#とは
私の #とは は 人に関して語ろうと思う。
自分含め人がきらい。
なんて卑怯なんだろう。自分にとって不利なことは消し去って無いことに出来てしまうし、都合の良いように変換されてしまう。
私も中学生くらいの記憶は自分の中で消している。
-----------ツギ-----------
信用 とは。
○○は信用できる。○○には相談できる。
自分はそこまで人を信用してない。何か得ることはあるか。
前向きに考えるとその人は親身になって話を聞いてくれる。秘密は絶対他の人に言わない。
逆に捉えればその人は自分にとって不利な情報を持っている。喧嘩したり縁が切れることがあったらどうする。その人が誰かに言ってしまったら…。と考える。その人は白か黒か。人を疑いすぎるのはよろしくはないが、100%の人などいない。
すごく気分が落ち込んで色々と不安な時(適応障害と診断された)に血の繋がった人々(親戚)のグループラインに長文を送ったことがある。
自分が求めてる言葉ではない言葉が届いた。
実際、人が望んでる言葉を伝えられたりその時どう相手にいい言葉をかけられるか。難しいと思う。素でぱっと出せる人はすごく出来たひと、気遣いが上手い、人生経験、ロボットだと思う。
「辛いのは自分だけじゃない。」
「気を遣うべき人物が違う」
確かにそうだ。この現実楽しいことだらけでは無いし辛いことの方が多い。間違っては無いのだ、親の過去を知ってるし今も不仲が続いてる。目に見えるハブだって他人行儀だってわたしもされてるからわかるもの。だけど血が繋がってる以前にこの人たちは何も自分たちのこと思ってない、何を言っても無駄と初めて実感した。
「なんかあったら言ってね」「いつでも味方だから」は
毒キノコだと分かっているのに「毒入ってない大丈夫大丈夫食べてみな」と変換される。聲の形 という映画の他人の顔にバツがつくシーンのようだ。結局自分なんて嫌いだし良いところないとは思っているが自分自身に対しては裏切らないし信用できるのも自分だから大切にしなきゃとは思う。
良かれと思って発した言葉が相手にとってどうなのか。1番難しいところである。
人の幸せは素直に喜べないし楽しそうな人をみると落ち込むし遠い昔に何かを忘れてきたので距離感が生まれてしまうが極力前向きに物事を捉えられるようにしたいなと思う。
彼が超絶ポジティブで自分と真逆なので鬱陶しいけどたまに感情に刺激を与えないとまたなにも感じなくなってしまうので今日も適当に生きることにする。