【千代田区】靖国神社の競馬場
2020年ある夏の日、靖国神社にいってきました。
東京時層地図をみると、なんとこの場所は明治初期には競馬場。
奥には靖国神社の本殿があります。本殿は明治5年に造られました。
ちょうどこの当時、現在の新宿区大久保にも競馬場がありアメリカのグラント元大統領も来訪しました。
明治初期、日本国内も急激な欧米化と軍国化を目指していたのでしょう。
ぱっと見た感じ、コーナーが急ですね。ほとんど直角じゃないかっていう。
江戸時代末期1860年頃だと日除け地で弓と馬の稽古場だったようです。このぐらいの年代から推定すると
松平駿河守 牧野 忠恭
堀田摂津守 堀田正頌
永井若狭守 永井 直幹
あたりかなとおもいます。
明治後期です。
明治後期には大村益次郎像が建ちます。
大村益次郎は官軍側の軍師で明治2年に刺客に襲われたのがもとで亡くなり、明治26年に銅像が建てられました。
昔の地図をみていると、江戸時代とはガラっと変わって国の体制がまるっきり変わったのを実感できます。
人はこれをクーデターとか国家転覆とか呼びますし、なんとなく判官贔屓的な気持ちで敗れた側を応援したいという気持ちもありましたが、よくよく考えると明治維新がなければ僕なんか名字もないんですよね。
僕の家の祖父は明治30年頃の生まれで、(仮に)佐藤という名前だったのですが、集落での通り名は山下だったんですね。山の下に住んでいるからと。周辺は同じ佐藤ばかりなので、明治になる前までは庶民は通り名で読んでいたのではないかと思います。
お墓をみても江戸期から続く先祖代々の墓ってそうそうお目にかかれないですね。まあ墓なくても我々が存在しているっていうのは、遺伝子の器として続いてきたっていうことなので、それでいいんじゃないかと思ったりしますけど。
関東大震災前の地図。
また戻りまして明治初期の地図。靖国神社の南側に大きな邸宅があります。
井上馨とならぶ明治の元老 山縣有朋
長州藩出身で、明治政府で薩長が実質的に権力を握っていた最後の人物です。
明治後期から農商務大臣邸となります。さらに南には三井邸、梨本宮邸がありますね。
1925年(大正14年)に農林省(農林水産省)と商工省(経済産業省)に分かれることになります。
現在は三番町共用会議所として農林水産省
建物は戦争で焼けてしまっていますが、庭園は残っていて時折一般公開されています。
元老の残した庭園、いつか行ってみたいです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?