読書感想文(119)森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』
はじめに
こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。
今回は久しぶりに森見登美彦さんの作品です。
スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』を読むのにかなり時間がかかったので、しばらくはサクサク読める本がいいなぁと思って選びました。
尚、今回は少しだけネタバレに繋がり得る感想もあるので、気になる方はご注意ください。
感想
今回は珍しく、大学生ではなく小学生が主人公でした。天才であり、それを自覚している小学生です。
今ふと思ったことですが、こんな小学生がどこかで挫折して成長した結果、森見登美彦作品によくいる大学生のようになるのかもしれません。自分の実力はまだまだこんなもんじゃない、と思いつつ、自分の中で理屈をこねくり回すいわゆる陰キャな(?)大学生。
まあこの小学生は頭が良く、努力を怠らず、活動的なのですが、どこかで道を逸れるとやっぱりそうなりそうな気がします。尊大な所がよく似ています。
この作品で最初に気になったのは最初のページでした。
この向上心は素晴らしいもので、私もずっと持っていたいです。
一方で、成長はそんなに単純なものではないんだよ、少年、と思いました。仮に「自分のえらさ」をグラフにしてみたら、恐らく単調増加ではないと思います。しかし「自分のえらさ」の減少が必ずしも悪いことではなく、その余白があったおかげでその後により傾きが大きくなる可能性もあります。
具体的に言えば、家でぼーっとする時間のことです。家でぼーっとした人よりも、同じ時間分勉強した人の方が恐らくえらくなっています。しかし家でぼーっとし続けていると、その余白から何か新しいものが生まれたりします。常に勉強する対象が決まっていると、なかなか斬新で創造的な考えとは浮かんでこないものです。自分は一人なのでどちらが良いかなんて比べることはできませんが、息を抜くことも良い投資であると私は思います。まあ主人公のアオヤマくんも遊んだりしているので、その辺りはよくわかっていて上手くバランスを取っているのでしょう。
こういったバランスや、自分が何をすれば良いのかということは、現代人はなかなか見失いがちなのではないかと思ったりもします。何かに囚われているかのように勉強する人もいれば、全然向上心が見られない人もいます。人生はその人に委ねられているのでそれはそれでいいし、原因がその人だけでもないとも思うのですが、それでいいのだろうかという気持ちもあります。
さて、アオヤマくんは強い向上心を持っているわけですが、それを苦にしていません。これは共感します。最近読んだ中だと岡潔『春宵十話』にも書かれていましたが、一度向上の味を覚えたら、それ無しではやっていけないのです。
しかしそれは何の為なのか、ということも最近よく考えます。自分のレベルアップそのものが嬉しいということで終わらせても良いのですが、ではレベルアップの先には何があるのでしょうか。
その答えをアオヤマくんは最後に見つけるわけです。そう考えると、これは恋愛小説とも言えるかもしれません。
私自身は「誰かに幸福を与えるため」 というのが今の所しっくりきています。
このお話の主人公は小学生ですが、子どもの素晴らしさも存分に描かれていると思います。主人公は少し特殊ではありますが、他のクラスメートたちも毎日が探検、発見の連続でいきいきしています。様々なことに興味を持って活動的なのは素敵なことだと思います。大人を見てみると、そのような輝きは失われつつある人が多いように感じます。現状でなんとかなるからわざわざ動こうとしないとか、自分はこういう人だと決めつけすぎてしまって視野が狭くなっているとか。私が大人嫌いで偏見も多分に含んでいますが、やはり子どもには敵わない、と自分自身についても思います。
主人公の父は良い大人だなぁと思いますが、ハマモトさんの父は子どもの言い分を聞かないシーンがあり、全くこれだから大人は……と思いました。まあ大人には大人の苦労がありますもんね、心配とか色々。でも子どもの話をよく聞かないのはとても勿体無いことです。実際、そのせいでハマモトさんの父は危険な目にあったわけですし。
割と長くなっているので最後に一つだけ書いて終わりにします。
最後に書くのはおっぱいについてです。 相変わらず好きだなぁこの人はほんと。
将来文学部の学生が『森見登美彦作品における「おっぱい」』とかいう論文を書いたりするかもしれないですよね。森見登美彦の研究をするには「おっぱい」というキーワードを抑えておかなければいかないですし。このnoteだってやむを得ず何度も「おっぱい」と書いているわけです。
まあ真面目な話、作中で触れられている「おっぱい」に関する研究はなかなか興味深いものだと思っています。
そこに惹かれるのは本能だ!と片付けてしまうのかもしれませんが、惹かれるものとそうでないものがある時、その条件は何なのでしょうか。形によって認識しているのか、それとも概念によって認識しているのか。カントの美的判断を踏まえた上でも色々と考えられそうです。
めんどうなので詳しくは考えませんが、抽象化できれば様々な物に応用できるので、立派な研究だと思います。
おわりに
今回は思っていた雰囲気と少し異なりましたが、楽しめました。
大真面目なのにコミカルなのは相変わらずでしたが、最後にちょっと泣かせにくるんだもんなぁ、ずるい。
森見登美彦さんの作品は今の所『夜行』を積んでいます。またそのうち読むんじゃないかなぁと思います。
ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。
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