私は理学療法士、教師、営業と色々な仕事をしてきた。その中でいつも思う事は、結局仕事やスポーツの世界で通用するのは人、つまり人間性だという事だ。 仕事がうまく行く時、それは自分という人間を受け入れてもらえた時だ。自分が仕事をこの人としたいと思うとき、だいたいその人は素敵な人だ。 スポーツでもそうだ。成功している人は人徳者であり、人としての魅力に溢れている場合が多い。 社会人10年目、今年はその事を強く感じながら働いている。つまり、自分自身の人間性を高めていかないと
僕の野球との出会いは、小学4年生の9月ごろ。弟に連れられて行った少年ソフトボールチームである。弟もチームメートに誘われたようだ。もともと、カラーバットとカラーボールで遊びのバッティングでしていたことから。ワクワクしながら行ったのを今でも覚えている。その体験がきっかけで、弟と揃って入団することとなる。それから、現在31歳までの約21年間野球から離れたことはない。まさに野球バカである。 野球に出会うまでの私はスイミングを習う程度。父親はサッカーと野球を習っていたらしい。何か
行き詰まった壁を打破するには、まず原因は相手にではなく、すべて自分にあるのだと自覚すること。 原因はすべて自分にある、ということは、何事も「自分しだい」ということ。 それを受けとめた時、人生の目的が見えてくる。自分を知る事で次にどう行動すればいいのか見えてくる。 師匠からの教え
僕は宮崎県で産まれ、広島県で幼少時代を過ごした。性格はおとなしい方で、人見知りもそれなりにしていたという。兄弟は男3人で僕は次男坊である。父親と母親は優しく育ててくれて、あまり怒られた記憶がない。甘やかされたというとそれまでかもしれないが、親になってみて子育て上手な両親だったんだなと思う。怒らず育てることがどれだけ難しいか今肌で感じている。お手本のような両親である。 僕の幼少期は、おかっぱヘアーで長い靴下を上まであげて、兄の子分のように引っ付いて行動していたという。弟が
僕は宮崎県で生まれ、その後9歳までに5回引っ越しを経験する。父は保険の営業マンで転勤族であった。兄はサッカーを、弟は野球をしていた。母は専業主婦からホームヘルパーの資格を取りヘルパーとして勤めた。そんな僕の今までの人生を振り返る場所に、ここnoteを選んだ。 僕は野球が大好きである。野球を僕からとると何ものこらないような男である。野球の最高峰といえばプロ野球やメジャーリーグであるが、僕は甲子園に魅力を感じている。僕が高校野球の監督になるまでの経験や、今後の展望についてこ