読書感想文(342)小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』


はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は久々に小川洋子さんの作品です。

感想

序盤は何となく取っ付きづらい印象でしたが、全体を通して読むと良かったです。
ただ、ちょっと表現があまり好きじゃないなぁと思うところもありました。
例えば、「この場面を何度も思い出すことになる」といった説明は、個人的にあまり好きではありません。これは平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』にも出てきて、唯一あまり好きではない所でした。
あとは「布巾は祖母の病状を象徴するように」など、象徴を説明的に明言してしまうのも、読んでいて違和感がありました。
また、私はチェスのことを全く知らないので、奥深さを楽しめなかったというのもあるかもしれません。深淵が表現されているように思わされつつ、チェスというゲームで実際はどの程度「詩」を感じられるのだろう?と疑ってしまう気持ちがありました。『博士の愛した数式』の時は素直に神秘的で素敵だなと思えたのですが……。

"大きくなること、それは悲劇である"

P126

裏表紙にも引用されているこの一節は、この作品のキーであると思います。
物理的な成長もそうですが、私はどちらかと言えば精神的な部分の方が大人に近づきたくないと思いながら生きてきました。
こんなことを書きながら、今も自分は結局どんなふうに生きていくのだろう?とぼんやりとした不安があります。

封を破ると、三つ折りにされた便箋が一枚出てきた。そこには時候の挨拶も、近況報告も、署名もなく、ただ真ん中に、
【e4】
とだけ記されていた。忘れようもないミイラの筆跡だった。

一週間後、リトル・アリョーヒンは返事を書いた。
【c5】
それが彼の返事だった。

P293,294

ここはなんだか良いなと思いました。
文通によるチェス。言葉では表せないものが表されているような気がします。
ただ、リトル・アリョーヒンとミイラの運命は結局分かれてしまったままでした。
これをどう考えれば良いのか、今はわかりません。

「人形を出たら、きっと僕はチェスを指せませんよ。(中略)いくら願ってもビショップが、斜め以外、真っ直ぐにら動けないのと、あるいは、屋上に取り残された象が地面に降りてこられないのと、同じです」

P347,348

自分にできることとできないことは何なのか、と考えました。
できないことは、まさに、自分にできることとできないことは何なのか、という問いの答えを見つけることです。
私のような人間をモラトリアムということは頭でわかっているのですが、上手く抜け出す方向に持っていけません。
自分にできることは何なのか、と考えた時、大して何もないという答えで決着をつけるのは簡単ですが、諦めることはいつでもできるから、と思ってしまいます。
若いうちに諦めて、能天気に楽しく生きる期間を増やした方が良いのでしょうか。
人生の迷子中です。

おわりに

なんだか本の内容とあまり関係の無いような感想になってしまった気がしますが、自分の今の本音だろうなぁと思ってそのまま残しておきます。
まだ本音をアウトプットできるているのが救いかもしれません。
もしくは、本音を押し込めることができるようになった方が救われるのでしょうか。
ともかく、今回はここまでで終わります。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


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