展示されている、ミケランジェロの未完の作品。2018年に日本でも展示されている。
「ダヴィデ」と「アポロン」ふたつの名前を持っている。
ダヴィデは旧約聖書に登場する国を守る英雄。
アポロンはギリシア神話のオリンポス十二神の一柱。音楽、医学、予言など様々な側面を持ち、シンボルは竪琴。
特徴の異なるダヴィデとアポロンが、なぜ一つの名になったのか。
当初は新聖具室に飾る一体としてダビデ像を製作していたらしい。だが1529年に起きたフィレンツェ包囲戦のために頓挫。
包囲戦で敗戦したフィレンツェでは、メディチ派のバッチョ・ヴァローリが国を治めることになり、ミケランジェロに作品を製作するように命ずる。
バッチョ・ヴァローリは、敗戦時に身を潜めていたミケランジェロを躍起になり探し出そうとした指揮官である。
やがて赦免されたミケランジェロは、クレメンス7世の時のように、プライドを曲げ、彼の依頼というよりは、命令を受け入れるしかなかった。
そこでダヴェデ像を製作しようと彼の工房に置かれたままになっていた未完成の彫刻に変更を加え、アポロンを製作したという説が有力である。
ダヴィデは、強敵を倒そうと投石器を左肩にかけ岩石を投げつけようとする姿。
アポロンは、人間に当たれば苦痛なく一瞬で即死する金の矢を射ようとする姿。
目的は異なれど、体の動きは似ている。
ミケランジェロを神のように崇め、同時代を生きたヴァザーリは『芸術家列伝』という書物を残している。そこでこの作品を「アポロン」と呼んでいるが、その後、メディチ家当主が代変わりし目録を登録するときに同作品を「ダヴィデ」と記載している。
結果、『ダヴィデとアポロン』のふたつの名で呼ばれている。
名前を決めるために、美術史家や研究家が頭を悩ませた作品のひとつであろう。
真実を知るのはミケランジェロのみ。
秘密の小部屋には、ほぼ等身大の脚のデッサンが残されている。
天井のアーチに描かれた、足のデッサン。
『ダヴィデとアポロン』が完成をみることはなかった。ゆえに、ミケランジェロのノミで叩いた跡を間近で眺めることのできる稀有な作品でもある。
バッチョ・ヴァローリは、メディチ家の当主が本家から分家に代変わりしたときに、それまでメディチ派であったのが反転、反メディチ家として反旗を翻し、捉えられ処刑される。1537年のことであった。
『アポロン』は本来なら、バッチョ・ヴァローリの私邸に飾られるはずだったが、永久にその願いは叶わず、メディチ分家の最初の当主コジモ一世のコレクションに加えられる。
もちろん、ミケランジェロが製作を続けることはなかった。
秘密の小部屋に描かれたデッサンの大半は1530年に製作されたと推測されている。逃亡生活をしていたとき、そしてその後も、この小部屋は巨匠のプライベートデッサン室として利用していたらしい。
敗戦し、身を隠している間にも、共に戦った戦友が次から次へと捕えられ処刑される。そのときの彼の心情はどんなものであったろうか。刻一刻とメディチ家の手が伸び、いつなんどき、見つけられるかもしれない不安。
苦しみ、悲しみ、憤り、自戒、恐れ。教会に身を隠していた数ヶ月、ペンを持つ時だけが感情から解き放される時間だったのかもしれない。負の感情に囚われないためにも、外から漏れる光で、一心不乱に描いているミケランジェロの姿が見えるようである。
性格の強い彼が意思を曲げ、プライドを捨て、自分の命と交換条件に、敵とみなしていたメディチ家のために作品を製作しなければならなかった。
その後の製作に影響を与えたのは言うまでもない。
ミケランジェロが愛した祖国フィレンツェはもうどこにもない。
1534年にローマに移って以降、生涯、フィレンツェに戻ることはなかった。
ローマ劫掠が起きる前、反メディチや共和国支持者による強奪が起きるかもしれないと、親メディチ派のゴンディ家から家族に伝わる大切な品々を、ミケランジェロに匿ってくれるように頼んでいる。
ミケランジェロの日記にこう記載されている。
巨匠、天才、孤高の芸術家。歴史上の人物として周知されている、ずいぶん遠い存在だが、気難しい気性でありながら、カリズマ性があり、実は兄貴肌で周囲に慕われていた人物だったのではないか。
秘密の小部屋を訪問する機会がありましたら、このような歴史的背景に思いをちょっと馳せながら見学して下さると嬉しいです。
小部屋が見学できなくても、実は、新聖具室にもデッサンが残されています!
以下、番外編。
秘密の小部屋の修復後に、新聖具室の主祭壇に塗られた白壁を剥がしてみると、予想した通り、さまざまなデッサンが現れる。秘密の小部屋と異なり、主に43点からなる建築案のようである。
研究の結果、サンロレンツォ教会附属ラウレンツィアーナ図書館のための図案であることが判明する。
新聖具室の製作に着工していた1524年に、メディチ家蒐集の古書を収蔵するための図書館を作るようにと、クレメンス7世から依頼を受ける。
この年から新聖具室と図書館を同時進行で製作をしているミケランジェロは、新聖具室の壁に向い、鉛筆と定規を用いさっと図案を描いたのち、手と炭を使い微調整した案をいくつも残している。
図書館を飾る窓の原寸大の図案を大工に見せ、これと同じものを作るように指示し、実際に60枚以上が完成する。
大きな窓の図案の近くには、さまざまなアイデアを出しながら完成に持っていくまでの貴重なスケッチも残されている。
目を凝らして壁を注意深く観察すると、2つの言葉が記されているのがわかる。
『basa』(土台)/『pilastro』(柱)。ともに、ミケランジェロの筆跡である。
レオナルドダヴィンチのような鏡文字も、ミケランジェロによるもの。
『La Soglia di Fuora』は、La Soglia di dentroと訳せるらしいが、意味を持たないフレーズらしく、なぜここにこの文章を書いたのか謎となっている。
新聖具室の地下は師匠のプライベートのデッサン室だったが、新聖具室の祭壇の壁には、弟子、見習い、作業員、さらに見学者の落書きまで残されている。
訪問者の署名「marco di dome, nicho meljnj」。ミケランジェロに会うためにピサから出張に来た担当者の名前らしい。
日本では5を数えるのに「正」を使うことがあるが、それと似たようなカウント方法があったらしい。時間を告げるのか、日雇いの日数なのか、作業員の数なのか、完成した大理石の作品の数なのか、いまとなっては推測の域を出ないが、確実に何かを数えるために記したということは分かる。
当時生きた人たちが、生き生きと作業している風景が見えるようである。
時間がかかってしまいましたが、今回が完結編。
最後までお読みくださり、ありがとうございました!!
フィレンツェに訪問されるときには、サンロレンツォ教会、ラウレンティアーナ図書館、メディチ家礼拝堂に、ぜひ足をお運びください。タイムワープし歴史と出会える場所です。
新聖具室では、美しい彫刻に感嘆しつつ、主祭壇の左右の壁の描かれているミケランジェロの筆跡も、目を凝らして探してみてくださいね。
秘密の小部屋を発見したパオロ氏は、この書籍の作者で、当時の館長です。
今回の物語の参考書になっています。