論理性と説得性の違い 〜たまには言葉を深く味わおう〜
突然だが、タイトルにあるふたつの言葉の違いをイメージできるだろうか。
もう先週の話になるのだが、オンラインでディスカッションする機会があった。テーマは「議論のスピードを上げるにはどうすれば良いか」である。
フレームワークを利用したり、ストーリー性を持たせるなど、有意義な意見がたくさん出てきた。その中で「論理性と説得性は違うものなのに、混同されがちだ」という意見が出た。
その席では、この台詞に対する明確にイメージを掴めずにいたが、こうしてブログに書くにあたり、深掘りしてみることにした。
論理性とは
広辞苑では「論理性」はこのように定義されている。
考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。
論理的思考が最近ではもてはやされている。私が籍を置いている会社も、論理的思考が重視されがちな場所なので、もはや経験則として半強制的に身についていることも多いだろう。
事実を積み上げることで、仮説から結論を穴を生じることなく作り上げる。これに異を唱える人は、まずいないだろう。上にある絵(右側)のように、頭の中のパズルが整理されている通りだ。
説得性とは
この「説得性」という単語は、正直使うことがない。どちらかと言えば「説得力」の方が使いやすい。Yahoo知恵袋でちょうど良い説明を見つけた。
説得の効果があるのか、より良い結果を得られるのかどうか。
こう見たときに、何となくだが「メッセージ性があるか否か」という考えが、私の頭をよぎった。論理性とは違い、自分の感情をメッセージに載せているのだ(説得という言葉の時点で感情とリンクしていると思う)。
例えば、論理性が成立していなくても、強い説得性(メッセージ性)を持たせることで、強引に期待する結果を得る場合も起こりえる。
論理性と説得性の混同
論理性と説得性をそれぞれ説明してみた。どちらも言葉を積み上げるという点では同じだが、淡々と筋道を立てて話すのか、感情を載せてダイナミックに話すのか。
これが正しい解釈かどうかは微妙だが、私なりに考えた受け止め方である。
当初のテーマ「議論のスピードを上げるにはどうすれば良いか」に戻る。議論なので「論理性」を重視しがちだが、人間に感情がある以上は「説得性」の部分も捨てることができない。
つまり、このふたつの要素を状況に応じてバランス良く使い分けることが、ひとつの答えになると考えた。
私のように、感情を適切に保つのが苦手なタイプの人間としては、バランス良くと言われてもすぐ行動に移せないだろう。徐々に訓練していければと思う。
幸い、論理性は会社で鍛えられつつある。感情は個人的に隠しがちなので、周りに迷惑かけない程度に豊かに表現することから、練習していこう。
おわりに
ここ最近は理系的な記事を書くことが多かったので、このような記事を書くのは久しぶりだった。
本記事で注目した「論理性と説得性を混同しがち」というのは、なかなか学校でも話題に上がることはない。一見すると似ている言葉なので、違いを教えることから難しい話であろう。
たまには、こうして個々の言葉の深みを味わうのも良いことかもしれない。