卒業論文をやり直す会|2022年7月
第6回ミーティングは、メンバーの体調とWi-Fiの調子がすぐれないため、お休みになりました。皆さんも健康管理にはお気をつけください!
ですので、今回は浅野の進捗のみ、7月ミーティングのために用意したパワポを使ってご紹介したいと思います。
進捗発表
あさの|ルネ・ラリック つむじ風
今回は、ガラスの歴史について調べました。参考資料は以下の2冊です。
・ジュディス・ミラー『西洋骨董鑑定の教科書』パイインターナショナル、2018
・田中廣『ガラスの歴史:輝く物質のワンダーランドへの誘い』丸善プラネット、2022
『世界ガラス工芸史』(美術出版社)も参照しなければと思っています。(もっと前から読んどけよって話ですが)
この美術出版社のシリーズは、昔から美術系大学で教科書的な扱いをされている、信頼と実績のシリーズです。従来のA5版の他に、『日本美術史』『西洋美術史』は豊富なビジュアルが大きな図版で楽しめるB5版のものが出版されています。
最近は教養系の西洋美術史の本がたくさん出ていますよね。でも、このシリーズはあまり書店で見かけなくてAmazonかな〜と思っています。国立西洋美術館や東京国立近代美術館のショップも書籍が充実してるので、ないかな?
※注意※年代が違ったり事実関係が違ったり名称が不統一だったりするので話半分で読んでね!(ダメじゃん)(もう職業的にもダメじゃん)
信用性の高い資料に当たってから改めてまとめ記事書きますね……
ガラスの歴史は、なんと紀元前から! フェニキア(現シリアの一部)やエジプト、メソポタミアで、不透明なガラスのビーズや瓶などがつくられていました。
アレクサンドロス大王の東方遠征によって、ガラスの技術がヨーロッパに持ち込まれ、以降は時代によってガラス製造の中心地が移りながらも、全世界的にガラスがつくられるようになります。
吹きガラスの発明により、薄手で光を通す透明ガラスが登場します。まだ不純物が多い状態なので、完全な無色透明とはいきません。
ガラスの原料は、珪砂(砂)+灰+石灰で、これらを溶かして液状になったものを成形、冷やし硬めるとガラスになります。海側の地域と内陸の地域とで灰の調達先が変わりますが、現在の主流はソーダ・ガラスで、人工的に製造したものを原料を使用します。
フランスはポタッシュ・ガラス(森林ガラス)で、樹木やシダの灰を使用していたのだそうです。《つむじ風》のモチーフであるシダは、ガラスと深い関わりがあるのですね。
6世紀ごろからステンドグラスが登場し、教会・修道院のためのガラス製品がつくられるようになりました。筒状ではなく、板状のガラスが生産されるようになったのです。
ヴェネツィアやボヘミア(現チェコ)がガラスの中心地となってガラス工芸が発達、無色透明なガラスも登場し、金彩やエナメル彩で装飾されたゴブレットなどがつくられるようになります。王や教会(神に近い存在)から貴族の暮らしへ、ガラスが行き渡るようになりました。
ガラスの歴史を見ると、技術者を誘致して(攫って?)きたりヴェネツィアのムラノ島に集めて保護したり、技術者の確保が国家レベルで重要だったようです。やきものでも、柿右衛門や今右衛門のいる佐賀・有田、小鹿田焼の作家が集まる大分・日田など、山間に陶芸家を集めて技術の流出を防いでいたので、工芸あるあるなのかもしれません。
そのなかでガラス鏡は、従来のうつわや建築材料としてのガラス利用とは異なる、画期的な発明であったと思われます。
ヴェルサイユ宮殿の鏡の間は豪奢で美しいだけでなく、国力や技術力を他国に誇示する狙いもあったのだろうと納得しました。
18-19世紀になると、イギリスの産業革命やアメリカの台頭で、ガラスの工業化が進みます。大きな板ガラスをつくる技法、型押し成形の技法、機械吹き技法など、手工業から機械工業へと発展することで、品質が安定し、手作業よりスピーディーに安価で、大量に生産できるようになったのです。
ロンドン万博の象徴であるクリスタルパレス(水晶宮)のように、駅や百貨店、植物園といったガラスと鋼鉄の建物がつくられるようになり、大衆にもガラスの利用が広まりました。
電話相談会
後日、TTR氏と電話で相談会を催しました。
TTRは、メーダちゃんが後世さまざまな捉え方をされていることに混乱していましたが、ひとまずクリムトがメーダちゃんをどう捉えていたのかをテーマに設定し直しました。正面観、手が隠れていること、足元まで描かれていること、背景がうっすらあることなどを手がかりに、執筆を進めます。
私は、《つむじ風》は芸術性を担保しつつ、比較的安価で大量に生産可能になり、作品を広く届けられるようになったメルクマールとして制作したのではないか、という考えを強めました。
今後は、技術的にすごいぞ!という部分はガラスの歴史から証明し、芸術表現的にすごいぞ!という部分は、過去のガラス工芸(カットガラスやボヘミアングラスのゴブレットあたり)と同時代(アール・デコ)の工芸作品(ドーム、ギマールあたり?)と比較して、ルネ・ラリックという唯一無二の存在(故に何と比較して良いやらと悩んでいた)の一端を叙述できればと思います。
執筆を進めていく内に考えがまとまってきたり、結論が変わったりするかもしれませんが、卒論として形にできるように、早めに少しづつ進めていければと思います。