【新宿区】大久保に競馬場あり
コロナ第一波がくるかこないかという時期の話。2020年3月。
桜が咲いていました。
明治通り沿い、新宿区大久保のコズミックセンター前のマクドナルドで昼食。
ふとiPhoneの東京時層地図を開くと、現代からは想像できない景色が広がっていました。
戸山公園にスポーツセンター、諸々の学校、早稲田大学の理工学部もある。
さて明治初期に飛んでみましょう。
文明開化時 1876-84(明治9〜17年)
なんと、競馬場があるではないか!!
それも我々は今コースのど真ん中にいる。
コース形状はJRAで例えると小倉競馬場のダートコースっぽいぞ。
左回りコースだと四コーナーを回って最後の直線。
真ん中に田んぼがあって橋がかかっている所が、なんとなくコースを想像してしまいます。
Wikipediaからまるっと引用すると
戸山学校競馬
1879年(明治12年)8月、来日したアメリカ合衆国前大統領・ユリシーズ・S・グラントを歓待するために陸軍戸山学校内に作られた馬場(1周1280メートル)において行われた洋式競馬。外務卿および宮内卿の主唱で陸軍によって開催された。後、共同競馬会社主催の戸山競馬が1879年(明治12年)秋から1884年(明治17年)春まで春秋に開催された。
明治12年の外務卿といえば井上馨。鹿鳴館を建てて極端な欧米化を目指した事で知られる。
陸軍戸山学校の敷地とある。
いままで古地図をみてきたなかで、明治政府がドンと大きな場所をとれるところというのは、幕府方の有力者がもともと持っていた広大な土地が多い。
ということで江戸末期の地図をみるとこの辺りは、明治通りから東の戸山は尾張中納言義勝。
尾張徳川の当主にして、江戸末期幕府方の重要人物、松平容保の兄。ちなみに現在の徳川宗家は容保の子孫ですね。
競馬場は江戸時代には給地手作場と書いてあって若干読みは外れました。
馬場に訪問したユリシーズ・グラントというアメリカ大統領。南北戦争時代のリンカーン側の将軍ですね。
大統領をやめてから世界を旅していたうちの一つに日本をめぐっていたようです。国立国会図書館のデータベースには明治天皇と三条実美を交えて会談している様子がありました。
明治末期 1906-09(明治39〜42年)
競馬場は無くなって射撃場になりました。
この射撃場だけみるとどういう用途だったのかわからなかったのですが、隣が陸軍戸山学校だったということで、訓練場だったのだと納得。
射撃=軍ってなかなか結び付かない日常生活をしています。
関東大震災前 1917-28(大正6〜昭和3年)
昭和戦前期 1928-1936(昭和3〜11年)
昭和初期の時代に明治通りはできたということがわかります。
射撃場の表記がなくなっているのは戦時中だから?戦後にここは無くなりますが、戸山学校についてはのちに記載します。
地図上でも40年間は射撃場だったのだから、掘り返せば弾丸、薬きょう、いろいろなものがでてきそうですがどうでしょうか。
場所を移動しました。スポーツセンターちかくの公園の一角です。
明治初期でいうところの競馬場のコース内です。
あ、今気が付いたけれど、ラッパーとして有名なMC漢さんのクサリカフェがある。ちょうど諏訪神社の対面ですね。
2020年の地図。
下の地図は1960年代ごろ。
高度成長期直前は射撃場と都営住宅だったみたいですね。
高度成長期以降にまたガラッと様変わりして、公園と学校が入る感じになりました。
バブル期に突入します。
江戸、明治、大正、昭和、平成、令和でかなりの変遷がありました。
このあたりが地図のだいご味と言えるところではないでしょうか。