路面店のない、ハンドメイドの鞄店。n.3
今回のインタビューは、フィレンツェ中心街にある『Cellerini チェッレリーニ』です。
1960年から同じ場所に工房とショールームを構え革製品の商品を作っている、フィレンツェの老舗店です。
第2回目はお店や販売のことなどを伺いましたが、第3回目は工房でのお仕事や想いについて、職人アントネッラさんに伺います。
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Q. クラシックな形が多いですが、新しいデザインもされますか?
壁に掛けられているのは、1960年から現在までの型紙です。
番号が振ってあるでしょう。番号の数だけ型紙があります。
わたしが初めて作った型紙は2950番。最新は3015番です。番号が付けられるのを待っている型紙もあります。
Q. どのように新しいデザインは生まれるのでしょう。
常に考えているの。
5分でも1時間でも、ちょっと時間があれば、妹と相談しながら、ちょこちょこっとアイデアを形にしていきます。
これがわたしの生きがいなんです。
好きでたまらないの。
12時間でも平気でここにいられるわ。
疲れなんて感じない。
朝に工房へ来たと思ったら、いつの間にか夜になっています。
そして思うの。
あぁなんてことでしょう。
まだ完成してないのに、もう帰らなくてはいけないなんて!
後ろ髪を引かれる思いで工房を後にします。
自分でも呆れるくらい仕事が好きなの。
Q. いつからチェッレリーニで仕事をしていますか?
わたしがチェッレリーニに入ったとき、鞄の作り方は知りませんでした。
革を扱う仕事はしていましたが、それまでは財布を作っていたんです。19歳の時に、すでに自分の店を持っていました。
1990年に湾岸戦争が勃発し、顧客の大半が外国人だった店の多くは閉店に追い込まれます。
わたしもそのひとりです。
そのあとは、会社を転々として財布を作っていましたが、職場が嫌になっていたときでした。
チェッレリーニがミシンを使える人を探していたんです。
わたしが45歳のときです。
鞄を作ったことはなかったけど、鞄についても勉強したい気持ちに駆られ、シルヴァーノの元で仕事をするようになりました。
知りたがりで、知れば知るほど、もっと知りたくなるんです。
どうやって作ればいいんだろう。から始まり、
どうすればもっと良くなるだろう。
どうすれば作り変えることができだろう。
頭の中でグルグルとずっと考えています。
シルヴァーノは、そんなわたしの好奇心や向上心をとても評価してくれました。
鞄作りを覚えるのに数年かかりました。
でも作り方を覚えたからと言って、そこでおしまいではありません。常に学び、常に新しい発見があります。
Q. その情熱はどこからくるのでしょう。
わからないわ。
わたしは秘書科を卒業しました。
わたしからもっとも遠い世界。
わたしに事務仕事をさせたら、1日でやる気を失うわ。
妹のアレッサンドラは、わたしと正反対で得意なの。わたしたちは、業務をうまく分担しています。
小さな頃は考古学者になるのが夢でした。なにかを発見したいという探究心を、幼い頃から抱いていたのかもしれません。
Q. 「作る」ということは?
どう表現したら良いか分からないけど、強いていうなら「趣味」かしら。
ようこ:仕事ではないんですね。
ちがうわ!
アイデアに浮かんだものを、一生懸命考えて研究して生み出したわたしの作品が商品となり、手にしたお客様が喜んでくれる。
最高に幸せ。
どのくらい儲かるかなんて、わたしには重要じゃないです。
あるお客様が自分用の鞄をデザインし、それを形にして欲しいという依頼を受け、いま研究しているところです。
時間の無駄と言う人もいるけど、わたしはそうは思わないわ。
もちろんその分の対価は払って頂けるし、なによりも、わたしも楽しいし、お客様にも喜んで頂けます。
Q. 日本のことをとても評価して頂いて嬉しいですが、顧客としての欧米人はどうですか?イタリア人は?
有名なブランド店と比べすぎる傾向にあります。
一方では3000ユーロの鞄を当然のように購入し、わたしたちの500ユーロの鞄は高すぎると言われます。
革を厳選しナイフで切るところからすべて手作業で行い、時間をかけて丁寧に作っているのに、そういうことを全然わかってないんです。機械でパッと作ったように思われるのは残念です。
憂い
昔からあったフィレンツェの工房の多くは、いまはありません。
世界が変わったこともありますが、常に利用してくれる地元のお客さんがいなくなってしまったのも原因のひとつです。
地元の顧客の存在は欠かせません。
外国から来る観光客はいても、地元の人が工房の手仕事を評価し支えなければ、歴史ある工房が生き続けることはできません。
フィレンツェには「老舗店」というステッカーがあり、市が認可したお店に与えられます。もう少し活発に活動してくれればいいんですけど。
手で仕事をするのは、すべての基礎です。学校でその重要さを子供達に教えたら何かが変わるかもしれません。
いま工場で生産されているものは、かつてはすべて手で作っていたものです。
例えば水道管が壊れてしまったら、以前はどんなお店にも、工夫をして直してくれる職人がいたものです。でもいまは新しいものに取り替えるだけ。
工房の窓ガラスはガラス職人に作ってもらったもので、同じものは見つかりません。もし壊れてしまった場合、どこにお願いしたらいいのか途方に暮れてしまいます。
工場生産のものばかりで、世界は平たくなるばかりです。
(イザベッラさんが話しに入ってきて)
でもわたしたちのお店には、若い世代の子達もたくさん来てくれるのよ。
アジア系の人たちの年齢を当てるのは難しいけど、欧米人は大体分かるわ。
20代の子達がフィレンツェに訪れた記念にと、自分用はもちろん、マンマや彼氏彼女へのプレゼントにお財布などを購入していくの。欧米人はイニシャルを入れるのが好きなので、もちろん、イニシャル入りでね。
このような流れから、イザベッラさんへもお話しを少し伺ってみました。
次回へつづきます。
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昨日のニュースで、昔からのお店が11年間で1000軒も店仕舞いをしたと報道していました。
お店が継続していくには、それぞれの時代に合わせて変化していくことも大切でしょう。ですが、どこのお店も職人、経理、営業などの役割を分担できる環境にあったり、職人や店主がそのような才能に長けているとも限りません。子供達は別の仕事を選び、老齢の両親が営んでいるお店もあります。
時代に乗れずに店を閉じるのは、今の時代に限ったことではありませんが、同時に手でモノを作る伝統や文化を失うのは、あまりにも辛すぎます。
フィレンツェには、中世時代からの輝かしい歴史があり、なんといってもルネッサンス文化を産んだ街です。見るべき絵画、彫刻、モニュメント、教会、建物と、列記しきれないほどの芸術や歴史が凝縮しています。それらすべては人が、手で作ったものです。
こちらの投稿では、当時の様子を案内しています。
現状を食い止めようとか、そんな大それたことはできません。ちょっとだけ職人の世界を覗けるような活動を続けて、アントネッラさんをはじめ、いままでここでご案内してきた職人たちの情熱や笑顔を、みなさまにお伝えできれば嬉しいです。
これからも手でモノ作りをする工房、そこで作業をする職人にフォーカスを当てていこうと、改めて考える機会となりました。
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第4回目は最終回です。
最後までお読み下さり
ありがとうございます。
次回もチェッレリーニの工房で
お会いしましょう。
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