60年代のイタリアの女性たち。 Ferragamo Museum n.1
ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.1
Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze
1960年。早すぎる夫の死は、それまで完全に専業主婦だった彼女を、実業家へと変身させます。
夫はサルバトーレ・フェラガモ。LVMH、ケリング、リシュモン、これらの大きなグループに属せず、現在でも家族経営でイタリアのブランド界を牽引するフェラガモ社の創立者です。
サルバトーレが42歳のときに、まだ18歳だったワンダさんを見初め、二人が出会った同年に結婚します。年の差婚でしたが、幸せな家庭を築き、6人の子供たちに恵まれます。
世界恐慌や第二次世界大戦に翻弄され、紆余曲折を経て、ようやく順風満帆に帆を進めていたときに、サルバトーレは病気に倒れ、60歳で亡くなります。
ワンダさんはまだ39歳。突然、フェラガモ社と6人の子供の運命が、両肩に重くのし掛かります。口の悪い人たちは、専業主婦のワンダ夫人がフェラガモ社を継げるかどうか、賭けまで行われていました。
現在、フェラガモ本社付属美術館で開催されている、Donna Equilibrio「女性のバランス」では、1955年代〜1965年代の、女性の社会進出を取り上げています。それは、実業家として、母として、右へ左へと、両方の役割を保ちながら生きたワンダ夫人の時代と重なります。
当時のイタリアの社会背景も知ることのできる、とても興味深い展示です。
半世紀以上、フェラガモ社の重鎮として活躍されたワンダ夫人は、1921年に生まれ、2018年に他界されました。享年97歳。
長女のフィアンマ・フェラガモが、お母さんのワンダ夫人のためにデザインした鞄。
この鞄に初めて、フェラガモのアイコンとなる「小さなフック」という意味の「ガンチーニ」のデザインが登場します。
美しいコートとシルクのスカーフ。長女のフィアンマさんは、お父様から靴製作を受け継ぎ、次女のジョヴァンナさんはお洋服、三女のフルビアさんはスカーフのデザインを手がけるようになります。
このスカーフ。よくみると、馬車も馬も飛ぶ鳥も、すべて靴がモチーフになっています。中央の建物はフェラガモ本店と、その広場です。
実際のフェラガモ本店と広場。
フェラガモ本店を撮影するときは、イルミネーションが美しいクリスマス時期なので、季節外れのクリスマスの写真ですいません。
6人の子供は、現在もそれぞれの役割を担って活躍されており、彼らの孫世代も事業に携わっています。
展示会には、日本の新聞も展示されていました。
「聖林」と書いてフィレンツェと読んだのかしら。フェラガモじゃなくて、フワラガモと呼ばれています。いろいろと面白い。
「日本の下駄や足袋を」と記載がありますが、そこから発想を得て作られたのがこちらでしょう。
kimo(キモ)と呼ばれているサンダルです。黒いソックスのような黒の部分は、足袋から発想を得て、何種類か色を選べるので、サンダルのシルバー&ゴールドとの色合わせを楽しめます。
サルバトール・フェラガモは、優秀な靴職人であり、稀有なデザイナーでもあったことが、靴のデザインで400種類の特許を取っているところからも分かります。
サルバトール・フェラガモの人生も実に興味深いのですが、今回はワンダ夫人と、彼女を取り巻く時代背景にフォーカスしていきます。
1950年代のイタリアの家庭と、当時の女性達が、女性であることをどう捉えているか、インタビューしています。
1950年代のイタリアは、高度経済成長のまっただなか。どこも人人人。
キャンプでスパゲッティを食べるのは、いまも昔も変わらずですが、スーパーの棚に並んでいる、夥しい箱、缶詰、瓶類。いまよりもずっと保存食が多い印象を受けますが、それは、全家庭に冷蔵庫が普及されておらず、長い期間、ストックできる保存食が重宝されたためのようです。
この時代には、子供は多産から、平均二人となり、4人家族が主流になっていきます。
料理学校で腕を磨き、裁縫を習い、家庭が人生のすべてで、良妻賢母が当然だった時代、インタビューされている女性の言葉は、そのまま当時の社会背景を映しています。
多くの女性が、そんなものだ。と思う一方で、『そんなはずはない!専業主婦以外の人生もあるはずだわ!』と考える女性も、徐々に現れてきます。
いまはイタITAが就航していますが、こちらは、イタリア航空会社アリタリアの制服です。
制服は、ソレルフォンターナ(Sorelle Fontana)が1956年に手がけています。ソレルは姉妹という意味。3人の姉妹が経営していたので、この名前が付いています。
女性のために、女性がデザインし仕立てた制服です。
シドニーと欧州間を飛んでいたようです。アリタリアのロゴも違えば、機体のデザインも違います。
ソレルフォンターナ以外にも、1955年以降、さまざまな女性が、さまざまな分野で活躍することになります。
イタリアン・デザインが世界から注目を集めるのもこの時期で、イタリアのデザイン史と、女性社会進出が同時期に進行しているのが、興味深いです。
次回は、女性の社会進出とイタリアン・デザインが躍進した世界へと、ご案内します。
最後まで読んで頂き、
ありがとうございます。
次回もフェラガモ美術館で
お会いできたら嬉しいです!
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