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私はただ私らしくあり続ければいい。『自分を解き放つセルフ・コンパッション』を読んで

こんにちは。Arisaです。

今回はこちらの本を読んだので、感想をしたためました。

『自分を解き放つセルフ・コンパッション』です。

主な内容

本著の主題は、女性が強さと優しさのセルフコンパッションを持つための在り方。
内容としては、セルフコンパッションの第一人者であり著者のクリスティンによる、セルフコンパッションの研究的考察と実践を織り交ぜたエッセイ的読み物。

彼女がこれまで立ち向かった自閉症の息子に対する社会からの偏見や、女性が社会的活躍をしていくにあたってぶち当たった壁、女性が自分らしくあり続けるために立ち向かった出来事を実体験を交えながら語っている。
それらを克服していく難しさが、差別的な女性らしさという社会からの抑圧によるものだと考察を加えて、実体験による直感的な考えだけでなく論理性も強固にしながら問題の背景を深く探り、本質に迫っています。

「強さのセルフコンパッション」の出会い

本著では、セルフコンパッションとは、強さと優しさ、陰陽の二面性があり、両方がバランスよく機能することで自分の人生の充足感や結果を残していくことへより良い方向へ自分を導くことができると書かれています。

私が1番驚いたのが、強さのセルフコンパッションの存在です。
自分のために優しくする気持ちだけでなく、自分のために怒れる強さが同じくらい大切だということです。
女性は「怒っている」ことが恥、おかしいというジェンダーバイアスがいまだにあり、うまく怒りを表現できず怒っていることに気づかない、我慢してしまうことが多くあるそうで、私にも身に覚えがあります。

なぜ自分は怒っているのか、その気持ちの根っこに付き合っていくこと。
何か満たされない気持ちがあるのかもしれない。それに気がつくことで、怒りが自分自身を守る強さとして昇華されていくということを学びました。

私の中にある“怒り”への自覚

自分自身を振り返ると、私は親元離れる18歳の時まではほとんど怒った覚えがなく、不満が溢れたら、ただ気が済むまで泣く。そんな子でした。

20代の頃、つい最近まで、ずっと怒りの感情を抱えていました。
ずっと親や社会が憎くて、私を18までの間、感情的抑圧の状態に晒したのは彼らだと、ずっと思い、「女だから何もできない」というジェンダーバイアスに屈強に抗おうとしていました。

地方生まれの女性である私は、「自分らしく生きる」という今では当たり前の価値観を持つことに憧れと罪悪感を持っていました。
だから、都会でバリバリ働く、年収はいくら以上とか、こういう職業で、と、色々とこだわりを持つ自己実現の気持ちを、強欲なのかもしれないと思うこともありつつ、「一人の人間として当然の権利だ!」と過剰に主張することもありました。

ただ、よく考えると、私に負のジェンダーバイアスを強く与えたのは、社会のおとぎ話であり、「女らしさ」に強い幻想を抱く自分勝手な男性たちばかりだということに、本書を通して気がつきました。
実は、「女性らしさ」に苦しむ女性がいるように、「男性らしさ」に苦しむ男性がいる。
前述した、一見自分勝手な男性たちも、もしかしたら自分に課している男性らしさに知らず知らずのうちに自分自身を縛って、飲み込まれているのかもしれません。

一般的な女性らしさというのは、他者に対して献身的で、やや自己犠牲的。パートナーである男性のため、子供のため、そして家計の足しにとそれらを調整できる範囲で働く。そこには自分自身の自己実現欲を満たすことは許されていない。
私は、生まれ故郷で、親元で育つ時に、それを知り、悟っていました。
その世界しか知らなかった。
他の道の可能性も探れるということも知るよしもありませんでした。

伝統的な女性らしさをさも当たり前としながらも、謂れのない違和感を持ち燻っていた私の気持ち。大学進学を機に親元離れて一人暮らしを始めてから、自己実現を追い求める快感と苦しみを感じる旅が始まったのです。

誇るべき私の怒り

この一年でセルフコンパッションに出会って、私は怒りを出す許可をやっと自分自身に与えられるようになりました。逆説的ですが、いつ爆発するかわからない活火山のような沸々とした怒りは次第に引いていきました。

活火山のような怒りは、憎悪に近く、自分自身でコントロールするのが難しかったのです。
社会に対する憎悪を味わうほど反骨心へと変化し、そしてその煮えたぎる怒りの正体は、私がただ私らしくあり続けたかった。
ただそれだけ。シンプルな答えにたどり着いたのです。

セルフコンパッションの先にある“私らしさ”

とはいえ、私の中に、社会が求める、期待する「女性らしさ」に対しての怒りが消えたわけではありません。

本書を通して、私がこれまで怒りを感じた理由が明らかになりました。
私は社会から期待される女性らしさに抗おうとしていましたが、多くの事例で語られている、怒る女性は恥という価値観に囚われていた一人でした。
そして、男性顔負けの活躍と成功を求めれば求めるほど、優しさと強さの不均衡を生み出し、私自身を労り慈しむという1番大事なものを忘れてしまうということ。

自分に鞭打つためではなく、自分を守るために怒る。
そうして、怒りは優しさへとつながり、優しさは怒りへとつながる。
恥ずべきものではなく、全てが私自身であるということ。

全ては繋がって、循環する。
そして、自分で自分自身を優しく包み込む感覚を得ました。

女性としてのキャリア、結婚観、どうあるべきか。
30歳になった今、ことあるごとに色々言われることが増えてきました。
ただ、私はそこに過剰な抵抗をすることなく、時には怒りを覚えたら「母グマ」となってもいいでしょう。そんな場面に今後出くわしたら。

「で?それは私になんの関係があるの?」

さらりと、さも当たり前かのように言える自分になっていく。
そんな自分になりたい。なっていく。

この本を通して、私が自己実現を渇望し追い求めた日々を誇りに思いました。
そしてこれからもその道を貫いていく。そう誓います。

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