解放されたアートと勇士たち。 n.3 - 奇跡の木箱
ローマで開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」をもとに、美術館で鑑賞するのとは異なる、アートの歴史をご案内します。
これは、戦時中に自分たちの命をかけて、アートを守る勇士に身を転じた、美術館の館長達の物語です。
前回のあらすじ。
南イタリアからの作品を避難していたモンテカッシーノ修道院から、別の避難場所への道中に、ドイツ軍に停められ、ゲーリングの側近により選別された作品が運び去られてしまう。
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パスクアーレ・ロトンディ。
マルケ州の美術館や芸術作品の責任者で美術史家。彼の指揮のもと、サッソコルヴァロ要塞とカルペーニャ邸に、最重要作品、国宝とも言える約8000点が避難している。
ドイツ軍により、モンテカッシーノ修道院から作品が持ち去られたことを知る。
マルケ州は、コンテナヤード、保管庫、造船所、工場、イタリア軍の宿舎があり、軍事的に重要な州である。
とっさにあることを思いつき、要塞とカルペーニャ邸に急いで車を走らせる。
車から降りて急いで避難場所へ向かい、木箱に貼られている紙を次から次へと剥がしていく。
時間との勝負である。
1943年10月20日。ドイツ軍がカルペーニャ邸へやってくる。武器が隠されていないか調べに来たのである。
パスクアーレ・ロトンディが立ち会う。
木箱の内容を記載してある紙が剥がされているので、なにが入っているのかわからない。ドイツ兵は手近にあった箱を適当に指し、開けさせる。
開けられた箱に収められていたのは、オペラ作曲家ジョアキーノ・ロッシーニの手書きの音符。
ドイツ兵は、興味なさそうに一瞥しただけで、箱に戻しカルペーニャ邸を去って行った。
ここには、ローマのボルゲーゼ美術館、コルシーニ宮殿、ヴェネツィア宮殿、国会議事堂モンテチトーリオ宮殿から運ばれた、ティツィアーノ、ラファエロ、ベルニーニ、カノーヴァ等の作品が保管されている。
値段の付けられない国宝級の作品が避難していたにもかかわらず、ジョアキーノ・ロッシーニの手書きの音符が入った、木箱だけが開けられた。
そのことを、ドイツ軍は知る由もない。
まるでドラマチックな映画のワンシーンのような光景だが、本当に起きたことである。
このときの、パスクアーレ・ロトンディの気持ちはどんなであったろう。平静を装ってはいたものの、手は震え、恐ろしさに泣きたい気持ちだったろう。
ドイツ軍が立ち去ったのを確認し、建物の外に出た。大きく深呼吸をし息を整え、流れ出る汗をぬぐうと、足から力が抜け、しばらく立ち上がることができなかった。
ヴェネツィアのサンマルコ寺院の宝物は、大聖堂の地下礼拝堂の壁の中に隠し、サッソコルヴァロ要塞に避難しているサイズの小さな作品は、自家用車である軽自動車フィアット社バリッラのトランクに可能な限り積み、ウルビーノの宮殿の地下へ移動しようと車を走らせていた。
街に入る数キロ手前で、妻のゼア・ベルナルディーニが駆け寄ってきた。彼女もまた美術研究家である。
カルペーニャ邸からサッソコルヴァロ要塞に車を走らせていたロトンディを、ドイツ軍は見て見ぬふりをしていた。彼が要塞からウルビーノの宮殿に行くことを予測し、街のなかで待ち伏せしようと考えていたのだ。
ドイツ軍に見つからないように、慌てて方向転換をした。
田舎の自宅に持ち帰った。これが、いまの状況で作品を守る唯一の方法だったのである。
その1枚が、ヴェネツィアから最初に要塞に運ばれてきた、83×73 cmという小ぶりの作品、ジョルジョーニ作のテンペスタ。
自宅へ戻ると、妻のゼアとともにケースから取り出し寝室へ掲げ、しばらく作品を眺めていた。
ゼアは風邪が引いたと言い、翌日からベッドに寝込む。
ゼアは、ベッドに横たわることで、ベッドの下に隠した『テンペスタ』を必死に守っていたのである。
ジュリオ・カルロ・アルガン。
時を同じくして、歴史評論家であるジュリオ・カルロ・アルガンが、思案している。
彼は「戦争が起きたときにどう作品を守るべきか」を、1939年のローマでパスクアーレ・ロトンディと話し合った人物である。
アルガンの足はバチカン市国へ向かう。のちにパウロ6世の名でローマ教皇となるモンティーニ枢機卿と会うためである。
Nulla è perduto con la pace!
Tutto può esserlo con la guerra.
平和で失うものはなにもありません。
戦争ではすべてを失うかもしれません。
この言葉を残し、さらに迫害されたユダヤ人保護の活動も行っていた、戦時中のローマ教皇ピウス12世の側近として、モンティーニ枢機卿は活動していた。
ここで、新たな救出作戦「Operazione Salvataggio」 が密かに発動するようになる。
次回へつづく。
ジョルジョーニ作の「テンペスタ」を鑑賞するために、ヴェネツィアのアカデミア美術館へ足を運ぶ人は、少なくありません。
もしかしたら、今頃はすでに失われていて、古い画集で見るだけになっていたかもしれません。
戦時中に疎開され、保護され、アートの勇士たちが守ってくれたので、いまのわたしたちは、鑑賞することができます。
そんな歴史を思い巡りながら、いつかまた「テンペスタ」に会いに、アカデミア美術館へ訪れたいと思います。
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
次回もお立ち寄り頂けたら
とても嬉しいです。