野茨の咲く頃に…&安桜芙美乃とはどんなやつ‥‥?
野茨の咲く頃に
この世に生まれた一つの命
歩き始めた人の世の
泣いて笑った生きざまの
人生一世の物語…
この世に生まれた一つの命
歩き始めた山の中
山を歩けば茨の花に
思う心は人の業
歩き疲れて一時休み
座る場所にも棘の椅子
山の野茨綺麗な花に
伸ばす指先刺さる棘
痛み堪えて疲れて果てて
遠い故郷思い出す
歩き疲れた山道くだり
着いた麓に咲く花は
香り麗し素朴な花の
白く野に染む茨の畑
棘を避ければこの手に触れて
愛でる白花野茨の
咲いた野山の試練の道も
後で思えばいとをかし
しかしこの身は傷つきながら
歩くこの道続く道
野薔薇思わす妖しい姿
見とれ近付き声かけようと
そこを遮り邪魔する輩
棘をばらまき近寄せまいと
威嚇の姿が可笑しく見えて
阿呆と言ったら怒りだし
まいた棘踏み七転八倒
呆れ野薔薇の花妖女
己の撒いた茨の棘を
踏んだ男を置き去りに
踵返して背中を向けて
歩く野薔薇に声かけた
粋な姐さんちょいとお待ちを
追えば野薔薇の振り向く姿
見とれ心を掴まれ惚れて
押せよ押せよの男の心
二人めでたく夫婦となって
雄しべと雌しべの営みに
生まれた子供の可愛いことよ
家族戯れ歩き出す
花の咲く道綺麗な道も
時に茨の道を行き
せっせせっせと働き詰めて
やがて試練の道にでた
身体壊して寝床に伏せて
一切皆苦の思い知る
子供あやして働く妻は
床に伏せたる夫を思う
色気漂う野バラの妻に
目つけ誘うは男の心
仕事育児に疲れた妻の
心巧みに誘いかけ
靡く女の挫ける心
誘う言葉についつられ
女心につけこむ男に
我に返った女の心
我が子愛しと急いで家に
帰り抱き締め己を恥じる
病好転夫の身体
尽くす女の意地らしさ
惚れて尽くすは女の意地と
惚れて護るは男気と
せっせせっせと働き始め
やっと建てたぜ一戸建て
福の到来喜ぶ後に
不意に悲しい不幸の到来
妻の病は突如と現れ
残る己と我が娘
煙る線香ゆらゆら登り
この世の全ては変わりゆく
諸行無常の思いしる
悲しみは娘の笑顔に励まされ
父は娘の力となりて
今日もせっせと仕事に励む
やがて娘が話があると
我に呟きもじもじと
顔を合わせて話を聞けば
会ってほしい
人がいるのと我が娘
ちょっと待てよと我が心
落ち着け騒ぐな我が心
まだまだ子供と思っていたが
既に大人の一人の女
戸惑う己の不甲斐なさ
妻の写真に助けを乞うも
にっこり頬笑む我妻の顔
酒を一呑みグイッとあおり
連れておいでと娘を見ずに
酒があるのに無い振りをして
買いに出掛けた夜の街
ある日我が家に知らない男が
娘と一緒にやって来た
少しでもむかつく言葉を吐いたなら
有無を言わさず追い返す
そんな意気込みどこ吹く風と
我の思いと裏腹に
希に見うける好青年
我意気投合許した結婚
後に娘の晴姿
髪は文金高島田
孫が生まれて我隠居の身
せっせと働く娘婿
あとは任せた娘の婿よ
我の疲れたこの身体
ここまで生きてこれたのも
お前たちのお陰だと
諸法無我の思いしる
迎え来るのももうすぐそこだ
人が最後に辿り着くのは
母なる広く深い海…
娘よ…
野茨咲く頃父を思え
どんなに苦しくとも我のように
幸せな人生をおくれるのだと…
お前の父と母を繋げた野茨を…
後は任せた…
じゃあな
息子よ…
芙美乃
安桜芙美乃の脳内、人生論
講談師芙美乃です(*´∀)ノどもっ♪
講談師の真似事ですけど💦
ワタクシ安桜芙美乃は、三十路も暮れの男女混合、いわゆるLGBTのTの部類のトランスジェンダー。わかりやすく言えば♂️から♀️のニューハーフです。
今までのブログでも、小説サイトでもカミングアウトしているので、ここでも(*^^*)
こんな私は、20年前にFC2ブログを始めて、様々な方々に出会い勉強させていただきました。
そして三年前にブログを辞めて一年間物書きを辞めていたのですが、しばらくするとムズムズムズムズ‥💦
「あー、何か書きたい!物語書きたい!短歌詠みたい!詩も書きたい!」と思いながら始めたのが小説サイトのエブリスタ。
それなりに楽しかったけど嫌な思いをして作品データもバックアップせずに今年の2月に退会してデータ全部消しちゃいました。
暫く物書きやめよう‥‥と思ったのですが‥‥。
またもやムズムズムズムズ‥‥やっぱり書きたい、と思いあれこれブログサイトを探して、先月9月に始めたのがこのnoteでした。
正直まだ使い方よくわかりません(^_^;)
ランキングが無いのが良いし、コンテストもあり、書籍販売もありって事だけど、私は物書きのプロではないし販売できるほど文才無しなので(^_^;)書いて自分の想いを文字に残していければオッケーなのであります。
一番よく書くのが詩、次に物語。ジャンルは恋愛もの。しかも悲恋系をよく書きます。
そしてヒューマンドラマ、更に続くはホラー系、中身はまじ怖とコメディホラー。
そして異世界ものとSF、あとハードボイルドと仁侠、ミリタリー系と、ほぼ何でも書いていましたが、ミステリーだけは書けません。頭良くないので(笑)
そんな私は四年前、野茨をモチーフにある男の一生を上記の講談のように書いたのです。
なので、ここで書いたのは二番煎じにちょっとスパイス入れたものであります。
仏教の言葉が複数入ってますが、私は仏教に携わるものではありません。しかし仏教の教えの言葉は好きだったりします。
上記の詩のような、講談のようなストーリーを「男はつらいよ」の寅さん啖呵売の口上口調にすると面白くなりそうだな〜と思いますが‥これが難しい💦私の言葉の引き出しじゃ足りないです。
モチーフは野茨
ノイバラの花言葉には【詩】という花言葉があり興味を持った私は詩という花言葉の由来を知りたくなり調べました。
ドイツの詩人
【ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ】が『野ばら』の詩を書いたから、ということがわかりました。
皆様もご存じの
『童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)
清らに咲ける その色愛(め)でつ』
です(*^^*)b
私も野茨(ノイバラ)の花言葉で詩を書きたいなー、と思い書き始めたのですが、書いては消して書いては消してを繰り返し、花言葉に囚われず七五調で一人の人生に野茨を含めちゃおうと思い書き出したところ、止まらなくなり(笑)徐々に私の頭の中に(講談)の節が現れてきまして(笑)
後半は講談に近いイメージになっちゃってるかも(笑)
でも、やっぱりテンポは大事だなって思いました。
途中で扇子を机に叩きながら自分で書いてましたね〜♪
いよっ!べべん!ぺしっ!みたいに(笑)
そしてラストはしっとりと…
ちょっと長い文章に思えますが文字数は少ないので、すぐ読み終えられると思います(*^^*)
都々逸節のリズムをつけて書いてみました♪
安桜芙美乃の人生論
この世に命を授かり、生まれて宿した命は、命を含む宿命…既に定められたこと。生きていくうえで避けることの出来ない命の終わりまで定められたこと。生まれてこの世に宿した命だから生まれは既に定められ、命の終わりもまた定め。
終着点は皆同じと思われ…、早きも遅きもまた定め。
生まれた命の終着駅は決まっているけど、そこまでの道のりは沢山の道が枝分かれしているわけで…。
そこで、終着点へと命を運ぶのが運命ということになるのでしょう(*^.^*)b
二又の道があったり、三叉路、五叉路…どちらへ行くかは自分次第。
人は一長一短、因果応報で生き方は千差万別。
正に運命は選択により変わるもの💦
運命は宿命に従い道を選ぶもの。
サイコロ🎲振って選ぶと私のように、他人とはちょっと違う生き方になったりするわけで…。
これも私の定めであり、あとは自分の運命の選択に従うのみ‥。
行き当たりばったりでも‥
先を見越して石橋叩きながら進んでも、幸せなときもあれば辛いときもあるよね…💦
お金がなくても幸せなときはあるし、お金があっても辛いときはあると思われます。
だけど、行き当たりばったりよりは、先を見ながら前に進むのが賢明だとも思うのであります。
でも、どの道に行っても山あり谷あり、お花畑や鬼が隠れていたり…不意に落とし穴に落ちたり。
要するにどの道にも、分け隔てなく幸せ、不幸せがあると思うのです。
因みに、【幸せ】という漢字の語源を調べてみました🎵
語源は、【手かせ】今で言えば手錠(^_^;
幸という字は【手かせ】を描いたものだそうです。
罪を犯し、手かせをはめられるのも時間の問題、という場面から思いがけず罪を免れて、奇跡的な運が転がり込んだ、と言うことから【幸せ】という解釈になったそうな😃
【語源由来辞典】より…。
では、幸とよく似ている【辛】という字は?と思い、調べてみたら…。辛い、という字に漢数字の一を上に書くことで、【辛い時は幸せの一歩手前】という解釈があるそうです。ということは‥‥。
幸という字の語源から読み取れば、手かせ(手錠)を掛けられる一歩手前という事になります。
よく聞く解釈ですが 諸説あり、なのです。
でも、ワタクシこの解釈好きです🎵
人の夢…と書いて…【儚い】日本語の遊び心…素敵だと思います(*^.^*)🎵
話を戻します(^_^;
どの道に行っても、幸福、不幸はあると思われ…
恐らく、そこここに落ちているであろう【幸せ】を見逃さず、危ない橋は、なるべく渡らないようにしないとね(*^.^*)b
それから、自分が幸せなのか不幸なのかは…正確には、幸せだったのか、不幸だったのか‥‥というのは終着点に着いて始めて分かる…と聞いたことがあります。
そして終焉を迎える時、人は必ずできなかった事の後悔をするといいます。
誰にでも後悔はたくさんありますよね‥。
後悔していることを心の中で整理できれば良いのですが‥‥。
私は身近な大切な人(パートナー)を愛して、尽くしていたい。
命は、何時どうなるか分からないですからね‥。
それは、定めの中にある運命、時間、日時、場所により左右されるもの。
これは人と人が出合う、運命の出会いも同じですよね。
一日を大切にしよう。
毎日の小さく僅かな差は人生に大きな差となって現れる
フランスの哲学者、ルネ・デカルト
私の座右の銘です
できることなら、私も終着点に着く前に…自分は幸せだったのか?と自分に問たいのです。
できることなら、幸せな終着駅でありたい。
そして、幸せな話をお土産にして姉に渡したい。
姉が私に手のひらの夕焼けを分けてくれたように…。
既に姉の歳を大きく越えてるから、私だと気付いてくれるか分からないけど(^_^;)
このようなことを、私の周りの大切な命を失い、川に浮かぶ木の葉を見て、思うのです。
それと、もう一つ。
人生は博打だ!という方もいると思います。
言い方は乱暴かもしれないけど…それもあると思うのです。
丁か半か!とか、一か八か、とか…(*^.^*)
これも、運命の分かれ道…とおもうのでありますw
成功しても失敗しても、自分で選んだ道なら…そこから、発展も…やり直しも…自分で何とかできる、とワタクシ思うようになりました。
また、一か八かで自分で選んだ道なら、たとえ失敗してもそれほど悔いは残らないとおもいます(*^.^*)
迷いに迷った道選びでの失敗は、とても悔いが残るはず(^_^;
失敗と成功は、紙一重だとおもうのです。
道選びに失敗しても、過去に戻れるわけじゃなし、一寸先さえ不確かな未来。
だから、たとえ失敗しても自暴自棄にだけはならないように、【今】を楽しく生きましょう(*^.^*)b
安桜芙美乃
以上が私の現在の脳内思考です。
こんなワタクシですが、これからも宜しくお願い致します。
最後までお付き合いありがとうございました。
小麦から改名、安桜芙美乃