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失われた親子の時間 〜琥珀の夏を読んで〜

罪を記憶に閉じ込めて、私たちは大人になった。

かつてカルト集団として批判された団体の敷地から、子どもの白骨が発見されたことで、30年前の記憶の扉が開き、幼い日の友情と隠された罪があふれだす。

帯に書かれた内容からサスペンスの類だと認識していたが、実際はある特殊な環境にまつわる人間模様を描いた作品である。

前に読んだ「かがみの狐城」もそうだが、子どもを描きながら、実は大人や社会の問題を核としている。この点は辻村深月さんの作品のひとつの特徴だ。

今回で言えば、ひとつは家庭と学校における「教育」の在り方について。非常に現実的な問題と絡んでいて、個人的に考えさせられる作品だった。

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あらすじ 〜舞台設定〜

舞台となるのは「ミライの学校」と呼ばれるカルト集団の施設。主人公(法子:ノリコ)は、かつて小学生の時期(30年前)に行われていた数日間のサマースクールに参加し、同年代の交友関係を築くことになる。

そのひとりが(美夏:ミカ)である。法子と美夏のふたりを軸に、現在と30年前を話が行き来する。当時はお互い何も知らないまま友達になるが、30年後の現在では音信不通の状態になってしまった。

現在は弁護士として働く法子だが、かつてのミライの学校の敷地内で子どもの白骨が発見されたことで、その身元が美夏ではないかと胸騒ぎを覚える。その真相はネタバレになってしまうので、伏せておきたい。

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失われた親子の時間

ミライの学校に入学する子どもは、親元を離れて共同生活をする。このこと自体は現実にもあることなので何ら問題はない。進学等の時期が来たタイミングで、残るか出ていくかを子ども自身で決められる。

しかしながら、実際は「出ていく」という選択肢が取れない。ミライの学校は自由を尊重する理想的な教育方針を表向きは掲げているが、現実は学問などの教育を受けておらず、カルト教団らしく怪しい所で過ごしていた事実が付くだけ。その後は全て自己責任の扱いになる。

確かにミライの学校の教育は革新的に感じるところもあるが、現実の社会との隔たりが強い。そのギャップを子どもひとりで埋めるのは困難を極めるだろう。

何よりも、親子の時間を奪われるという問題がある。ミライの学校は見方を変えれば閉鎖的な環境でもあり、親がそこに介入する余地がない。

教育において、親子の関係を築くことは非常に重要である。現実として不可能なケースもあるのは承知だが、親がいるのであれば、子どもの教育の責務は親が持つべきである。今回の場合は親が自ら子どもをミライの学校に預けているので、親としての教育の仕事を手放すような形になってしまっている。

教育という問題において、子どもが大人の意思に振り回される。そんな感覚を覚えるのが、今回の作品だ。主人公の法子もまた、母親になったことで新しく見える描写があり、その変化も読みながら見て取れた。

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おわりに

今回は久しぶりに読書感想文を書いた。正直、今回は1回読んだだけでは全容を理解しきれず、また改めて読んでみたい。そう思えた作品である。

ミライの学校が理想とする教育と、一般社会の教育のスタンスの違いが多く描かれている。どちらがあるべき姿なのか、読者として考えさせられる場面が多くある。

今回は「教育」という観点で書いてみたが、また別の観点でも書けると思う。なので、また読み直してみて、感想文として改めて投稿したい。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。なるべく毎日更新する気持ちで取り組んでいきます。あなたの人生の新たな1ページに添えたら嬉しいです。何卒よろしくお願いいたします。

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