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野球との出会い
僕の野球との出会いは、小学4年生の9月ごろ。弟に連れられて行った少年ソフトボールチームである。弟もチームメートに誘われたようだ。もともと、カラーバットとカラーボールで遊びのバッティングでしていたことから。ワクワクしながら行ったのを今でも覚えている。その体験がきっかけで、弟と揃って入団することとなる。それから、現在31歳までの約21年間野球から離れたことはない。まさに野球バカである。
野球に出会うまでの私はスイミングを習う程度。父親はサッカーと野球を習っていたらしい。何かスポーツをさせようと思わなかったのかと考える。プロ野球選手が夢であった自分は、当時もう少し早く始めていればとか、クラブチームで英才教育をしてもらえたらとか、考えたこともある。しかし、自分にも子どもが生まれ、親目線で考えるようになると、『健康で元気に育ってくれたらそれで良い』という思いが先行する。
野球で人生は潤ったし、まさに人生の生き甲斐を見つけたと感じている。しかし、野球が全てではないと親は知っていたのだろう。また、自分が本当にやりたいことを見つけて欲しいとのことだろう。親になって本当によくわかる。親に感謝である。
初めて打ったホームラン。ソフトボールであったため、ランニングホームランではあるが今でもよく覚えている。高めのまっすぐを右中間に打った。小学四年生で始めたため、周りに遅れているとは感じていたが、最終的には4番サードを任されるようになった。最初の背番号は15、ファーストを守った。ソフトボールは真冬でも試合がある。雪降る中打席に入り、守備についた日々を思い出す。
年中野球をしていた。今思うと1番練習していたのが小学生かもしれない。当時のコーチSコーチには厳しく育てられた。恩師の一人である。女性ではあるがまさに鬼コーチという言葉がふさわしい。卒団の時には、「あなたが1番成長した。」と褒めてもらったこと今でも忘れない。
良い思い出ばかりの野球との出会い。弟の影響で始めたソフトボール、父の影響で西武ライオンズの大ファン。そんな小学生は野球にどっぷりであった。まさか高校野球の監督を務めるとはこの時思いもしなかった。