![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171045360/rectangle_large_type_2_bd07e42e28926cd199eaaa8d6d851e24.png?width=1200)
本当の本当に昭和ガメラの「おしまい」:『宇宙怪獣ガメラ』(1980)
Vtuber:ミラナ・ラヴィーナさんの初見同時視聴動画に合わせて再鑑賞。
この方は、ゴジラ映画の同時視聴をきっかけにして、東宝のその他怪獣映画作品もライブ配信で鑑賞している。ラドン、モスラを始め平成モスラ三部作と進んでいき、ついに今年からは大映・昭和ガメラシリーズを視聴開始。最近では角川のYouTube公式チャンネルが期間限定配信するのに合わせて同時視聴するVtuberさん方もいるが、ここまで進んで履修する方はなかなかいない。好奇心旺盛でもあり挑戦者ともいえよう。
そしてつい先日、昭和ガメラを完全履修したのである。
さて『宇宙怪獣ガメラ』は、製作元の大映が一度倒産し、徳間書店の参加に入ってから初のガメラ映画だ。監督は湯浅憲明、脚本は高橋二三と、昭和の作品全てに携わったお二方がまたもタッグを組んだ。平成ガメラが金子・樋口コンビの賜物なら、昭和は湯浅・高橋コンビの賜物だと断言できる。
同時視聴に合わせて再鑑賞するに……これはそのコンビが「”会社が倒産”という中途半端な形で途切れてしまった昭和ガメラを、こういう形で終わらせた」映画なのだと思わせてくれる。
いやもちろん、特撮映像は過去作品の流用ばかりではないか、というのは分かる。しかし前年には円谷プロも同様の映画を作っており、この形式を用いればガメラでも一本作れるのでは? という発想が出てもおかしくはない。なので、どこをどういう風に繋げて話を作るのか、という点に着目した方がいいだろう。
とはいえ、その話自体にツッコミたくなる気持ちも先と同様に凄く分かるのだ。今回配信したミラナさんもそうで、反応からして明らかに戸惑いというか、いろいろとツッコまずにはいられない様子が見て取れるのだ。おまけに長らく昭和ガメラを見続けてきたゆえ、流用映像が出るたびにそれぞれの作品に抱いた感想が出てきて「いつの間にそんな(設定に)?! 歴史の改変だ、嘘つくな!!」という具合で、もはや笑いというか苦笑が止まらなくなっている。
しかしそれでも強引、という気がしないのだ。敵怪獣達が全てザノン人の手先、という設定も「こうすれば一頭も欠けること無く全て登場させられるではないか」という立派なアイデアだと思う。地球に登場しなかったギロンもそれで収めてしまったのだから大したものだ。自分は嫌いではない。
無理がありつつも強引に、という部分もガメラの面白いところである。細かいコトはいいんだよ! で押し切る感じもらしいといえばらしい。ただツッコまれるのもしょうがない、とはなる。本作はなおさらそうなのだ。
正義の宇宙人であるキララたちは、人間に姿を変えている時は敵に探知されないが、宇宙人の姿に戻ると探知されてしまう。それを利用した展開もあるが、いささかピンチ感に欠けるところもあった。
加えて、本編内ではガメラが架空の存在なのか、それとも過去に存在したのかという説明があやふやである。キララ達が念力を使ってガメラを登場させた時も、あの飼っていた亀をガメラに変身させたのか、それとも少年の想像を元に創造したものなのかがよく分からないのだ。少年と亀の件はまんま一作目なので、脚本の高橋氏がそこを上手く拾ってはいるのだが。そう考えると惜しさも感じてしまう。
そして最後、ガメラは宇宙海賊の母船めがけて突進し、自らの命と引換えに地球の平和を守る。よくよく考えてみれば、ガメラシリーズは倒産をきっかけにして途絶えてしまい、物語として完結していなかった。
だからこそ本作は、ガメラシリーズそのものをフィルムの再利用という形で振り返りつつ、強引な新設定ながらも物語を作り上げ、かつ完結させたのである。ある意味ミラクルではないか。物凄く安い作りではあったが、それもまた『宇宙怪獣ガメラ』の味である。ただその強引さゆえ、他人に勧めづらい味になってしまったのが難点だ。それこそミラナさんのような、昭和ガメラを全て履修した方向きだろう。なお、最後にミラナさん曰く
「昭和のユルさを感じられる。ただ1980年にこれ撮って許されるのかというとね……(苦笑)。でも監督は悪くないよ。アタシは監督の気持ちが分かるよ。ずっと予算と戦ってたんだから」
それが平成に入っても続くとは、また何とも。
![](https://assets.st-note.com/img/1737462764-CBAXo1pKTRw4aJYt5kxmnQb0.png?width=1200)