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映画『女王トミュリス』とスキタイの弓

前6世紀に生じたアケメネス朝ペルシアと遊牧民マッサゲタイとの戦いを描いたカザフスタン映画『女王トミュリス−史上最強の戦士』(2019)が面白かった。さすが騎馬の民の国カザフスタンが制作しただけあって、実写による大規模な騎兵集団の激突シーンは、見ごたえがある。

バビロニアをはじめエジプトを除くオリエント全域を征服して空前の大帝国を築いたペルシア王キュロス二世は、数において圧倒的に優る兵を自ら率いて出陣したものの、この戦いで命を落としたと、ヘロドトスは書いている。映画は、ヘロドトスの記述にかなり忠実に描かれている。

個人的には、スキタイの金属器や、ギリシャの陶器に描かた図像で見慣れた、あのとんがり帽を被り、独特の衣装をまとった戦士たちが、生きた実体をもつ人物群像となって、馬を走らせ、彎弓を引いて戦う姿を観て、それだけで単純に感激してしまったのであった。さらに鉄製の三翼鏃が登場するシーンにも、マニアックに感激。スキタイ側の持つ小型の盾に注目。武器・武具・馬具の研究者で、まだ観ていない人があれば、おすすめ。

弓に弦を掛けるスキタイの射手

ちなみに、マッサゲタイは、当時カスピ海の東側に勢力を持っていた遊牧民の一派で、厳密にはスキタイとは区別されなければならないが、「スキタイ」という言葉は、前9世紀頃から前2世紀頃まで、カルパチアからモンゴルまでの中央アジアに広がっていた、全くもって均質的とは言い難い遊牧民の集団を、一派ひとからげにして呼ぶのに便利なので、慣用的によく使われる。ここでも、それに従う。

矢を番えようとするスキタイの射手(弓の形に注目)

ペルシア側、マッサゲタイ側の兵士の武器や武具は、かなり忠実に時代考証されているのではないかと感じた。カザフスタンの考古学者が、積極的に関与しているに違いない。

一つだけ、弓の研究者として時代考証上の意見を述べると、前6世紀段階では、映画で使われたような完成された形の彎弓、弓の両翼にシヤ(siyah)と呼ばれる部品を持つ複合弓は、未だ発明されていなかった、という点を指摘できると思う。スキタイ弓は、そのプロトタイプとなった、スキタイや古代ギリシァの図像に描かれているような、その一段回前の、シヤを持たないタイプの弓である。

シヤとは弓の両端に配置したテコの働きを促す硬い柄で、ステップの騎馬遊牧民によって発明されたと考えられる。このシヤの登場をもって、彎弓の開発は基本的に完結し、ウマとともに騎馬遊牧民がその勢力を急速に拡大させていくための原動力となった。シヤのない、例えばイングランド・ロングボウのような単一素材弓では、弓を引けば引くほど、引いた距離に比例してより強い力で弓を引く必要が生じる。これに対して、シヤを持つ弓では、弓弦が引かれシヤに力が伝わると、シヤと弓幹の結節部を支点としてテコの原理が働き、弓幹が容易に湾曲して、弓を均一な力で滑らかに引くことが可能となる。剪定バサミの柄を両手で持って力を加えると、刃部に力が集中し、テコの原理で太い枝でも楽に切り落とせるのと同様である。この硬い柄の部分を、アラビア語ではシヤ(siyah)、ハンガリー語ではサルフ(szarv)、フィンランド語ではサルヴィ(sarvi)、トルコ語ではカサン(kasan)と呼ぶ(Maenchen-Helfen 1973)。サルヴィとサルフはいずれも角を意味するが、それはシヤがもともと骨角製の部品だったからである。

岡安 2011「「アジアから来た戦争」と北極圏の弓」『年報人類学研究』南山大学

とはいえ、これは些細な問題だし、そもそも彎弓の発達史をめぐる研究はそれほど進んでいるわけではなく、そもそも私の見解も、国際的な弓の研究者(本格的に研究している人は10人もいない?)からおおかたの承認を受けているわけでもないので、この映画の価値を損なうものでは全然ないことは確かである。

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