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あなたはどっち派?
ここ3年ほど、外出時は眼鏡をかけて出かけていたワタシだが、久しぶりに。それはもう久しぶりにコンタクトをつけて外に出た。
そして外がこんなに開も放的な空間だったということにとても驚いた。
視界の端に映り込むフレームがない。
フレームの外側に広がるぼんやりとした世界がない。
鼻の上に感じる眼鏡の重さを感じない。
鼻が低いためにずるずるとずり落ちてくるあの不快感がない。
にもかかわらず、見えるモノ全てにしっかりとした境界線が存在する。
目の前に広がるクリアな世界を一言でいうなら「台風一過」といったところだろうか。
晴れ渡る青い空。秋めいた爽やかな風。
久しぶりに「ああ。生きてるんだなぁ」と心の底から思った。足取りは軽く、無駄にきょろきょろと辺りを見回したりなんかしながら。
これからはまた、コンタクト生活に戻ろうかな。
新居で新生活を始めたばかりのようなウキウキした気持ちでしばらく過ごしたワタシは、ふと携帯に目をやった。そしてその瞬間、どうしてコンタクト生活をやめて眼鏡生活に変えたのかを一瞬にして思い出した。
そう。そうなのだ。
矯正視力ではスマホの文字が見えない。読めないのだ。
手をピンと張れば見える。しかし、それはそれで字が小さくなるので見辛い。かといってスマホと目の距離を近付ければ近付けるほど文字はつぶれてぼやけていくばかり。目を思いっきり細めて見れば見えなくもない。でもそこまでスマホに必死になっている自分を想像するとちょっと厳しいものがこみ上げてくる。
ああ。そうそう。
外でスマホが見えないから眼鏡をかけて出るようになったんだったね。(家の中は裸眼)
眼鏡なら、頭の上にひょいと乗せてしまえば手元にあるスマホの文字がしっかりと読めるのに。
ああ。今すぐコンタクトを取り去ってしまいたい。
そんな気持ちと格闘しつつも、何とかスマホを操作し終えたワタシは青い空を見上げた。
家を出た時と同じくらい青い青い空。なのになんだか切ないのは、文明の利器とこの澄み切った青い空をもう同時に見ることはできないのだという現実をまざまざと突きつけられたからなのかもしれない。
なんとも言えない暗い気持ちで家に帰ったワタシだったが、荷物を置いているときにふと、ついこないだ百均でなんとなく購入した老眼鏡のことを思い出した。
あれをかければ見えるんじゃね?
いそいそと部屋に入るとワタシはコンタクトを入れたまま、まだ真新しい老眼鏡をかけてみる。そして手に持っていたスマホを見ると……
見える!見えるぞ!!
文字がはっきりくっきりと!この距離で!
そしてワタシはとてもいいことを思いついた。
これから外に出るときはコンタクトにして、必要な場面では老眼鏡をかければいいんじゃなかろうか。ワタシってば天才。
しかし、ルンルンした気分で老眼鏡を外し、机の上に置いた瞬間ハタと我に返った。
老眼鏡を持ち歩く?必要な場面が来たらカバンから取り出してかける?
めんどくさあああああああ
それやったら眼鏡かけて出かける方が荷物減るし、取り出したりなおしたりする手間かからんし。絶対にそっちの方が楽!
だったらもう、メガネ派でいいかな……。出したりなおしたりめんどくさいし。
眼鏡ストレスゼロなキラキラと素晴らしい世界よさようなら。
と、メガネ派を貫こうと決めたその少し後にワタシは気がついてしまった。
メガネ派であり続けるのならば、これからどんどんと老眼が進むうちに近視用メガネと老眼鏡の二刀使いにならざるを得ないということに。
ダブルメガネスタイルになるなら、頭の上に乗せちゃうかメガネストラップを活用するタイプかの2択?どっちがよりお手軽だろう?
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コンタクトにして手元を見る時は老眼鏡を使うことにする方が、眼鏡一本でいいからその方が楽なのかなぁ……でも出したりなおしたりめんどくさ……
なんてことを考えているうちに、遠近両用という最先端技術(?)があることを思い出した。
ついにデビューしちゃう⁈
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