ドレスと、宮殿と、フェラガモと。 Ferragamo Museum n.4
ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.4
Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze
主婦と母親の役だけでなく、仕事へ、旅行へと、家庭の外に出始める女性達。
女性が社会へ進出していくことで、洋服のスタイルも変化します。
男性が多数を占めていた、洋服のスタイリスト、仕立て屋、宝飾デザイナーの世界でも、女性が活躍し始め、それに伴い、ヒールの高さも地面に近づき、低く平らなバレリーナシューズが世に出ます。
展示会のテーマである「女性のバランス」をキーワードに集められた、お洋服の数々が、最後のセクションを飾ります。
父サルバトーレ・フェラガモと、長女フィアンマ・フェラガモの靴コレクション。
フェラガモを代表するバッラというバレリーナシューズは、フィアンマさんのデザインです。
襟元や袖口が1950年代を匂わせるお洋服。サークルスカートとノースリーブのコンビネーションや、色合わせが素敵です。
展示されている洋服は、フェラガモだけでなく、ローマやミラノのプライベート・コレクション、マックスマーラ(Max Mara)の保存資料館、フィレンツェの衣装博物館より貸し出されています。
この部屋はお姫様になれる空間。白で統一されたシンプルな空間に、色とりどりの美しいドレスがよく映えます。歴史ある天井とのアンバランス感も良いです。
フェラガモ美術館では、ひとつのテーマを、1年を通じて展示します。
今回の展示は5月で終える予定でしたが、9月まで延長されるようです。
次回のテーマは、候補が2つ上がっており、そのどちらにするか現在検討中。フェラガモのクリエイティブ・ディレクターが変わり、ロゴも新装されたので、展示テーマも従来とは違うものになるのかもしれません。
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フェラガモの本社は、スピーニ・フェローニ宮殿です。「幸せが戻って来る」という意味をもつフィレンツェのトルナボーニ通りに建っています。
美術館は宮殿の地下にありますが、ここに意外なものが残されています。
井戸のような?
そう。「ベアトリーチェの井戸」と呼ばれる井戸です。
1300年代に政治家として活躍し、派閥対抗に負け、フィレンツェを国外追放になった人物。ダンテ・アリギエーリが、追放の身でフィレンツェに想いを馳せながら執筆した「神曲」に、永遠の想い人ベアトリーチェが登場します。
あるとき、少年ダンテが橋のたもとで友達と談笑していると、美しい女性が井戸へとやってきました。少年は、雷に打たれたような衝撃を受け、一目惚れ。この女性がベアトリーチェ。そして、そのときの井戸が、この井戸です。
えええ。ビックリですね。歴史が繋がっている実感が湧いてきます。
宮殿を増築したときに井戸は宮殿内に取り込まれ、いまに至ります。
スピーニ・フェローニ宮殿は長い歴史を持ち、1200年代にスピーニ家により建立されます。その後紆余曲折を経て1600年代にフェローニ家が所有したので、両家の名前が宮殿名になっています。
ひとつの宮殿の名前に、400年もの時空があるって、すごいです。
この絵は、1482年から1485年にかけて描かれたフレスコ画。左側の建物が当時の
宮殿です。右側の教会が、このフレスコ画が保存されているサンタトリニタ教会。
現在の宮殿と、目の前の教会。ざっくりとした風景は、いまも昔も変わりません。
1800年代になると、スピーニ・フェローニ宮殿は「ホテル・デ・ヨーロッパ(Hotel de l'Europe)」というホテルになります。ちなみに、現在美術館になっている地下は、ナイトクラブだったそうです。
イタリアが統一した1865年は、ローマがまだイタリア共和国に入っていなかったため、フィレンツェが首都に選ばれました。
首都には国会議事堂が必要。ベッキオ宮殿が国会議事堂になります。
じゃ、フィレンツェの市庁舎はどこにしましょう。
そこで選ばれたのが、スピーニ・フェローニ宮殿。ローマが共和国に入る1870年までの5年間は、市庁舎になります。
そして1900年初期に、ようやくフェラガモの登場です。
この歴史ある宮殿を、どのようにしてフェラガモは手中に収めるのでしょうか。
次回につづく。
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最後までお読みくださり、
ありがとうございます。
次回は番外編で、
サルバトーレ・フェラガモが主役です。
お会いできるのを
楽しみにしています!
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今回ご案内した展示会は、ヴァーチャルでも訪問できるようになっています。
興味のある方は👇👇👇こちらからどうぞ。
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