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ランス・ハマー『Ballast』――ミシシッピに遺された者たちの沈黙が描き出す喪失と再生の物語
物語はある男の突然の自死から静かに幕を開ける。遺された双子の弟は、兄を失った痛みに押し潰されるようにすべてを手放し、薄暗い家に引きこもる。男のかつての恋人とその息子は、荒れ果てた暮らしの中でかすかに残る希望のかけらを探している。生と死、過去と現在が交差するミシシッピ・デルタの湿った空気の中で、3人の人生は否応なく絡み合い、それぞれが封じ込めてきた怒りや後悔を静かに掘り起こしていく。
ランス・ハマーの長編デビュー作『Ballast』(2008年)は、アメリカ南部の静かで重たい風景を背景に、圧倒的な静寂と余白によって喪失を描き出す。台詞は極端に削ぎ落とされ、わずかに交わされる言葉すらもぎこちなく、行き場のない感情の断片として漂う。人物同士の距離、かすかな視線の揺らぎ、震える呼吸が雄弁に彼らの関係を語る。風に揺れる草木、低く垂れ込める灰色の空、凍える空気に包まれた地平線。そうした風景が心象としてスクリーンに刻まれていく。
出演者は全員が非プロフェッショナルであり、彼らのリアルな佇まいによってドキュメンタリーのような生々しさが生まれている。ただそこにいるという事実だけが物語として立ち上がっていく。触れられなかった怒り、届かなかった愛情、言葉にできなかった悲しみ。静かに積み重ねられる感情はいつ崩れてもおかしくない緊張感を生み出す。
撮影監督は当時まだ無名だった英国出身のロル・クローリー。『Ballast』が彼にとっても長編デビュー作だったが、その映像美とカメラワークは絶賛され、インディペンデント・スピリット・アワードで撮影賞を受賞した。その後クローリーは『ブルータリスト』(2024年)でアカデミー撮影賞を獲得するが、その原点がこの小さなインディペンデント作品に刻まれている。
監督のランス・ハマーは異色の経歴を持つ。もともと建築家を目指していた彼は、映画業界に転身後、『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』(1997年)などでデザインアシスタントとして制作に関わった。自らメガホンを取った『Ballast』は静謐で荒涼としたインディペンデント映画として完成し、デビュー作にもかかわらずベルリン国際映画祭コンペティション部門にノミネートされた。新たな才能の誕生を誰もが疑わなかった。
ところがハマーはその後突然消息を絶つ。映画業界から完全に姿を消し、どこで何をしているのかさえ分からなくなった。『Ballast』という衝撃的なデビュー作1本だけを残して消えた監督としてその名は伝説化していった。
しかし2024年、10年以上の沈黙を破るニュースが飛び込んでくる。新作『Queen at Sea』を極秘裏に撮影していたというのだ。主演はジュリエット・ビノシュとトム・コートネイ。内容は一切明かされていないが、2025年中に映画祭で上映されることを期待したい。
2008年ベルリン国際映画祭コンペティション部門で上映。2008年サンダンス映画祭USドラマ部門・監督賞受賞。日本未公開。