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【京都検定】紫式部と京都

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。

今回は京都検定2級の公開テーマ「紫式部と京都」について勉強していきます。

以前訪問した際の写真も併せて掲載します。
かなり個人的なとりまとめですが、もしご興味があればご覧ください。



【紫式部を取り巻く人間関係】

まずは人間関係を整理。
あーやっぱり大河観とけばよかったなー

・紫式部
いろいろと謎のまま。
藤原為時の次女として、970年頃に生まれた。
藤原宣考と結婚したが死別。その悲しみから「源氏物語」を執筆。
これが道長の目にとまり、彰子に仕えながら源氏物語を執筆した。

・藤原道長
平安時代に権力を握った藤原北家の出。
左大臣になってから外威として摂関政治を行った。
中宮彰子の父。
結局彰子を一条天皇に取り入ってもらうために源氏物語を書かせたで、合ってるのかな。

・中宮彰子
藤原道長の長女。
和泉式部、伊勢大輔らの女房を召して後宮にサロンを形成した。

・一条天皇
彰子が入内に入ったときには、別に中宮(定子)がいたが、道長の圧力で定子を皇后、彰子を中宮にした。一帝二皇后は前例がないということ。

・皇后定子
藤原道隆の娘。
一男二女をもうけるが、次女出産時に亡くなってしまう。

・和泉式部
紫式部と同様に彰子に仕えた。

・清少納言
歌人・作家。
皇后定子に仕えていた。ここからもライバル関係であることがわかる。
紫式部とは面識がないと伝えられていることが多い。

【源氏物語】

源氏物語は一般的に第一部33帖、第二部8帖、第三部13帖の54帖からなる3部構成と言われています。

第一部

『桐壺』から『藤裏葉』までの33帖。
紫式部が夫の死をきっかけに執筆を始めた部分。
様々な女性が登場します。

光源氏誕生から栄華を極めていく時期の物語です。

六条院

第二部

『若菜の帖』から『雲隠』までの8帖。
『雲隠』にはストーリーがありません。
いろいろ確認すると、資料が無くなってしまったとも、光源氏の死を意図的に表しているのかとも言われています。

光源氏の晩年の時期の物語で、自らが犯した藤壺との関係に苦悩することになります。

第三部(宇治十帖)

『匂宮』から『夢浮橋』までの13帖で、後半が宇治十帖と呼ばれています。
主人公が薫と匂宮に移り、浮舟が登場します。

(余談:匂宮でふと思ったのですが「西尾維新」の戯言シリーズって、京都舞台というのもあるけど、登場人物の名前、近しいものがある。)

宇治十帖でのゆかりの地です。

・宇治神社
八の宮のモデルとされている菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が御祭神です。
宇治十帖のヒロインとなる大君・中の君・浮舟の父親です。
菟道稚郎子が道に迷ったときに兎が道案内をしたことから、「みかえり兎」がシンボルになっています。



・宇治上神社
こちらも菟道稚郎子が御祭神の一柱。


・宇治川
匂宮と薫から寄せられる三角関係に悩む浮舟が川に身投げを試みます。


・三室戸寺
三室戸寺には「浮舟の石碑」があるそうです。


・平等院
紫式部が『源氏物語』を執筆していた当時は、藤原道長の別荘「宇治殿」であり、作中においては光源氏の息子の夕霧が所有する別荘のモデルではないかと推測されています。

さて、京都市内に戻りましょう。

【紫式部 京都ゆかりの地】

京都市内での紫式部ゆかりの地を整理します。
一部源氏物語の舞台と重複します。

・雲林院
大徳寺境外塔頭です。
廬山寺で過ごした後、晩年は雲林院百毫院で過ごしたともあります。

・真珠庵
大徳寺塔頭
一休宗純禅師を開祖とする大徳寺の名刹。
『源氏物語図屏風』を有しており、境内には紫式部の産湯として使用したと伝わる井戸が現存しています。


・紫式部墓所
こちらはまだ未訪問。
かつて雲林院の境内の場所です。
紫式部はこの付近で生まれ育ったとされており、この辺りの地名が「紫野」ということから「紫式部」という通称となったという説もあります。
紫式部と並んで「小野篁」もこちらにお墓があります。


・廬山寺
紫式部が住んでいたエリアだと言われています。
紫式部の曽祖父、権中納言藤原兼輔(堤中納言)が建てた邸宅が「平安京東郊の中河の地」で、現在の廬山寺の境内とされています。


「境内歌碑」

めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に
雲がくれにし夜半の月影
        紫式部

有馬山ゐなの笹原風吹けば
いでそよ人を忘れやはする
        大弐三位


・清凉寺
光源氏のモデルとなった「源融」の山荘跡。
『松風』に登場する「嵯峨の御堂」の場所が一致します。
清凉寺は過去記事ご覧ください。

・遍照寺
具平親王と大顔がお忍びで月見に出かけた際に、大顔が急死しました。
この大顔が夕顔のモデルとされています。

・大原野神社
近々行きたい場所。
藤原氏の氏社。
中宮や皇后の参拝も多く、紫式部も彰子について参拝している。
父である藤原為時が越前に赴任した越前で、小塩山を思い出して歌を残している。

ここにかく 日野の杉むら埋む雪
小塩の松に 今日やまがへる

『行幸』では、冷泉帝が大原野行事を行い、玉鬘や六条院の人々も見物している。


【源氏物語ゆかりの場所】


内裏の中と外で。。
おそらくこの辺り(特に七殿五舎)で何問か出題されそうな。。


・平安宮内裏清涼殿
 
天皇の居所
平安宮内裏紫宸殿
 
内裏の正殿
平安宮朝堂院大極殿
・平安宮内裏宜陽殿

・その他関連 内裏 後宮七殿五舎

平安宮内裏凝華舎(梅壺)  
平安宮内裏飛香舎(藤壺)
平安宮内裏淑景舎(桐壺)
平安宮内裏昭陽舎(梨壺)
平安宮内裏承香殿(六条御息所)
平安宮内裏弘徽殿(朧月夜)

平安宮内裏温明殿(『紅葉賀』で頭中将と騒動を起こす)

・平安宮西限と左馬寮跡・藻壁門
『帚木』雨夜の品定め

・平安宮跡 豊楽院
『少女』二条院 白馬節会

・平安宮朝堂院昌福堂
太政大臣の儀式。


内裏外も。。

・鞍馬寺
『若紫』病気の祈祷で「なにがし寺」に訪れた際に、藤壺に似た少女と出会います。
この少女が「若紫(紫の上)」です。
鞍馬寺はこの「なにがし寺」の候補となっています。

・賀茂社(上賀茂神社/下賀茂神社)
『葵』の巻で、葵祭の斎王御禊の神事で、光源氏をひと目見ようと訪れた元恋人・六条御息所と正妻・葵の上の牛車が、場所取りを巡り争います。
(平安京一条大路)

源氏物語 車争図屏風(複製)
京都市平安京創生館

『須磨』の巻で光源氏が須磨に流される前に下鴨神社を訪れ、糺の森で和歌を詠む様子が書かれています。

・梨木神社
中川の家候補地。
『花散里』に登場する花散里邸がこのあたりと推定されいます。
また、『帚木』で空蝉に会う場所もこの中川邸です。

・野宮神社
賢木』で登場します。
六条御息所は正妻の立場にあった葵の上を無意識のうちに憑り殺してしまいました。
その後六条御息所は伊勢に行ってしまいます。。

・清水寺
『夕顔』に登場します。

六条御息所のもとへ向かう途中で、白く美しい夕顔の花が咲く家に住まう女性「夕顔」に心惹かれます。

しかし六条御息所は、自身を訪ねずに他の女性にうつつを抜かす光源氏に嫉妬の感情を抱きます。
ついには、六条御息所が怨霊として夕顔の枕元に立ち憑り殺してしまいます。

亡くなった夕顔は、清水寺のそばの鳥辺野に供養されます。

紫式部も「藤原彰子」の病気平癒祈願のため参詣したと伝えられています。

・仁和寺
『若菜上』の章で、朱雀院は女三宮を光源氏に託して、『西山なる御寺』に出家しますが、その御寺が仁和寺であると言われています。

長くなりましたが、ざっと試験対策をしてみました。
登場する作品と女性の関係性は、まとめるのが難しいので、最後まで資料を漁ります(;^_^A

長文にお付き合い頂いた皆様には感謝です。
ありがとうございました。

それではまた。








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Arie
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