社会の分断に対して個人ができることを考えてみた -2-
社会の中で度々発生しているであろう「分断」という事象について。人間と人間の間に超えられない溝を作り上げてしまう。
現代の「個人主義」や「自己責任論」が蔓延する社会からは、個の時代を象徴する風潮の中で、行き過ぎの一面を見せているように思えてなりません。
自分も「普通」を何の疑いもなく享受する時期がありました。自分が「普通」と考えている限り、他人との溝は深まるばかりなのです。
精神疾患(うつ病)を経験したことで、自分の感じていた「普通」が通常ではないことに気づきます。想定とは異なる一面を経験したことが大きいです。
自分は他に何ができるのか。その辺を更に考えてみることにします。
普通の路線から降りること
自分の考える「普通」とは、往々にして世間の常識外であることがあります。社会的な「分断」に流されないために 意識的に「普通」という概念から自分を切り離すことを前回で示しました。
常識とは、世間の多数派が肯定しているから「常識」と呼ばれる。日本は古来より画一的な村社会という形で営みを続けてきました。村八分という言葉からも分かる通り「常識」の路線を離脱することには、一定のリスクが伴います。
私は「普通」の路線を降りることに多大な恐怖心がありました。同調圧力を受け入れることと引き換えに安心を手に入れるのです。否応にも「普通」から脱落したことで、自他の違いを受け入れることを根本から理解できた気がします。
会社員(サラリーマン)としては、うつ病と休職を経たことで、出世街道を外れることになりました。現在はその立場を受け入れて、自分なりの人生を再構築している最中です。
自分の答えを明確化すること
オリジナルのスタンスを構築する過程において、自分の中にある「分断」は消えていくように思います。
既存の答えに縋る気持ちも理解できます。自分も縋りたい時があるので。ただ、思考停止で既存の答えに縋る行為こそが、現在の社会的な「分断」を作り上げていると考えます。
個人が自立した思考を持つこと。すなわち、既存の縛られた思考から自身が抜け出すこと。現代の「分断」を断ち切るキーワードがここにあります。
村社会で在り続ける限り、他人に手を差し伸べることはできない。だからこそ、村社会を出た自立的な考え方が必要になるのです。
おわりに
日本人というバックグランドを持ちながら、個人が自立した考えを育てる。現代に蔓延る「分断」を埋めるためには、これが最も必要なことだと考えます。
個人で自立的な答えを公表することで、他人との心象的な距離を縮めることが可能になります。周りがどうかではなくて、貴方は何を考えるのか。
哲学的な答えかもしれませんが、まずは自分のスタンスをきちんと作ること。そこから歩を進めていきたいと思います。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事があなたの人生の新たな気づきになれたら幸いです。今後とも宜しくお願いいたします♪♪
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