負の感情が全部希死念慮に置き換わる
気づいた時には自分の頭の中は常に希死念慮(死にたい気持ち)が溢れていたし、鬱の診断も出てるし自分は一般人よりは希死念慮が高いのかな、と思っていた。
でも発達障害や鬱、家庭環境など一般人と比べると苦労?は色々あったけど、それにしても自分は希死念慮が高すぎるんじゃないかと心配になったので、希死念慮が沸いた原因を考えてみた。
希死念慮が沸いた原因
幸いネットが使える時は常にTwitterをしている上、ネットができない時でもエアツイッターと称してネットがあれば普段ツイートするような感じの出来事はノートにまとめていたので(キモい)、日々の出来事は簡単に思い出すことができた。
両手で数え切れない数のTwitterアカウントのツイートとノートを振り返ってみると、どんな時に希死念慮が沸いていたのかわかった。
例えば、
・施設職員に怒られたとき
・やろうと思っていたことができなかったとき
・何もせず数時間経過してしまったとき
・ねむいとき
などに希死念慮が湧いていた。
負の感情が全部希死念慮に置き換わっている
一般的に「感情」というものは大きく分けると「喜び」、「悲しみ」、「怒り」、「驚き」、「恐れ」、「嫌悪」の6種類があるらしく、通常人間は喜びや悲しみ、怒りなどの感情を区別して感じることができるという。また、更に細かい感情として、30種類前後の感情を持つ多感な人もいるらしい。
しかし、私は"施設職員に怒られたとき"に「怒り」の感情ではなく「希死念慮」という感情が出てきたし、更には"やろうと思っていたことができなかったとき"や"ねむいとき"なんかにも希死念慮が沸いて死にたくなってしまった。
こんな感じで、通常であれば「悲しみ」や「怒り」の感情を抱くはずの場面で適切な感情を感じることができず、全てが「希死念慮」に置き換わってしまっていた。
持っている感情が少ない
以上のように私は「悲しみ」や「怒り」などの感情を全て「死にたい」という希死念慮を抱いて解決してしまうので、そもそも持っている感情が少ないのだと思う。よく小学校低学年くらいの子が、それ以外の感情の表現方法を知らないがためにクラスメイトや先生、親などに向かって「死ね!」を連呼してしまう現象を見たことがあるが、それと同じメカニズムだと思う。
希死念慮を上手く処理したい
別に常人より感情が少ないことに対してはどうでもいいけど、常に希死念慮を抱えているのはやっぱり気持ちいい訳ではないから、まずは抱いてしまった希死念慮をすぐに処理できるようになりたい。
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