古文漢文学習の優先順位
ひろゆき氏のツイートと共に、Abema Primeで古文漢文学習の必要性が取り上げられた。
吉野先生が出演されていたので約45分間しっかり見させていただいた。こんなにAbemaを真剣に見るのは、自分が街頭インタビューを受けた時と、ツイステチャンネルをやってる時くらいだ。
Abema Primeの番組は、予備校講師である吉野敬介先生と、フランス人で日本文学を研究されているツベタナさんがゲストで参加され、古典を学ぶ意義や優先順位について議論された。
(主にツベタナさんが熱く、たくさん話されたため)予定以上に長い激論だったが、楽しめた。しかし、各人の古典に対する捉え方の粒度が異なっており、特に結論はなく発散して終わった印象だ。
ツベタナさんは相当古典に思い入れが深く、自国の紡いできた歴史を後世に引き継ぐことや、国際社会の中でのアイデンティティ確立のために古典は必要だと言う立場であった。
一方、ひろゆきさんや司会の平石さんはお金のことなど義務教育でもっと学習すべきことがあるのではないか、という立場。
ツベタナさん、とても良いことを仰っていたのだが、いかんせん熱くなり過ぎなのと出す例が非常にコアで、共感を得られていなかったのがもったいなかった。
吉野先生が、試験で問われている以上、限られた時間の中で効率よく学ぶべき、という予備校講師として当然の立場でお話しされているのと、ツベタナさんの「文化として〜」という熱弁は平行線。
誰もが間違ったことは言っていないから、「今の受験勉強をどう見るか」「今後の日本にどうなってほしいか」くらいは論点を絞って話された方が方向性が見えたと思う。
私はと言えば、やはり義務教育では古典は学習すべきだという立場だ。誰もが「祇園精舎の鐘の声」「春はあけぼの」とそらんじられることは、実学的な意味以上に価値のあることだと思う。
(2020年2月、初めて街頭インタビューを受けた私)