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ラファエロ・サンティ Raffaello Santi (1483年-1520年) の誕生日 (4月6日) 伊画家、建築家

ラファエロ・サンティ  Raffaello Santi   (1483年4月6日 - 1520年4月6日)ルネサンス期イタリアの画家、建築家。

ラファエロの画業は、美術史ではおよそ3期に分けられています。

師匠のペルジーノの端正な画風を更に洗練させたのが 1期に当たり、
たしかに人々の静かに佇立する感じや、

遠近法の奥行き (消失点) が、
( 群像の場合人々よりも高い ) 画面の真ん中の高さ辺りに来て
「人間の目線・関心の対象」とは別個の「 (画の消失点に向かう) 神の目線」の
同一画面内での混在をも想わせる、いくつかの作品からは

ラファエロの父で自身も画家のジョヴァンニが関心を持っていたという
初期フランドル派の絵画の影響も見られる感じがします。


各地の教会からの注文に応じた故か、
( フィレンツェを主な滞在先としつつも )
イタリア各地を「放浪」し始めたラファエロは
次第に、当時の先端を行くダ・ヴィンチ、続いてミケランジェロの
ビビッドなポージングや構図を吸収しつつも、

画の全体的なイメージとしては、
のちのローマ時代の壁画などと比べれば
未だ従来の伝統的画風との共通性があるのが
2期の1502-1508年ごろの特質と考えられます。

しかし不思議にも多くの人が
ラファエロと聞いて持つイメージは、
この時期の優しい聖母子画像かもしれません。


続く第3期の「ローマ時代」、ヴァチカン宮殿の「ラファエロの間」 Stanze di Raffaello の壁画群 (※1) は
ラファエロ「盛期」を代表するもので、
ダ・ヴィンチやミケランジェロの姿形をも画面に表していることからも、
彼らの大振りで複雑なポージング、群像の構図をふまえ、
それをラファエロらしく端正で
(ヴェネチア派的な派手な色使いに光輝を増した感じの) 明朗、
理性的な方向へアレンジした独自の領域を示しています。


更に、ルネサンスの次代のスタイル、後にバロックと呼ばれる、より大振りな様式を独自に先取しているのが
1507年の『十字架降下』Deposition であります。

私はこれをバロックと呼ぶのは、時期的に早すぎるのかと迷っていましたが、
やはりバロックの先駆けとされていますね。


1514年〜1516年頃の『シチリアの苦悶』 Christ Falling on the Way to Calvary  
からは、バロックという時代のスタイルさえも越えた、ラファエロ独自の論理的な画面構成が感じ取れます。

あり得ていた、来るべき「第4期」を告げるものだったかもしれません。



※1 .  ウィキペディア「ラファエロの間」    https://ja.wikipedia.org/wiki/ラファエロの間 



🔍  ウフィツィ美術館公式Tweet「小椅子の聖母」 Madonna della Seggiola  (1513-1514年頃 ラファエロ作)  ピッティ宮殿パラティーナ美術館所蔵  



🔍 Wikipedia (英語版)  「ラファエロ作品リスト」

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_paintings_by_Raphael   




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